7話 アルス、実習指導者に会う
一日お疲れ様でした。
お待たせしました、どうぞお楽しみ下さい。
「ミリス院長よ、くれぐれもわかっているな?」
神経質に念押ししてくるハゲ散らかした男に、内心で嘆息しながら答える。
「わかってますよ、男爵様。実習だからと言い訳できる範囲で、少女を苛めてとりみだれさせろ、男爵様からの指示とは言うな、達成の暁には大銀貨三枚を孤児院に寄附、ですよね。」
貧民街にあるミリス孤児院の院長室で 50歳台半ばの男女が話し合っていた。一人はナインデス男爵。一人は院長のミリスである。
実習生の評価者となったナインデス男爵は、アルスメリアへパワハラを行い、冷静さを失わせることで罵り言葉を引き出し、それを誇張することで彼女を貶めようと画策した。
しかし、アルスメリアと仲の良いミスリルヘルム伯爵令嬢の従者が、監視兼護衛役としてついてくるなど、警戒されているので孤児院側の力も借りて上手く行う必要がある。そこで、金銭をちらつかせることで孤児院の指導役と結託していた。
孤児院を運営している身で年頃の少女をいたぶるなど正直気が進まないし、理由も下らない権力争いだという。しかし、ミリスにとって大銀貨三枚は大金であった。ひもじい思いをしている孤児達を、しばらくの間腹いっぱい食べさせてあげられる。
傷つける対象が王立学院の生徒ということをきいてからは、決断は早かった。きっと権力争いに負けたところで、衣食住に問題がでるようなことにはならないだろう。なに、ほんの数日辛い目にあってもらうだけだ。
「それで、噂のアルスメリア様はそろそろ来る頃ですかね。ああ、いとも尊きアルスメリア様。哀れで無力なあたしたちのために、どうか犠牲になっておくれよ」
ミリスが傲岸不遜に言い切ったとき、扉の向こうから静かな足音が聞こえた。二人はさっと視線を交わし合う。
「来たな」
「ああ、さっそくやらせてもらうよ、男爵様。ま、相手はお貴族様なんだし、ここでの生活なら普通にしていても癇癪おこしそうな気もするけどね。半日もたないんじゃないかい、その子?」
など、にんまりと笑ってみせたのだが――
「失礼します」
静かなノックののち、すっと小さな足を踏み入れてきた少女を見て、二人は言葉を失った。
真っ先に目に飛び込んできたのは、明るく輝く、黄金色の豊かで美しい髪。
こぼれそうなほど大きな瞳は、まるで宝石のように美しく、可憐な唇は陽光のもとほころぶ薔薇のようだった。
睫毛は溜息が出そうなほどに長く、少女が瞬きするたびに淡い影を落とす。
均整のとれた肢体に、背筋の伸びた手本のような立ち姿。
シンプルな旅装も、少女の清貧な美しさを際立てるようでありため息が出るほどだった。
その背後には容姿端麗な黒髪の従者が控えておりそれも含めてまた、実に絵になっている。
「せ、精霊様……?」
先ほどまで悪巧みをしていたミリスだが、ついそんな呟きを漏らす。
そう、その人間離れした美貌と金髪は、見る者に光の精霊を思い起こさせた。
思わず、少女にくぎ付けになってしまっていたが、隣のナインデス男爵をこっそりと小突かれ、はっと我に返る。
(……こりゃ、手ごわいね)
内心ではひそかにそんなことを思う。軽い気持ちで引き受けてはみたが、実際にあってみれば、こんなに美しく、いたいけな少女をいたぶるなど、それだけで精神的にためらわれた。
だが――
(だが、仕事は仕事だ。悪く思いなさんなよ)
ミリスはぞんざいに一礼すると、早口でまくしたてた。
「ようこそミリス孤児院へ。わたしは院長のミリス、教育係を務めます。こちらは試験官のナインデス ブラックタガー男爵です。明日より始まる三日間の教育実習の間、あなたに付くこととなります。ただし、わたしどもはあなたの使用人ではない。よって、あなたの世話はいたしません。ゆめゆめ、はき違えることのなきよう」
「貴方は、孤児院の労働者として、すべてを自力で賄うよう心得て頂く。従者の方ができるのは身辺警護のみだ。わたしどもはあなたにいくつかの指示をするが、それはすべて仕事の段取りとして必要なものなので、あしからず」
意図を悟ったナインデス男爵も、冷たい口調かつ、かなりの早口でまくし立てる。若干聞き取りづらいくらいのスピードだ。
貴族として、丁寧で優雅な会話に慣れ親しんだ少女ならば、面食らってしまうだろう。気が弱い者なら、これだけで取り乱すこともあるかもしれない。
が、しかし。
「ナインデス男爵に、ミリス院長ですね。わたしは、アルスメリア エル ウィザードと申します。こちらは従者のエドワード ショートソード、至らぬ点もあるかもしれませんが、なにとぞ、ご指導のほどよろしくお願いします』
にこやかに返された。
冒険者時代の依頼主は、もっと早口で、べらんべぇ口調で怒鳴る様に話すものも多い。ミリス達の口上は、アルス基準だとむしろ丁寧な部類とも言えた。
(なかなかやるね、この子……少々気を引き締める必要がありそうだ!)
