〔捌〕雷が鳴ったら臍隠せ。
突然、頭上から姿を顕わした金太郎。驚いた村人は腰を抜かして、地べたを這うように逃げました。
当然、誰一人として傷付けるつもりは毛頭ない。まるで蜘蛛の子を散らすように逃げ出した村人達には目もくれず、地に転がされている老夫婦のことを、金太郎はそっと優しく抱き起こしました。
鋭い指爪で麻縄を切り、処刑寸前だった二人を解放。自分のせいで迷惑が掛ったことを悔いているのか、静かに両の瞼を閉じると、金太郎は老夫婦に向けて深々と頭を下げたのでした。
ところが何とも悲しいことに、金太郎を見る老夫婦の目は恐怖そのもの。災いをもたらす異形としか見ておらず、それこそ、二人は一目散に逃げ出したのです。
すると、村人の中には悪知恵の働く者もいて、逃げて来たお婆さんを引っ掴み、金太郎に脅迫めいたことを言い出しました。
おい。化け物。大人しく捕まれ。さもないと、婆も血を見るぞ。
何と、村人の足元には、血塗れで倒れているお爺さんの姿が。
じつは、自分で勝手に転んだ際、岩に頭をぶつけただけなのですが、状況が状況だけに、脅す材料としては効果も覿面。結局、じわじわと包囲を狭める村人達に、金太郎は再び捕まってしまったのです。
空は暗雲が垂れ込め、今にも嵐となる気配。その空模様に村人達は、しめしめと北叟笑みました。
それは、自分達の手に余る異形を、老夫婦共々、天に断罪させる目論見。
金太郎を中心に老夫婦のことも縛り上げ、鍬や鎌といった金物と一緒に、広々と拓けた平原へと放り出したのです。
やがて天は烈火の如く迸る、光の鉄槌を落としました。
鼓膜を劈くような、凄まじい雷鳴。三万度の熱により、周囲には肉の焼け焦げた匂いが立ち込めた。
白い煙と靄とが徐々に薄れてゆくその中で、村人の誰もが確信しました。そう。今度こそ死んだのだ、…と。
ところがです。恐る恐る近づいてみると、躯は二体だけでした。
しかも驚愕なことに、真っ黒く焼け焦げた躯の一つが突如いきなり、動き始めたではありませんか。
躯はふらつく足で立ち上がりると、焼け焦げた我が身の皮膚に爪を立て、狂ったように全身を掻きむしりました。
ぼろりぼろりと木炭のような皮膚が剥がれ落ち、最後にずるりと一皮むけると、躯は、齢で十四、五の美しい少女になったのです。
言葉を発する者は皆無。どよめきすらなく、奇跡を目の当たりにした村人達は、少女の前に平伏し―――むぅ?
「立花君。その目は何です。その目は」
「いや。展開が少し…」
紅頭っぽいとは言わずにおこう。
「失礼な。一緒にしないでと言ったでしょう」
どうして判る。
「あのね。立花君。何か誤解しているようなので先に言ってしまいますが、少女の正体は金太郎とか、そうそう安い展開ではありませんからね?」
「違うんですか?」
「違います」
「それはそれは。すみません。早合点でしたね」
「今度、彼と一緒にしたら、あなたのお葬式にも出ませんから」
だから、おめいらに何があった。
「美しい少女の正体。それは、お婆さんです」
「…な。なるほど…」
びっくりするほど安いですね。
「まあ、そいつが金太郎でないのなら、お婆さんしかいない―――って、待てよ。躯は二つしかなかったんだから、てことは、金太郎と融合?」
「あのね。立花君。悪いとは言いません。けれども、そうした幼稚な漫画やアニメばかり観ていては、将来、何かと困りますよ?」
ご存知でしょう。我が家にテレビがないことは。
「ちゅうても、二つあった躯のうち、一つは確実にお爺さんだろうから、それなら金太郎は?」
「姿を消しました」
「やけに漠然としてますね。透明人間みたいに?」
「そうですね。普通の人間には、そうなのでしょう…」
そうなのでしょう…、って。
「ちなみに、日頃、わたくし達が何も気にせずに使っている《鬼》の語源は本来、《隠》という発音から転じたと言われています」
「おぬ?」
「字は、隠密の隠。つまりは、隠れるという意味が由来だとする説。また、だからこそ昔から、何か大災厄がある度に、それは姿形を隠した鬼の仕業に違いないと、目には映らぬ存在に誰もが恐怖をしたのではないでしょうか。天災も疫病も然り。あらゆる厄事すべてが、姿を隠した鬼の所業。そういった習わしも、その辺りから派生したとすれば、存外、受け入れやすいでしょう?」
「なるほど。ま、何だか上手くはぐらかされたような気がしなくもありませんが、一先ず、金太郎は他所へ置きましょう。なら、お婆さんが女の子になったのは?」
「お婆さんは、そこに鬼子を宿していた桃の実を食べたのですよ? どんなことが起きようと、何ら不思議はありません」
そう来たか。
「あのね。立花君。念を押して言いますが、これはあくまでも、代々語り継がれてきた伝説です。伝説。故に、多少は尾鰭が付いたりもします」
「で、そこに美咲先生が、翼まで付けてしまったと?」
「馬鹿にしていますね。とても」
「今にも空を飛びそうでした」
「否定は、なしですか…」
「なら、そろそろ聞かせてくださいよ。そいつを僕に話す理由を」
美咲先生は冷めてしまった茶に手を伸ばし、納得した様子で軽く頷くと、表情を厳しく改めてから再び静かに語り始めた。
「今は昔。それまで当家・西園寺は、歴史のある由緒正しき寺だった、…と聞いています」
「てら…、って。…寺ですよね?」
少々、意外な展開なれども、充分、納得のいく話だ。この古い日本家屋。それを取り囲む環境を見れば、誰でも合点がいくだろう。
「西園寺。本来なら、隠を砕くという意味で《砕隠寺》と書きます。隠は先ほどの説明どおり、妖鬼のこと。砕は文字どおり砕くこと。理解りますね? 我、妖鬼を砕き討つ者なりの意となることが」
「まあ。その。一応、説得力はあります。はい」
また馬鹿にしてとでも言いたげに眉を顰めると、美咲先生は手の平の茶碗を皿の上に戻した。
「美咲先生…」
「何です?」
「ところで、その手袋は?」
と訊いてから、軽率だったと反省した。
火傷だったり痣だったり、何れにしたって、他人に見せたくないからだろうし、ましてや相手は女の人。すごく気にしているとしたら、傷口に塩を振るようなものではないか。
「…………。」
「…あの。すみません。忘れてください。今の…」
僕は、やはり冷めてしまった茶に手を伸ばし、空惚けるように庭を眺めた。
「あ。そうだ。ところで、あれは梅ですか? 桜ですか? それとも柿?」
「…いいでしょう。わかりました」
「は?」
「わかりました」
何が判ったのかな。
「もう回りくどいことは言いません。真実を、すべてを話します」
…やれやれ。何だか怒らせちゃったかな。こりゃ…。