ゴッドハンドクロノ死す
夕暮れになると酒場には依頼を達成した冒険者や、ハゲの飯を目当てに続々と人がやってくる。受け取った報酬でとりあえず一杯、というサイクルが確立しており、賑わいは増すばかりだ。
そんな酒場の隅で、傷ついた人々を格安で癒やす男が居た。伝説の治療師……その名は、ゴッドハンド・クロノ。光り輝く右手が、痛々しい傷をあっという間に消し去ってしま……。
「えっ? 触らなくても【ヒール】はかけられる?」
「おう。よほど離れていないなら大丈夫だ」
患者さんに意識を向けて【ヒール】を唱える。するとなんということでしょう。癒やしの光が患者さんを包み込んだのです。痛々しい傷あとは、赤い線をわずかに残すだけとなったのです。
(ゴッドハンド・クロノは最初の患者で廃業かぁ)
「まだヒリヒリするからもう一度頼むよ」
ワンモアヒールで完治させ、お代に中銅貨3枚を貰う。まともに治療してくれると分かったのか、患者さんが並び始めてちょっとした行列になった。
怪我をしているならポーションを飲めばいいじゃない。そう思ったのだが、アルバで売られているものは大半が下級なので、安いけれど効果が弱くバラツキもあるとか。安心安全のヒールを求める患者さんは多いようだ。
「次の患者さんどうぞー」
こんな楽に稼げるなら最高のバイトだ。しかし、そう甘くないのがこの世界である。【ヒール】を4回ほど使うとMP不足による吐き気が強くなる。支給されたマナポーションをグイっと飲み干し、治療を続けた。
(あー、しんどい……)
行列を片付けても、まばらに患者さんはやってくる。先程の食事と、マナポーションで胃袋がはち切れそうだ。マナポーションを飲んでも飲まなくても吐き気との戦いになる。
(防具のために頑張ろう……)
こうして患者さんと接すると、やはりまともな装備を着用している人が多い。駆け出しっぽい子でさえ、中古の皮防具で胴体や急所を守っている。ノーガード戦法を取っているのは俺くらいなものだ。
(あぁ、防具が欲しい……)
治療を終えた俺の手元には、合計で銀貨3枚ある。これなら防具屋で中古の皮装備一式を買える。だが、あれはとにかく臭かった。新品を買いたいが、お高いのである。
(もうちょっと貯めよう。持ち金がそのまま選択肢になるし)
翌日、早朝から酒場で待機することにした。客足のリサーチが目的である。早朝の客足もなかなかなものだ。平気だと思っても痛くて夜に眠れなかった人だったり、出発前にHPを全回復したい人のようだ。
昼時などの半端な時間は、客足こそ少ないものの、目を背けたくなるような重症患者の比率が多い。怪我をして依頼を断念したからだろう。何回もヒールをかけることになったが、追加支払いの申し出はお断りした。
(ポーション使い切るほど頑張っても、怪我して撤退したときに戦利品を落としたんじゃ、今日はタダ働きってことだからなぁ)
ヒールで怪我を治しても、失った血は戻らない。重症の状態でギルドまで歩いて来たのだから、血を流しすぎている。少なくとも今日は宿に帰って休むしかないのだ。
出血状態になるとHPが減るのは分かるが、MPも減るらしい。血にマナが宿っているのは盲点だった。出血は怪我が原因によるものなので、ポーションやヒールでも治せる状態異常ということになる。メディックだと単純に止血するらしい。
(ソロって厳しいな。戦いの中でポーションを飲む余裕があるとは限らないし。いや、点滴しながら戦闘すれば……想像するだけで絵面が酷い)
次の患者は怪我をしている様子はないが、顔色が悪く、吐血もしている。よく見ると左腕に刺し傷があり、周囲が黒く変色している。
「ど、毒を受けちまった……ヒールとメディックを頼む……」
「メディックはまだ習得していない。誰か、毒消しをくれ!」
毒はHPが減り続ける状態異常だ。メディックか毒消しで治せる。毒が弱ければ時間経過による自然治癒も可能らしいが、正直御免である。他の冒険者が毒消しをくれるまでヒールで時間を稼ぎ、なんとかなった。
(うわー、毒消しを用意しても戦闘のときに叩き壊されたら意味ねぇな。鋼のポーチとかあったりするのかなぁ)
俺のサイドポーチも、元はマジックバッグだと言っていた。戦闘で壊れたものから、まともな部分を切り出して作られたのだろう。
(このバイト、治療費以上に得るものが多いな。吐血しながら町を目指すなんて、おじさんやぁよ)
いずれも体験すればすぐに覚えることだが、先に知っておいたほうが良いに決まっている。生きる。それすなわち凶事への備えなのだ。
日暮れ前に軽い夕食を済ませ、また治療を続ける。女の子二人組みにヒールをかけたとき、強烈な快感が俺を襲った。レベルアップである。
「うわっ、今の顔、見た? ぶっさ……」
「ちょ、ちょっと止めてよ! 夢に出るでしょ!?」
(慌てちゃって、可愛いなぁ)
俺は非常に満足したが、女子からの抗議は止まらない。こういうときは、魔法の言葉を唱えるに限る。
「生理現象だから仕方ないねぇ。そのお詫びにメディックかけてあげようか? もちろん、今回だけ特別に無料だよ」
「ラッキー! お願いしまーす。レベルアップおめでとー☆」
決まったァーッ! 強烈な札束ビンタァ! どこの世界であっても、魔法の言葉の効果はばつぐんだ。
その後は、【ヒール】【メディック】セットを大銅貨1枚に設定して、ギルドが閉まるまで治療を続けた。初日より時間効率は良くないが、素晴らしい一日だった。
まとまった金を手に入れた俺は、さっそく防具屋に向かった。金を貯めるつもりだったのに、我慢出来なくなってしまったのだ。真剣な目で見つめるのはローブではなく、皮の鎧コーナーだ。
「店長さん、中古の皮防具一式、まだ残ってますか?」
「あるよ。臭いから店頭には置いてないけど。クリーニングもする? 銀貨1枚だけど」
「クリーニングはいいです。防具一式だけで。それと、この小盾もください」
木と鋼から作られた円形の小盾は、金属のみで作られた盾と比べると頼りないが、軽くてそこそこの防御力がある。なにより、安いので壊れたら使い捨てられるのがいい。攻撃を受け止めるのではなく、致命傷を防ぐものだ。
金属の盾は重いし、高い。使い続ければ修理が必要になり、維持費もかかる。
装備一式の総重量を考えると、円盾がベストだと思った。
「もう戦士にしか見えないな。防具一式含めて、銀貨4枚ね」
悪臭漂う防具と小盾を受け取り、ひとまず宿舎の風呂場に持ち込み、皮防具の洗浄に取りかかる。
「【ウォーター】」
皮を水洗いすると痛むので、普通は悪手だ。しかし、この装備は上質なものというわけではないし、一度洗っただけで壊れることもない。こいつも使い捨てるために買ったものだ。
「うわぁ……水が真っ黒だ……」
洗浄が済んだら部屋に干して、再び外出する。時間もあるし観光しよう。ぶらぶらと歩いて町の景色を見たり、馬車が走っていることに感動していると、もうすっかり夕方になってしまった。そして、道に迷った……。
(ここ、どこだーっ!?)
