六章 さまよう亡霊の群れ
◇
葉の擦れあう音と、虫の鳴き声が染み渡る夜の森を、小鬼と走った。
診療所に隣接した森――
神楽坂家は、ここを抜けたさきにあるという。
闇が滲み――、
月明かりが僅かしか届かない場所で、小鬼と二人きりだなんて寒心に堪えない。
――いや、一人と一匹か?
そうなると、禍女も助数詞は『匹』になるのかも。
そもそも鬼の助数詞がわからないのだが、こんな話を禍女にしたら噛みつかれそうだ。
「なあ、もう終ってたりしないか? 禍女たちが出てから一時間近く経ってるぞ?」
並走している小鬼に話しかけるが、走りながらなので息苦しい。
「ダイジョウブ……マダ、始メテナイ」
「何でわかるんだ?」
「ギャッギャッ……イツモ、イツモ、アイツラハ思イ出バナシニ花ヲサカセテカラ始メルンダヨ!」少し間をあけてから、したり顔で小鬼は言い続ける。「マア、ソレモアルガ、裏苑ノコトハオレガ一番ワカッテイルカラナ。何処二イテモ、何ヲヤッテイルカナンテ瞭然ダゼ?」
自信に満ちた声で、小鬼は判然と答えた。
小鬼は裏苑の何なのだろう。
関係があるのは間違いないだろう――が、
知ってはいけない気がする。
深入りするなと言った、憂いを含んだ輪廻さんの表情が脳裏に浮かんだ。
頭を振り、疑問を振り払いながら走ることに集中する。
だが、夏の暑さも手伝って、体力が削られていき、次第にペースは落ちていった。
小鬼は黙って速度を合わせてくれている。
気を使わせているのかもしれないと横目で小鬼を確認した。その瞬間、木の根っこに足を引っ掛けて転びそうになり、僕は立ち止まってしまった。
すると小鬼も一緒に立ち止まり、黙ったままこちらのようすを窺っている。
どこかの誰かさんとは大違いだ。
そのとき、眼前に月の明かりではないもやもやとした光が目に映った。
枝に絡み、葉に絡んで蠢動している光――、
うすら寒い空気が辺りを包みだす。
「亡霊カ――、夏ノ風物詩ダナ! ギャッギャッ! 笑エルゼ!」
「亡霊……!? あの光がか!?」
笑えない。
声が裏返りそうになった。
そして、断じて亡霊が夏の風物詩だなんて認めない。
「ソウダ。ビビルホドノ、相手ジャアナイゼ? 奴等ハ、ドウセ何モデキハシナイ。タダ、恨ミヤ憎シミヲ、呪文ノヨウニ繰リカエスダケシカ脳ガナインダカラナッ!」
もやもやとした蒼白い光が虚空に線を引きながら、笑う小鬼に近づき、球体に近い形状をとる。
およそバスケットボールぐらいの大きさ。
「ガゴぎギ……グゲ……、恨めシい…………、オ前に、コロ、こロ……殺さレた……タ――!」
それはノイズが交じったような声で、周辺の空気を震わせながら小鬼に向けられた。
――恨みの言葉。
亡霊の言葉は氷を纏ったかのごとく、ひんやりと周囲に広がっていく。
「ギャギャッ、メンドクサイ奴ダナ。鬱陶シイ――オレハ、オ前ノコトナド覚エテナイ」
涼しい顔で小鬼は毒突く。
「ガァああァアぁ……あああアアあッぁァアアああああアアアアアアッ――――――!」
小鬼の言葉を受け、亡霊は憤怒したかのような叫びを発っした。
全身が粟立ち、吐き気までしてくる。
禍女もそうだったが、相手を挑発するようなことはやめて欲しい。
もっと、周りにいる人のことを考えて欲しい。
切実に思う。
球体だった亡霊は、見るまに様々な顔に変化していく――――
「痛い……!」
「ぎ……ぎっ」
「どうして殺されたの? 家にご飯があるから、はやく帰らなきゃ行けないのに……ママ……帰りたいよ……」
「足が痛い……!」
