〔拾弐〕口は災いの元である。
「立花君。どうしました? 先ほどから、何を黙っているのです?」
「…………。」
諸君。人間が物を言わずに押し黙るとき、そこには様々な感情がある。
それは、あまりにも腹が立ち過ぎて上手く言葉に出来ないとか、悲しみのあまり言葉を失い、嘆くことすら出来ないとか。
「お腹が空いたのですか?」
「…………。」
あるいは、もう相手にするのが段々と面倒になってきちゃったり、そういう人に調子を合わせて、これ以上、深みに引きずり込まれたくなかったり。
「ちょいとちょいと。小僧さん。何だい、あんた」
「は?」
唐突な剣幕。これまでずっと寡黙に煙管を噛んでいた、微笑の着物美人である。
「ちっとは何か言ったらどうだい。うんでもすんでも。相槌もなく黙ってるって、そりゃ、失礼ってもんじゃないかさ」
「あ。いや。その…」
長煙管の柄を僕に差し向け、今にも乗り込んで来そうな雰囲気。
だなと思ったら案の定。しかも、ぞろぞろと他の五人も後に続いた。
八畳の部屋に計八名。しかし、余計な物が置かれてないので、とくに息苦しさは感じない。注がれる視線が暑苦しいだけだ。
こうして間近で良く良く見ても、たしかに幽霊ではない、…のだろうな。多分。
どうしたって見分けが付かない。何ら違和感はなく、こうして会話までしているのだ。透けてもなければ、足もある―――って、土足かい。
まあいい。それはともかく、透けてもないし足もある。何処から見ても実体そのもの。見た目だけなら人間だ。現に僕は気づかずに、二人も話し掛けてしまったのだから。
尤も、彼女達を幽霊ではないとするには、幽霊は透けて足が無いという前提と、それを裏付けるための確固たる証拠も要るが。
「お咲。大体、あんたもあんただよ。何を馬鹿っ丁寧に。じれったいね。さっさと話しちまいなって。難しいことなんざ、ひとっつもありゃしないじゃないかさ」
「まあまあ。落ち着いて」
「おつむの出来が良いんだろ? あんたんとこの生徒ってのは」
「この子は特殊ですからね」
どういう意味です。それ。
「あなた、少しよろしくって?」
は?
「あなたが何を拒絶しようと否定をしようと、そんなことはどうだって構いませんですわよ? だけど事実に変わりはなく、その先に待ち受ける運命は、後悔と茨の道のみ―――って、あら? それって糞貧しい上に敗北者? 案外、お似合いかも知れないですわね?」
どうでもいいけど、部屋の中で日傘はないだろ。
「立花殿」
あ?
「心中、察するに余りある。されども、腹が減っては戦にならぬでござるよ」
おめい、まったく察してないだろ。
「…あの。美咲先生…」
「やはり、お腹が空いたのね?」
あなたも少しは察してください。
「その。何と言うか…」
さて。どこまで話して良いものか。
「たしかに僕は特殊、…いや。まあ自覚はないので、どうやら特殊らしいのです。それは美咲先生の言う特殊とも、また違う意味で」
「でしょうね」
何を以って肯定したのか。
「だから、信じられるし、信じます。これまで美咲先生が言ったこと全部、尾鰭の付いた伝説以外は」
「殆ど信じていませんね」
「白状しますが、僕にも色々あったんです。理屈だけでは片付けられない、そりゃもう摩訶不思議なあれやこれやが沢山一杯」
「否定は、なしですか…」
「で? 結局、僕にどうしろと? 何かさせるつもりですか?」
「あのね。立花君…」
美咲先生は深い溜息と共に小さな顎を静かに揺らした。
「あなたは信じられると言いました。ならば、信じてください。先生が一番最初に言ったことを」
「…………?」
「お話があります。あなたにとって、重要な」
「ああ。そうでしたね」
「こうも言いました。少なくとも、対策は出来ますと」
「はい。それなんですよ。それが理解らない。その言葉の意味が」
「そうですか。困ったものです…」
見損なったと言わんばかりの美咲先生に、僕は少し腹が立った。
「いやいや。ちょっと待ってくださいよ」
「何です?」
「だって、普通はそうでしょう」
腹を立てた僕は勢い任せに本音を吐露した。美咲先生の気持ちも知らず、あとで後悔するとも知らずに。
「信じるも糞もない。何せ、ずらりと目の前に、不思議な連中が並んでいるんだ。嫌でも信じるしかないでしょう。けど、僕にしてみりゃ寝耳に水だし、妖鬼だ自覚だのと言われたところで、何が何やらさっぱりだ。正直、関わりたくないですね。関わりたくないし、巻き込まれたくもない。はっきり言って…」
迷惑という言葉だけは、ぎりぎりのところで押し留めた。
「…すみません。言い過ぎました…」
ついつい、勢いで言ってしまったが、美咲先生に悪意はない。
むろん、その確証はないけれど、それくらいのことは僕にも判る。
この人が、僕のためと言うのなら、それは、僕のためなのだ。
「ですが、僕の言っていることも理解るでしょう。それほどおかしなことは言っていないはずです。違いますか?」
美咲先生は、困った子ね…、とでも言いたげな表情で、細く長く息を吐いた。
「違いません。あなたの言うとおり。だけどこれならば、先生の言っていることも理解るでしょう。それほどおかしなことは言っていないはずです。違いますか?」
美咲先生は、左手に填めている手袋の先端を抓み、そっとゆっくり徐に、じわりじわりとずらしはじめた。
「立花くん。これも他言無用です」
「…………。」
諸君。さらに付け足そう。あまりにも愕き過ぎてしまったり、…と。
そう。息を飲んだきり、僕は言葉が出なかった。