六章 さまよう亡霊の群れ②
木々を抜けてくる風が、辺りを撫でていく――。
普段なら心地よい風が、今は肌に何かが触れただけで身体は強張ってしまう。
この状況をはやく切り抜けなければいけないのに、思考は先ほどの亡霊の言葉に囚われていた。
裏苑と小鬼の関係――。
禍女と小鬼が対峙したとき、小鬼は「俺は呼んでない」と答え、禍女は「本人にも訊いてみないとわからない」と答えた。
診療所で輪廻さんと小鬼が対峙したとき、輪廻さんは小鬼に対し、「あなたが話すということは、裏苑には問題がないということね」――と、言っていた。
その言い方からも、裏苑と小鬼――、二人が関係あるのは明らかだ。
もしかしたら、二人は共犯者?
僕は首を振る。
とてもじゃないが裏苑にそんなことできるわけが――――
否定しようとした際に、輪廻さんの話が思い出された。
――その少女の両親は不死の研究をしていて、あらゆる生き物の命を冒涜していました。このような両親を生まれたときから見てきた少女は、人としての心が欠落していて善悪がわかりません。
胸が締めつけられた――。
夏祭りで出会った裏苑は、優しく金魚の捕り方を教えてくれた。
十年の歳月を経て、再び出会うことができた裏苑は、僕を覚えていてくれて優しく頭を撫でてくれた。
どちらの裏苑も優しい笑みを浮かべている。
裏苑が共犯者なわけがない。
それが願望であることはわかっている。
同時にこんな考えがよぎる。
二回しか会ったことのない僕に裏苑の何がわかるのか……、途方もない長い時間のなかで生きてきた裏苑が、どんな人間かなんて知るよしもないのに――
端から見たら呆然と立ち尽くしていると思われる僕の前に、突然亡霊が現れて襲ってきた。
意識は別の場所にあったので、油断した。
亡霊が身体にまとわりついてくると、黒ずんだ何かが、胸の奥に染み込んでいく。
それは意識を内から蝕んでいこうとする感覚――
「気ヲ、シッカリ持テト言ッタロッ!」
怒気を孕んだ声が響いた瞬間、小鬼に突き飛ばされた。直後、背中に衝撃が走る。
息がつまり痛みが襲ってくる最中、手探りで背中の辺りをまさぐった。
どうやら木に打ちつけたらしい。
眼前で再び爪を降り下ろし、亡霊を四散させている小鬼が視界に入ってきた。
「ギャッ、背中ヲブツケタカ? 悪カッタナ」小鬼は亡霊の相手をしながらこちらに向かって言う。そして悪びれもなく、続ける。「オマエガ、阿保ミタイニ、突ッ立ッテルカラ悪インダゾ?」
「くっ……」
ぶつけた衝撃で、すぐに声がでない。
どうやら取り憑かれる寸前に、突き飛ばしてくれたみたいだ。
亡霊たちの思念が残ってるのか、微かに憎しみや恨みみたいな感情が僕のなかで燻っていた。
それは徐々に薄らいでいってはいるものの、気分がいいものではない。
「助けて……くれたのか……?」
やっと声がでて、小鬼に訊く。
「ギャギャッ! ソンナコトヨリ、逃ゲルゾ!」
問いに答えず小鬼が叫んだ。
小鬼に手をつかまれ、引っ張られる形で走りだす。
亡霊たちが後方で一つに集まろうとしているが、僕たちは走る――
と、そのとき小鬼の手から何かが伝わってきた。
白い靄のなか、僕は後悔でむせび泣いていた。
実際に靄がかかっているわけではなく、夢のなかのような感覚。
そこで僕はただ、泣いていた。
だけど涙を拭った手が、自分の手じゃないことに気づく。
それは華奢な真っ白な肌をした手。
胸元に銀髪のような白い髪が、重力に逆らわず垂れているのが見えた――。
ただ、ただ、後悔のなか、周囲の生きて死んでいく生き物が、自分を嘲っている風に感じられて悔しくて堪らなかった。
死ねる存在が許せなかった。
自分は死ねないのに――
死ぬためには想像もできない時間を歩んでいかなくてはいけないのに――。
とてつもない、悲しみと死ねる存在への憎しみが身体中を蝕んでいく。
僕は――
いや、この誰かは、口を開く。
「――――助けて」
と。
これは裏苑の記憶?
そこで小鬼と走っていた自分に意識が返る。
幻は一瞬の出来事だったらしい。
「今のは何だ……? 裏苑の記憶……か?」
「ギャッ、亡霊タチノセイデ、場ガ共鳴シヤスクナッテイル。ソノセイデ、一部記憶ガ共有シタミタイダナ!」走る速度を落とし、小鬼は振り返りながら汚い笑みを浮かべた。「オマエノ夏祭リデノ、甘ッタルイ思イデモ、ミセテ貰ッタゼ!」
非常に恥ずかしい。
甘ったるい記憶を見られた。
いや、そんなことより、そんなことよりも――、何故小鬼から裏苑の記憶が伝わってくるんだ?
「どうして……どうしておまえの記憶に、裏苑の記憶が存在しているんだ――?」
「ギャギャギャッ! 言ッタダロ? 裏苑ノコトナラ、ナンデモ知ッテイルト」
答えになっていないことを、判然と答える小鬼。
迫る枝を避けながら走る。
足が捕らわれそうになりながらひたすら走った――。
森の奥が、月明かりで仄かに輝いている。
そろそろ森が切れるみたいだ。
森を抜けると、小高い丘に洋館が建っているのが見えた。
こんな田舎にそぐわない異質な雰囲気を放っている。
夜空には煌煌と満月が浮かび、それらの異質さを、より一層助長していた。