「ああ……、家族が心配じゃ…………」
「痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い痛い」
「死ね!」
「いいことないし、死んじゃおっかな……なんか、どうでもいいし」
「あいつは、……笑いながら俺の頭を…………割……」
「悔しい……あたしは殺されることなど、何もしてないのに……! 悔しい! 悔しい! 悔しいっ!」
「げ……げっ……いだっ……ぐげっ」
「あーあ……、崖の上なんかで遊んでなければよかった……やっぱり、落ちるときは落ちちゃうんだなぁー」
おぞましく変容していく顔は、様々な恨み辛み、後悔や自責の念を吐きだしていた。複数の亡霊が重なりあっているのか……、その形容しがたい姿に気圧されてしまう。
「集合体……カ、スコシ厄介ダナ……」
小鬼は珍しく苦虫を噛み潰したような顔をした。
「おい……大丈夫なんだろ? さっきびびるほどの相手じゃないって言ってたもんな……?」
常時笑っているイメージがあるので余計不安になる。
直後、亡霊は見覚えのある顔に変わっていた――それは苦悶の表情を浮かべながら、何かを懇願していた。
「ああああぁぁ――、俺の腸を引っ張らないで……くれ……頼む――――ぎゃあああああああああ!」
背筋や後頭部がこわばる。
腹を裂かれ、千切られていた人――
あのときの光景が鮮明に蘇ってきた。
今の言葉は、生前の記憶なのだろうか?
だとしたら、あのとき意識があった――?
足がふらつく。
「オイ! 気ヲ、シカッリ持テ!」ふらつく僕を小鬼が怒鳴りつけてくる。「イクツモノ霊ガ集マッテイルブン、思念ハ強クナッテイルンダ! 簡単ニ取リ憑カレルゾ!」
気をしっかり持てと言われても、震えが止まらない。
恐怖が身体中を這い回っていた。
「あの亡霊のなかに……、おまえが殺した人もいるんだぞ!? さっ……さっき――おっ、おまえが……おまえが、殺した――――」
「ソノヨウダ」言い淀む僕の言葉を待たずに、小鬼は口を割り込ませてくる。そして舌打ちをした。「ナンダカ、ソノセイデ共鳴シテイルミタイダナ」
「共鳴?」
「アア、オレニ恨ミヲ持ッテイル奴等ノ思念ガ、関係ノナイ亡霊ニモ伝ワッテイル。ソノオカゲデ、全員オレヲ恨ンデルンダゼ? タマッタモンジャナイ……濡レ衣ダナ!」
吐き捨てるように、言葉を連ねる小鬼。
自業自得じゃないか。
「マア、痛クモ痒クモナイガナ。ギャッギャッ!」
嘲笑う小鬼。
亡霊たちは悔しそうに呻いている。
どっちが悪役かは言うまでもない。
「がぁ……ギィッ…………、……り、おん…………裏苑………………お前のせいで……」
裏苑――?
裏苑のせい? どうして、ここで裏苑の名前が出てくるんだ?
蠢きながら悶える亡霊の言葉に、僕は驚いた。
次の瞬間、突然跳ね上がった小鬼は、亡霊に向かって爪を降り下ろす。
爪は亡霊を四散させた。その勢いで側にあった木の幹を、その爪で深く抉りだしていた。
僕が腕をまわしても指先が触れることさえ出来ないであろう太さの幹を、豆腐のように軽々と抉っていた。
少し離れたところから見ても、それは相当の深さであることが予想できる。禍女より一回り小さいので、ここまでの破壊力を持っているとは思ってもいなかった。
とんでもない化け物だということが改めて身に染みてくる。
「ギャッ、ヤッパリ無理カ。専門家デモナキャ、コイツラは退治デキナイナ」
宙に漂う、四散した亡霊。
うねりながら、再び一つの集合体へと集まっていく様を、小鬼は忌ま忌ましげに眺めていた。