8話 アルス、孤児院を満喫する
☆実習一日目☆
☆調理
孤児院の朝は早い。蝋燭を節約するため、明るい間にできる仕事はすべて終わらせる必要があるからだ。特に朝食作りなどは薄暗い早朝に行われる上に、野草など貴族の子は見慣れず、量も少ない食材を余すことなく使う必要があるため、アルスメリアには荷が重いだろうとミリスは考えていた。
しかも本日は男爵様から狩られたばかりの小型の魔物が、一体丸々食材として差し入れされていた。ミリスでさえ皮をはぎ内蔵を処理するのは大変な作業なのだ。しかし──
「ミリスさん、ホーンラビットの内蔵の処理がおわりました。内蔵は野草と一緒に塩焼にすれば美味しいですよね。あと、この毛皮のところはなめして加工すれば売り物にできると思うので、後でやってみてもいいですか。」
「あ、ああかまわないよ。って言うか、どこでそんなの覚えたんだい!?」
もちろん、冒険者の夜営で覚えたのである。戦闘力はイマイチだが他は手広くなんでもできるのがアルスのセールスポイントであった。
☆食事
ミリス孤児院は、ブレイヴ王国の中で貧しく治安も悪い地域にある施設だ。下町の外れに位置し、学校に通うことすら叶わない子どもたちの集う場所。
初めて見る高貴なるご令嬢であるアルスメリアを前にして、孤児達が無礼を働きやしないかと護衛役として気を揉んでいたエドワードだったが、その懸念は良い方向に裏切られた。
「アルスメリア様!とってもおきれいですね!そのドレスも凄く素敵、本物のお姫さまみたい!」
「アルスメリア様がこのお肉をお料理してくださったんですよね。とっても美味しそうです!」
「アルスメリア様!この後遊んでくれるんですよね。楽しみだなぁ!」
始めこそ、光の精霊もかくやという美貌に度肝を抜かれ、呼吸すら忘れたように少女を見入っていた子どもたちだったが、彼女がそっと親しげな笑みを浮かべると、一斉に顔を紅潮させ、我先にと駆け寄ってきた。
抱きついたり髪に触れたりと、貴族的マナーからすれば不敬にもあたる行動だったが、その目は一様に尊敬の念で輝いている。
(それにしても、先程のは驚いた。まさか、食事前の僅かな休息時間を使って、王子から送られた社交界用のドレスに着替えてくるとは。そして挨拶の口上と、礼のなんと美しかったことだろう。)
エドワードは眼を閉じて、アルスメリアが子どもたちに向かって自己紹介した時の姿を思い起こした。
(正装に加えて、淑女の鑑たる、優雅で凛とした、女性らしい礼。子供達を一人前の紳士淑女として扱うことで、目の色をかえてみせたのだ。この年頃の子供達は「お姫様」に憧れるから、きっと一層それに近い姿をと、汚れることもいとわず最高級のドレスを着用されたのだろうな)
学院では不用意に目立たないよう抑えているようだが、少女が本気を出すと、流石は公爵令嬢という淑女のオーラが溢れるようであった。
また、少女はその聡明さを発揮し、その場には十人以上がいたというのに、一度名前を聞いただけですぐに覚えてしまった。
「ハイジ、ありがとう。誉めてくれて嬉しいですね。セイラ、お肉は美味しいですよ。よく噛んでたべましょうね。ナージャ、そうですよ。ご飯のあとは沢山遊びましょうね。私も楽しみです。」
方々から話しかけられる声にも、一つ一つに言葉を返す。屈みこんで視線を合わせたり、子どもによっては抱っこしたり頭を撫でたりする丁寧さだ。高貴なる少女に慈愛に満ちた笑顔を向けられ、優しく触れられた子どもたちは、一様にうっとりと眼を閉じていた。
(うひょわー。なにこれ天国!?理想郷はここにあった……)
一方でアルスはといえば、先程からだらしない笑みにならないかよう表情筋に必死に力をこめつつ、幸せのあまり昇天しそうになっていた。
幼女達の受けを狙ってし、ひとまず姫っぽく振舞ってみるか、と無謀な挑戦を始めたのが10分前。素直な子どもたちは、このにわか仕込みの擬態に全く気付いていないようだったが、どちらかといえばアルスの理性の方が限界だった。
(幼女に囲まれてみたいだけの人生だった。ヤバい、浄化される。幸せ過ぎて、このまま……気を……失ってしまいそうだ………)
無邪気な子どもたちの笑顔に、鼻がむずむずする。そして、このむずむずが最高潮に達したとき、自分はきっと鼻血を吹いて気絶してしまうのだろう。
(うおお、ヤバいよ! ヤバいって! そんなことになれば、絶対、幼女に興奮してるのバレるって!ヤバい人扱いになって実習どころじゃなくなるって!)
