11
涙が枯れた頃、家の扉をドンドンドンと叩く音がした。
私は涙を服の袖で拭き取り、扉を叩く主を確かめるため、扉を少し開けた。
少し開けた扉の隙間から顔を出し、誰が来たのかを確認した。
頭から二本の角が生えてて、片方はすごく太くて、もう片方はちょっと細くて、どっちも尖ってて……髪は長くて、ちょっと桃色で、目つきは少し鋭くて、露出の多い服装で、紫色の槍を持っていて、尻尾が生えてて、胸がちょっと小さくて……女性……?
「おい」
声質は低めだけど女声。
「なに」
「お前に用があって来――」
「ウチは受信機器置いてないから契約できないの。さようなら」
私はそう言って扉を閉めた。
誰か来たらこうやって対処しろって、昔教わった。
「変な断り方をするな! ワシは契約云々をしに来たわけだない! そもそも、何も申しておらぬのにその追い返し方は酷なものだぞ!」
変なしゃべり方をする女性は、また扉を五月蠅いくらいに叩いている。
私は文句を言おうと扉を全開にした。
「ここじゃあ何故かワシの力が発揮できぬし、時々この森に住まう鳥獣や猛獣から頭を突かれたり角や尻尾を噛まれたりするし、一々痛いのだ!」
「……ここに来られるなんて人間じゃない」
「どう見ても人間じゃなかろうてな! はよ入れとくれ! さっきから鳥獣がワシの頭を突いて痛いんじゃぁ!」
その女性は、頭上にいる小鳥をどうにか振り払おうと、槍を両手で持って自分の頭の上で振り回していた。
「そうなの? ……じゃあみんな、もういいよ」
私がそう言うと、小鳥たちやネコやイヌがその女性から離れて行った。
「はぁ、はぁ、この生き地獄が一生続いたらどうしようかと思っとったわ」
「ごめんね。それで、私に用って何?」
いかにも疲れた表情で息を吐き出しているその女性は、下を向いたまま息を切らし途切れ途切れに用件を言った。
「ワシは、この世界を、総べる、位置になりたい――はぁ、はぁ……則ち、魔王だの」
「へぇ」
魔王が私の家に来た。
「……普通、なら……ワシの前で……跪くところ……なのだが……」
「そうなの?」
「……いや……いい。恐らく……この森の中では……お主が……支配権を……持っているのだろう……? なら、ワシがとやかく言うまい」
少し呼吸が安定してきた魔王と名乗る女性は、槍を杖の代わりにして、私の家の中に無理くりに入ってきて、そのままの流れで椅子に座った。
「あ」
「ふへぇあ!?」
女性は椅子からすぐさま立ち上がり、椅子に触れた部分を手で触って、手に赤いペンキがついているのを見て、息を荒げていた。
「ち、ち、血ぃ……!?」
「それペンキ……」
「……そ、それを先に言わぬか!」
怒られた。
「その扉、奥にお風呂あるから、洗ってきていいよ」
「そうさせてもらうぞ!」
そう言って、女性は槍を投げ捨てて急いで扉を開けて走って行った。
「あ、でもここで服脱いだ方が――」
「ギャー!」
奥から女性の悲鳴が聞こえた。そして、その女性が水浸しのまま、床を這って奥から出てきた。
「おぬしぃ……」
びしょ濡れの女性は、私を睨みつけた。
「即効シャワーなの」
「ワシを殺す気か……殺す気なのだか!」
「命を奪うほど命に飢えてないよ」
「何を言っているのだの……」
「そこにタオルあるから」
「むむむぅ……」
女性はタオルを使って、びしょ濡れになった体を乱暴に拭いた。
拭き終わると、タオルを私に預けて、何も塗られていない椅子に座った。
「もうペンキは後からとるとして、さて、本題なのだが」
「ほんだい?」
「だの」
そう言い、女性が指でぱっちんと音を鳴らすと、その女性の頭の上から大量の紙が出てきて、その紙は女性を一瞬で覆いつくした。
「かぁー! せっかく恰好付けたのに、これではドジではないかー!」
勝手に怒ってる。
「ま、まぁよいだの」
大量の紙から顔を出し、私に一枚の紙を手渡した。
「ほれ、読めだの」
その紙には、微妙な字で『わたしのはいかとなれ』と書いてあった。
「なにこれ」
「この大陸にいる不思議な魔女が、何やら私の部下だとか言われててだな。それでこの場所を突き止め、やってきただの」
「……契約云々はしないって言ったじゃない」
「あれは……むぅ、いや、じゃあ友達からでいいから」
「友達が配下になる?」
「う、ぐぐぐ」
その女性は悔しそうに、涙を少し浮かべ頬を膨らませながら私を見た。
でも……本当にこの人が魔王だというのであれば、あの町に……。
「いや、一時的にならいいよ」
「ほ、ほんとか!?」
その女性は目を輝かせて私を見つめた。
「うん。でも条件がある」
「ふむ、条件……とな?」
私はケークエイクで起きたことをすべて話した。
勇者を名乗る者がいること、その者に町の人々の自分への信頼を全て崩されてしまったことを話した。
「そ、そんなことが……変な時に来てしまってすまんだの……えーっと、どうだ? 魔界にこんか? そこならそういうことは起きないし起こさせないが――」
「……いいの、もう」
「…………」
「それで、魔王さんには、あの町に攻めて行ってもらいたい。ただ、人は誰も殺めないで」
その女性は、神妙な面持ちで私の話を聞いていた。
「私はあの勇者を倒す」
「……本当にいいのかの?」
「町の人に恨みはない。人を殺したあの勇者は許せない」
「……そうか。なら今晩にでも攻めよう。夜であれば魔物も操りやすいでの」
「……じゃあ、それでお願い」
「じゃあ、魔物共を配置した後、またここへ来るから、それまでにお茶を用意していてだの。ワシはお前の話をもっと聞きたいのでの」
「……うん」
そうして、魔王さんは紙を処理せぬまま、玄関から出て行ってしまった。
あ、槍も置いて行ってる。
積りに積もった紙には、色々と書いてあった。
『ともだちから――』
『いや、わしとどうめいを――』
『しりあいからでも――』
『おねがいだから――』
『LINE交換しませんか?』
色々書いてあった。
それも、全て別々の言葉で。
こんなに書いたんだ。
なんだか申し訳なくなってきた。
友達からならいいかもしれない。
別段、悪い人ではなさそうだったし。
むしろ良い人なのかもしれない。
私の話を真剣に聞いてくれた。
私は紙を全て拾い集めて、机の上にどっさり置いた。
さて、紅茶でも入れよう。あの人が来る前に、私も私で準備を勧めなきゃいけない。
ナズの強化を――
「はぁ、はぁ……準備完了しただの!」
扉を勢いよく開けたかと思うと、鳥につつかれたり蛇に絡みつかれたりしていた魔王さんがやってきた。
まさか、ものの数十分で終わらせてくるなんて思っていなかった。
「とにかくこの動物たちをどっかにやってくれだの! 痛くて仕方ないだの!」
魔王さんともあろう者が、まさか殺生もせずに解決をしようとするなんて。
「みんな、この人にはもう手を出さなくていいから」
私がそう言うと、動物たちは皆、少し機嫌悪そうに家から出て行った。
この子たちは私のことを心配してくれているだけなんだ。
ごめんね。でも、この人は悪い人じゃないから。
次話もよろしくお願いいたします!