素早く視線を交わし合い、ミリスたちは想定難易度を引き上げる。ミリスはこほんと咳払いすると、次の策に移った。
「……では、さっそく、部屋へ案内します。先に言っておきますが、ご覧の通り、ここは、貧しい孤児院なので、客室と言うのがありません。外にある物置小屋のスペースを空けましたが、暗く、手狭で、手入れも行き届いておりません。しかし、異議は認められません。そこで三日間、お過ごしいただくこととなります」
そうして、窓から物置小屋を指し示す。
顔には高圧的な笑みを貼り付けて、わざわざ嫌な点をわかりやすく教えてやった。視界の端で従者が眉を寄せるのがみえる。これで少女の不快感を引き出せたならこちらのものだ。
何か文句でも出たら、「おや、こちらとしては精一杯の準備をしたのに、ご不満ですか」とさらに畳みかけてやろう。
「繰り返しますが、あなた方の常識と異なることがあっても、それはすべて、ここでの生活や仕事を知るための実習の一環で――」
「ああ、よかった!」
だが、冷ややかな声音で告げようとした言葉は、ぽんと軽やかな拍手で遮られた。
「――……は?」
「ありがとうございます。ご配慮いただけたようで、とても嬉しいです」
冗談かと思って相手の顔を見つめるが、少女は嘘偽りなく、実に嬉しそうに微笑んでいる。ナインデスが少し口の端を引きつらせながら、繰り返し指摘した。
「……あのな、アルスメリア嬢?こやつらは物置小屋を少々片付けただけだぞ、それを嬉しいご配慮と言うのは皮肉かね?」
「いえいえ、大変助かります。最近は暑い日が続いているというのに、お忙しいなか倉庫を片付けるのは大変だったでしょう?温かなご配慮を感じます。」
冒険者時代は、部屋はないから馬小屋に泊まれとかも当たり前だった。臭いしウマに踏まれそうで危ないし……わざわざ泊まるところを用意してくれるなんて、ありがたいことだ。
まさかそんな風に捉えられるとは思わず、ミリスとナインデスは目を丸くした。確かに倉庫を片付けるのは少々大変だったが、まさかそこを拾いあげて感謝されるとは。
だが、このまま引っ込んでは、スラム女の自負が泣く。
こんな箱入りのお嬢ちゃんに、散々苦労してきた自分が打ち負かされるなど、あってはならないのだ。若干の悔しさもあり、敬語がおろそかになりながらも問題点を念押しする。
「暗く手狭なところなんだが、それは問題ないのかい?学院寮のような明るくて清潔なところじゃないんだよ」
「そういった部屋で寝泊まりするのは慣れていますから。むしろ多少暗くて手狭な方が、私は落ち着くのです。なので、全く問題ありませんよ。」
これも本当だ。悲しいかな長年の習性、冒険者として普段寝泊まりしているレベルの部屋が1番落ち着くのだ。
ミリスの目論みは、またもや外されることとなった。暗くて手狭な方が慣れているとはなんなんだ。豪華な部屋で贅沢三昧している貴族ではなかったのか?
あげく少女は、同性でもどきっとするような美しい笑みを浮かべて、臆面もなく、こう言い放つではないか。
「実は、実習指導者の方々はどんな方だろうかと、少し心配もしていたのですが、こんなに優しい方に恵まれて嬉しいです!」
ミリスたちは、ばっと音が鳴るくらいの勢いで顔を合わせ、またも視線を交わし合った。
一体なんなんだい、この子!
彼女たちの「仕事」は、なかなかに難航しそうであった。