手遅れになる前に幼女から距離を取らなければと思うが、しかしまあ、目をきらきらさせて近寄ってくる幼女たちは可愛い。それをこちらから引き離すことなどできようか?いや、ない。
これで夢のひとときは終わりなのかと思うと、涙がちょちょ切れそうである。残念に思いつつ、アルスはひとまず、この光景を脳裏に焼き付けることを努めはじめた。
そうして、とうとう限界に達しかけたその時。
「いつまでそうしているのだ!さっさと食べんか!」
「そうだよ、お前達。いつまでも片付かないだろ」
ぎょっとした様子でアルスから離れていく子供達。怒鳴り声をあげる男爵に不満の眼差しを向けつつも、各自席へ戻っていく。
(た、助かった……幼女に怒鳴るのはよくないけど、今回ばかりはありがとう男爵!)
☆子供達の世話
「それでは、遊びの時間ですね。ミリス院長から内容は任せると言われているので、もってきた絵本を読もうかと思っているのですが、みなさんそれでいいですか?」
「わーい!絵本なんて初めて見ました。どんな話なんですか?」
「私たち字が読めないから、読んでくれるの嬉しいです。」
「字が読めませんか……でも大丈夫、もってきた絵本はみなさんに差し上げますよ。勉強して自分でも読めるようになれは、きっともっと楽しいですよ。」
ミリスは感嘆のため息をついた。どうやら少女は遊びに関連して識字教育を行ってくれるつもりらしい。なんとありがたいことだろうか。
無学な者は損をする。損は人を貧困に。貧困は無学を。
下町で続いてきた負の連鎖を、断ち切るつもりなのだ。
彼女も識字の大切さはわかっていたが、絵本は高級品であり、その日を暮らすのが大変な孤児院では購入することができずにいた。なんとそれを惜しげもなく寄附してくれると言う。
「服屋のおじさんは、小人のことを思い出しながら今日も素敵な服を作るのでした。『小人の服屋』おしまいです。」
「面白かったー。私も素敵な服を作ってみたーい。」
「私もー、あとね、着てみたい!」
「では、後で教えてあげますね。持ってきたドレスを差し上げますから、一緒に、みなさんが着れるサイズに仕立てなおしてみましょう。」
子供達から大歓声があがる。教育のためとはいえ、最高品質のドレスまで惜しみなく寄付をして裁縫技術まで教えてくれるとは。
「アルスメリア様……」
次々と思いもよらぬ切り口を提示してくる少女の名を、ミリスは思わず呟いた。服飾関係の技術があれば、非力な女性であっても将来の働き口を確保しやすい。
針子の内職ならば、雨の日も雪の日も関係なく臨めるし、なんといっても屋内でできる。子供達の健康を考えると、これは大変重要なポイントであった。
少女は孤児院に物資だけでなく、働き口を手配することで、その援助を確固たるものにしようとしているのだ。
魚を届けるよりも魚の釣り方を教える――支援のあるべき姿だ。
それを、孤児の就業支援という側面ではなく、絵本や綺麗な洋服と言った興味のあるものに落とし込むことで、押し付け教育ではなく、遊びの一環として楽しく学ばせようとしているのだ。
そこまでざっと思考を巡らせたミリスは、尊敬の念を抱いた。
――――実際のところは、アルスが絵本を用意したのは幼女の気を引くためであり、ドレスの譲渡だって、綺麗な服を着た幼女がみたいだけなのだが――――しかも用意したのはフローラとサウロスだし、自分にとって不要なものを譲ったに過ぎないのだが――――それに気づくものはいなかった。