序章 紛争のない町
今日も何も起きなかった。
昨日も何も起きなかった。
そういえば、一昨日も何も起きなかった。
何も起きないこの町。
明日も何も起きないだろう。
フアンズは、嫌気がさしている。
何も起きない、紛争のない町、ステッター。
フアンズは、何も起きないことは、素晴らしいことと解釈していた。
幼いころから、世界でも有数の平和の町です、誇りなさい。と、この町の教育に、教えられてきたからだ。
とくに疑問は感じなかった。世界で一番平和の町とステッター目指し、はるばる移り住むにくる人々もいたし、町の人々は誰しも笑顔で、いつも空は青々と輝いているようにもみえていた。
やがて、フアンズは、知性と知識を得るたびに、この町のおかしさに気づくようになった。
変化がない。
フアンズの小さなころから、かれこれ、二十年近く、何ひとつ変わっていない。
もちろん、新しい命は生まれるし、見知らぬ人々を受け入れる。それでも、何も変化はない。
変化があるとすれば、ただ、全てが年を重ねていることだけだ。
年を重ねることによる変化は、老獪、経験、懐柔、卑屈を深めることに等しい。
つまり全ては、死にゆくために、生きている。
フアンズは、気づいた。
フアンズだけが気づいたのかは、わからない。
フアンズは気がついた、だから行動を起こす。
フアンズは迷っている。
誰に、この作戦を披露しようか?
「ワース……。やっぱり、ウチの兄貴……」
ワースは、フアンズの兄。強いものにも強いし、弱いものにも強い。頼もしい兄であるが、フアンズも弱いものだ。ときに、やっかいな年配者である。
「ああ、ダメだ。ダメだ。あのワースが、オレの意見なんて、聞いてくれるわけがない」
いつもは、お兄さんとか、兄貴とか、卑屈に敬称で呼ぶが、影では、呼び捨てである。
「まあいいや。とりあえずは、やっぱり、あいつかな…」
フアンズは、のっそりと、家から出ると、天に向かって、ぱちんと指を鳴らした。すると、庭の土が盛り上がり、中から巨大な車型のマシンが浮かびあがっている。
このマシンの名前は、セーザーブラミディール
略してセーザーVと呼ばれる奇怪なマシン。
屋根はなく、球体に近い形状で、全身銀色のボディが眩しい。
いつからフアンズが、このマシンを所有しているのかは、今はわからない。ただこのマシンは、とえもじゃないが、フアンズの経済力で買える品物ではないことはハッキリしている。
「近場だが、セーザーVに乗り込もう」
近場? そう、フアンズの向かう先は、ごくごく近場なのである。
「セーザーVは、どんなときも、勇気を与えてくれる」
勇気が必要? そう、フアンズは小心者なのである。
ただ仲間を誘うだけなのに、勇気がいる。
セーザーVの運転席に乗り込むと、周囲を、ゆっくりと、薄い半透明のシールドが、フアンズを包み込む。
当然、シールドは不意の事故から、運転ぬしを守るが、法律からも守る。
紛争のない町は、厳しい法律に守られている。
ただし、セーザーVという、奇妙なマシンに関する法律はない。
自動車のようで、自動車ではない。マシンの、どこにも車輪などないし、道交法で、罰されることもない。
なぜなら、浮いているのだから、道路の上を通り過ぎる物体に過ぎないという理屈である。
セーザーVは、操作技術などいらない、意志だけで動く。動けと思えば、エンジンは唸り出すし、右に曲がれと思えば、右に曲がるし、オレのこと好きだよな? と思えば、マシンと両思いになる。
もちろん、スピードだって意志のままだ。
セーザーVは、あらゆるものより速いと、フアンズはいいきる。どんな車よりも、速いし、どん動物よりも速いと。陸どころか、音速の飛行物体にも勝つ自信がある。
それでも、セーザーVは、何よりも速いという実績がない。
スピードを出したことがないからだ。その必要がない町なのかもしれない。
実績がなくても、スピードを最大限抑えていてもこの速さだ、と、フアンズは自負する。
フアンズは、小心ものだ。スピードをいくらでも出せるという手応えがありながら、出さない。 一度、ワースに、それだけいうなら、出してみろ。と、はやしたてられたこともあったが、断固として、スピードを出さなかった。
ワースは、フアンズと違い、あらゆる免許を持つが、セーザーVは、乗りこなせない。ワースには、セーザーVを乗りこなす資格がないからだ。セーザーVの資格は、どんな努力をしても、取れない。限定されたものだけが、持つ才能だからである。
フアンズには目的があっても、目的地がなかった。
「って、あいつの家、どこだっけ? 就職して、実家を出たとかいうけど…。就職先は、この町だしな…」
これでは、うろうろとするだけだ。セーザーVも、減速して試行錯誤だ。
「困ったなあ……、連絡先でも聞いておけば、よかったなあ」
そのときだ、セーザーVがフアンズの意志とは、関係なく、浮き上がったのは。
「うわあ、なんだ、なんだ……」
セーザーVは斜めになり、フアンズは、慌てふためく。
はたして、セーブーVが、浮き上がった原因とは?




