11話 アルス、男爵と話す
エドワード
ミリス院長
孤児院の子供達
年齢も性別も立場も違う彼らは、しかし今、全員が愕然として少女を見つめていた。理不尽から子供をたすけるため、自らの将来を犠牲にして、平然と男爵へ手を出した少女のことを。
「――さあこれで私は退学ですね。それはさておき男爵、彼女への折檻は考えなおして下さいますか?」
やがて少女が、可憐な声で告げる。
平手打ちをくらい、呆然としていた男爵は、その声ではっと我に返り、しかし、それでも動揺を隠せずに、「あ、ああ……」とただ呟いた。
アルスメリアは、折檻を受けそうになっていた幼い少女に視線を向けると、にこりと微笑み、
「良かった、貴方は悪くないですよ。折檻はなくなりました。」
そんなことを口にするではないか。
その佇まいに、侵しがたい気品と気迫を感じ取ったナインデスは、珍しく言葉も忘れて、ただこの美貌の少女を見つめた。
いくつもの視線を引きつけたまま、少女は優雅な足取りでテーブルを離れる。
そして、やはり呆然と立ち尽くしている周囲に向かって一礼した。
「みなさん、3日間にありがとうございました。私は退学となったのでこのまま失礼して、近くの知人のところにいきます。大丈夫なので、どうか心配しないでください」
「なん……だと……?」
ナインデスの声が、掠れる。
しかし少女は微笑んだまま、ハンカチをとり出し、優しさすら感じさせる手つきで、ナインデスに手渡した。
「貴方の言うところの、失う恐怖は私にもわかります。しかし、今回のことで、本当に大切なものが失われるわけではありません。」
嘘偽りのない声で、きっぱりと言い切った少女に、誰もが息を飲む。身動きも取れず、全員が釘付けとなって二人を見守る中、彼女はナインデスの両手を包みこみ、にこりと笑みを深めた。
「そして仮に自らの意思でそれを全てを放棄したとしましょう。……実は私と親しい人が男爵とおなじ立場になったとき、実際にそうしたのですが……新しく何が彼の手にはいったかわかりますか? それは──解放感と、選択の自由です。」
(今後さらに失うかもしれない恐怖とか言ってたが、つまり抜け毛が怖いってことだろ?頭に水をかけられて過剰に怒ったし。でも、水がかかった程度でごっそり抜けるわけないんだよ、ちょっとナーバスだよなぁ。)
アルスも若はげで悩んでいた時期があるから気持ちはわかる。だが、いっそのことと、思い切ってスキンヘッドにすると解放感があり、抜け毛を気にしないで頭部の防具の自由度もひろがった経験があるので、それを軽くアドバイス。
それはそうと、貴族に手を出すのはやっぱりまずかったか?
とりあえずご機嫌とりにハンカチ渡して笑いかけてみたけど。
「しかし……。そいつは……いや、その方は本当に自ら手放したことを後悔していないのか……」
ナインデスは呆然としながらも、なんとか言葉を掻き集めて反論しようとする。
だが、アルスはきっぱりとそれを否定した。
「もちろん。彼にはもっと優先したいものがありましたから。でも、自分の心に素直になれば……男爵もいつかそれを見つけるはず。」
「ワシにも、見つけられるだろうか……」
「大丈夫!例え今あるものを失おうと、貴方は貴方ですよ。自分だけの価値あるものを、見つけて下さい。ね?」
もちろん優先したかったのは幼女と仲良くすることだ。
育毛剤にかける金があるなら、菓子を買って幼女に話かけ、通報されるのがアルスの生き様である。自分の心に素直な男なのであった。
ナインデスは心のなかで先程の少女の言葉を反芻していた。
アルスメリアは、地位を失おうと、本当に大切なものが失われるわけではないと言った。それは間違いなく、誇りのことだろう。
思えば彼女の両親は、大貴族から平民に墜ちてまで王国の腐敗にメスをいれたのだ。親しい人とは間違いなく両親のことで、優先したのは政治腐敗に苦しんでいた民だ。
求められるのはただ無事に、家を存続させること。
ナインデスは幼い頃からそう教育されてきた。そしてそれを今まで、ある程度はうまくこなしてきたのだ。――誇りや強い意志と、引き換えに。
貴族の権力を無くした時に、自分がカラッポになってしまうことを、ナインデスは心の底から恐怖した。
それを必死に押し殺し、不正に加担してでも、それで家名が守られるのならばと、今までは自分を納得させていたのだ。
しかし少女は、恐れるなという。
大丈夫だと。そのままでいいよと。例え権力を失っても、あなたにはあなたの、価値があるよと。
それはなんという、力強い、絶対的な肯定であろうか。
(そうか……)
そうして気付く。
自分は、「受け入れられたかった」のだと。
家柄とか権力とか、そんなものを取っ払った、ただ一人の、ナインデスという人間を、誰かに受け入れてほしかった――。
(まったく……)
思わず苦笑が漏れる。何と甘えていたことか。
そうして自分の心に素直に問いかけると、本当にやりたいことはすぐに見つかった。
(彼女には、感謝してもしきれんな……)。
止まっていた時間が動き出す。
長年のドロドロした権力闘争により、疲れ切っていた心に、温かいものがひろがっていく。世界が鮮やかに色づいていくのを、彼は感じた。
片膝をつき、胸に手をあて、少女に頭を下げる。
大貴族に対し、忠誠を誓う貴族の礼だ。
「ありがとうございました、アルスメリア様。ワシは……いや私は目が覚めました。今後は、誇りを持ち、正直で後悔のない生き方をすると誓います!」
そういうことになった。