迷った場所が悪かったのか、周囲は暗く人通りもなかった。現代の明るい夜がちょっと恋しい……。
「あっ、あの! 宿をお探しですか!?」
袖口を引っ張ってきたのは、少女だった。
「……お嬢ちゃん、家出かな? ここは危ないから早く家にお帰り。迷ったのならおじさんと一緒に迷子になろう」
「はたちなんですけど!?」
(いやいや、こんな赤いかばんが似合いそうな20歳とか居ねぇから)
「迷子って素直に言えないお年頃なのかな?」
「本当ですってば! ほら、これ見てくださいよ!!」
少女はしきりに耳を指さしている。よく見ると、少し尖っている。これは亜人の身体的特徴だ。
「尖った耳……ちっこい背丈……金髪……ひょっとして、小人族?」
「ですです。そんなわけで、宿をお探しならぜひうちに! い、今ならせーるですよ」
セールの発音が怪しい。定価だろう。小人族は名前の通り成人しても身長が小さく、体も弱い。元は森の民で、今は各地に散らばっているらしい。貧相な体つきから、この世界では弱い種族らしいが……。
「……おじさん、こんな顔だけど大丈夫かな?」
少しかがんで、少女に顔をぐっと近づける。悲鳴を上げそうになったので、慌てて口を抑えた。この光景を誰かが見たら俺は一発でアウトだろう。
「……だ、大丈夫ですよ。ににに、人間は顔じゃないですから……ははは」
「驚かせたのは謝るけど、おじさん道に迷っちゃって。ギルドに戻りたいんだけど、道を知ってるなら教えてくれないかな」
「なるほど。お困りのようですね。一泊してくれるなら、教えます!」
「そんなー! 人の弱みにつけ込む人間の鏡!」
少女に連れてこられたのはスラムだ。スラムの中ではまともでも、アルバの中では治安が悪いから近づくなと言われている。誰かタスケテ。
「お兄さん、ここからは腕を組んで歩きましょう。はぐれたら大変ですよ」
「分かったよ。それと俺の名前はクロノ・ノワール。ほら、呼んでみて」
「ブサイクロノ……!? なにこれ……ごめんなさい……」
笑顔だった表情はすとーんと曇った。うむ、これはこれで良いものだ。
「おじさん呪われているらしくてねぇ、名前を呼ぼうとすると、そうなるんだ。だから君が悪いわけじゃないけど、止めておくなら今だよ」
ネガティブワードで危険地帯からの脱出を図る。我ながらいい作戦だ。
「そうだったんですか。大変ですね……お名前、どうしましょう?」
「えっ、呪いだよ? 近づいたら呪われるかもよ?」
「伝染する呪いなんて聞いたことないですよ。早く解けると良いですね」
(こ、こいつ……良い子ちゃんか!)
「ありがとう。俺のことは、おじさんと呼んでくれるかな?」
「おじさんですね。私は、パミラって言います。みんなはミラちゃんって呼ぶんですよ」
「ミラちゃんかぁ。可愛い名前だねぇ。宿はどこにあるんだい?」
「もうすぐ着きますよ。ほら、あれです」
到着した店は、あまりにボロい。隙間風が新鮮すぎる空気を運ぶし、夜風でがたがたと揺れている気がする。ちょっとぶつかったら、倒壊しそうな気配すらある。
「いらっしゃい……げぇっ!?」
死んだ魚のような目をして頬杖をついていた受付の女の子は、顔を歪めてのけぞった。この子も小人族だ。
「ティミちゃん、お客さんに失礼でしょ!」
「きゃ、客ぅ……? ゴブリンじゃなくて……?」
この子には俺がゴブリンに見えるらしい。ここは紳士的な挨拶をキメて、友好関係を結ぼうじゃないか。
「おじさんは、迷子なんだ!」
「ミラ……あんたもうちょっと客を選びなよ……」
「ティミちゃんってば! 一泊で中銅貨1枚です。ごゆっくりー」
全室空室らしいので、とりあえずまともそうな部屋に入った。ベッドもとびきり硬そうだし、目覚めたら背中が爆発していそうだ……。
人の道に迷ってるんだ!