13
私の姿はナズへと変わった。服装も朝と同じ格好だ。
さぁ行こう。きっとあの勇者は魔物と戦っているはずだろう。
私は月光の中、静かに歩きだした。
もう、失ってもいい。
何にせよ、この港町には二度と来なくなることは決まっていたのだ。
なら、最後に、私をこの町から完全に切り離し、そして、あの勇者を倒す。
あの女の子……エリのおばあさんを、何の罪もない人を死なせた罪を償ってもらう。
この、私の手で。
……町は炎に包まれていた。うまい具合に、町から人を出させるよう、炎で誘導経路ができていた。
おそらく、町の人たちはもう非難し終えただろう。
『ガタッ!』
その時、小さな通路の物陰に何かの影が見えた。
私は思わず立ち止まり、じっとその路地裏を見つめた。
少し確かめようとしたが、セピが誘導している中、私は私の使命を果たさなければいけないと思い、そのまま道を歩き続けた。
空を飛ぶ魔獣たちは、獲物を狙うような目つきであったが、他に町に残っている人がいないか、町中を空から見回っているように見えた。
「くそっ、なんで本当に魔王軍がきちまうんだ……! 俺が何をしたというんだ!」
その勇者の声は燃え盛る町中に響き渡った。
勇者は魔物を切り捨ててはいたが、数で押され少し苦戦しているようだった。
「自分のせいだよ」
私がそう言うと、ミノタウロスやガーゴイルなどの魔物たちの動きが止まり、勇者へ続く道を作るように、端に避けて行った。
「お前の仕業か!」
「うん。でも、私の目的はあなただけ。あなたさえ倒せれば何でもいいの。もう、この町のことなんて」
「くそ、本当に魔王の手下だったとはな……」
「…………」
「まぁいい、ここでお前を倒せば、俺は本物の勇者ってわけだ
勇者は剣を両手で持ち、魔獣の咆哮のような雄叫びを上げた。
勇者から、みるみる不思議なオーラが出始め、その勇者には明らかに力が宿ったように感じた。
「……そう」
「異世界転生って最初は聞いて驚いたが、女神ヴィクトリア様に力を授かり、この世界に転生してきた。この世界は弱っちい奴ばっかでなぁ……ちょっと物足りなかったところなんだ」
「…………」
「いくぜぇぇぇぇぇぇぇぇぇえ!」
勇者はやけに大きい声で叫びながら、物凄いスピードで接近してきた。
「ギーグ」
私がそう言うと、勇者の動きが一気に鈍くなった。
というより、私の見える世界が全て減速化した。
つまり、勇者は自分が超高速で走っているように思っているが、私にとってはアリ程度の速さでしかないように見えるという事。
「私はあなたを殺さない。でも、殺された人の苦しみは味わってもらうよ。それが仕返しなんだから」
私はポケットから、先ほど泉の水を淹れた小瓶と、衰弱毒アルペドプチンを取り出した。
その二つを少し大きめの瓶に入れて掻き混ぜ、薄紫色の液体を作り出した。
「あなたはこれから、絶対に死ぬことなく、衰弱毒で一生取り除くことのできない苦しみを味わうことになる。それがあなたの〝せめてもの償い〟だ」
私はアリのような速度で動き続ける勇者の隣にゆっくりと歩いていき、顎を上に傾け、口を開かせてその液体を一滴残らず飲み込ませた。
「これが、おばあさんの苦しみだよ。解除」
可視世界が正常に動き出し、勇者は勢いを次第に失くしていき、そして苦しみながら倒れた。
「うぐぁぁ、がぁぁぁ!」
苦しそうに悶えながら、首を抑えて地面で丸まっていた。
「な、に、を……」
見る見るうちにその勇者の体は老いていき、そして、やがて骨と少しの筋肉だけしか残っていないかのような、痩せ細った姿になった。
「これは、あのおばあさんが体験したことなの。あなたはこれから一生、絶対に死ねることなくこの苦しみを味わい続けるの」
勇者はひどく泣き出した。
「何で……俺ばっかなんだよぉ……俺ばっかり……俺ばっかり……」
「――嫌でも明日はやってくる。嫌でも苦しみは襲ってくる。嫌でも未来はやってこないの。あなたのしたことは、これと同じようなものなんだよ」
勇者は次第に衰弱しきっていった。私はその場から離れ、元来た道を戻り、歩いて林に戻った。
本当にこれでよかったのかなんて、もう分からない。
何が良くて、何が悪くて、何が正義なのかなんてわかりやしなかった。
――もう、終わったんだ。
私はマグナの姿に戻り、その場に静かに佇んだ。
その時、茂みから何か、草木を掻き分けるような音がした。
「まって!」
女の子の声だった。
「誰……?」
女の子は息を切らせながら走ってきて、私の前に倒れると、呼吸が整ってきてから、私の目を見て話し始めた。
「ここに白い服の、背の高い女の人がこなかった?」
この子は……エリだ。
「……来たよ」
そう言うと、女の子はきょろきょろとあたりを見回しながら、私に問いかけてきた。
「どこ? どこにいったの?」
「……もう、何処かに行っちゃったみたい」
「何でどこに行ったか見てくれなかったの!?」
そんなことを言われても、仕方がない。
「ごめんね。すぐに消えちゃったんだ」
「――っ。そっか……なら仕方ないよね」
その本人が目の前にいると、絶対に言える気がしない。
「あなた、どこから? 町の人はみんなあっちにいたはずだけど……」
「私、町にナズさんが来ると思って、ずっと小さい路地で待ってたんだ」
ああ、あの時の影はエリちゃんの……。
「そうなんだ。その人はそのあとどうしたの?」
「よく覚えてないんだけど、あの男の人が一瞬でやられちゃった」
「そう……」
何とも話しづらい。
何を返したらいいのかが分からなくなってきた。
「ナズさん、もうこないのかな」
「…………」
「ナズさんにおばあちゃんの病気を治してもらった時、すごくうれしかった。私、ナズさんがおばあちゃんにあんなことをするはずがない。絶対に。あの男の人が勝手にやったんだって思ってる」
「…………」
「だから、私はナズさんにお礼を言いたくて――」
「エ――もう、彼女は二度と来ないと思うよ」
「――え?」
エリちゃんは目を丸くしたかと思ったら、涙を流し泣き始めた。
「だ、だって……あの人は……あの人は!」
「来ないものは来ないの!」
私は思わず声を張ってしまった。
初めて声を張ったかもしれない。
私は何をしているのだろうか。
「……ごめんね。でも、これは本当なの」
「…………っ」
エリちゃんは涙腺から出てくる涙を袖でふき取り、地面に座り込んだ。
「ごめんね――本当に」
あぁ、私は何をしているのだろう。
私を最後まで信じてくれた人間を怒鳴り、また嫌われる道を選んでしまった。
私は〝また〟自ら孤独の道を選ぶのか。
私は怖くなって後ずさった。
次話もよろしくお願いいたします!