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四章 呪われた人間





 この先に夏祭りの『あの人』がいるかもしれない――。


 満月の夜に10秒しか歳をとらない人間。


 単純計算で一年に2分、あの日から十年。満月が月に二回ある日も含め、20分と数十秒しか歳をとっていないことになる。


 板張りの廊下が音をたてて軋む、全体的に古い家なのだが清潔でいて汚ならしい感じは一切しなかった。

 玄関からさほど歩かずに、裏苑が待つ部屋に着く。


 障子は開け放たれていて、廊下から部屋の様子が窺えた。

 電気はついていなかったが、月の明かりで十分視界は確保されている。

 畳の匂いを漂よわせる部屋のなかは、十畳以上で物が少ないため、実面積以上に広い印象を受ける。

 冷房器具などはなく、網戸にされたそこからは、清涼感溢れる自然の風と虫の音が優しく流れ込んできて夏の夜を演出していた。







 ちりん、と風鈴の音が一つ――そして二つ。



 その風が、部屋の中央に座っている人物の髪を優しく撫でる。



 銀髪のような、真っ白な髪が揺れた――。




 薄い灰色の瞳。


 身を包んでいる白いワンピースより、真っ白な手足が惜しげもなく晒されている。



 すべてが儚い――。




 鼓動が速くなる――。




 十年もの時が経っているはずなのに――十年もの歳月がまるでなかったかのように――あの後すぐに再開したかのように――。








 何も変わらない。






禍女(かな)。ひどいよ、いっぱい待ったよ?」


 言葉とは裏腹に優しく口許を緩ませる『あの人』。



「ごめんね、裏苑(りおん)。遅くなっちゃって……」


「そっちの男の子は、(ほむら)くんっていうんだよね? 玄関での会話を勝手に聞いちゃったの、ごめんなさい。でもその後ぼそぼそ内緒話を始めちゃってよく聞こえないし、私一人で仲間外れだよ」


 裏苑は口を尖らせて、むくれる。けれど怒っている感じはまったくしない。



「あの……久しぶりです。僕、あのとき小学校にあがったばかりで、まだ小さかったから覚えていないですよね……」


 期待半分に訊いてみる。


 禍女と輪廻(りんね)さんは、目を丸くしている。僕が裏苑を知っていたことに驚いたようだ。


 禍女は鯉のように口を開閉させながら、何か言葉を出そうとしていた。

 今の禍女の口から覗く二本の牙には、威厳がまったく感じられない。



「えっ? 裏苑と会ったことがあるの? じゃあやっぱり裏苑が呼んだんだ?」


 そんな禍女の言葉に裏苑は反応せず、不思議そうに僕を見つめてきた。



 そう――、この反応が普通だ。


 僕だけが印象に残る出会いをしただけで……裏苑には長く生きている間に、たまたま、少しだけ、僕に関わっただけなのだ。


 道端の石ころ――、

 記憶に残るほどではない。



 悲しさが込みあげてきて思わず俯いてしまった。


 そんな僕の前に、裏苑は立ち上がり移動してくる。


 そして手を伸ばしてきた。



「いいこいいこ」


 頭を撫でられた。


 僕は、裏苑より背が高くなっていたから、見上げられる形で撫でられた。


 あのときから、僕だけが成長していた――。



「こんなに大きくなっているから、全然わからなかったよ。悲しそうな顔を見たら思い出した……。うん、面影が随分残ってるよ」


 裏苑は忘れていてごめんね――と、

 あんなに可愛い男の子だったのに格好よくなったね――とも。

 嬉しくて泣きたくなってきた。



 裏苑はひまわりが咲いたように笑う。



「金魚は元気?」


 その言葉に胸が締めつけられる。



「ごめん……せっかく貰ったのに、先日死んだんだ……ずっと大事にしていたのに」


「そっか……でも、焔くんがこんなに大きくなるまで大事にしてくれてたなんて、私は嬉しいよ」


 そんな僕と裏苑を、交互に覗いてくる禍女。



「ねえ、二人はいつ何処で会ったの?」


 禍女の問いに、僕は答える。



「十年ぐらい前に、夏祭りで会ったんだけど……」


 あれ?

 地元でいいんだっけ?

 別の場所だった気もする……。


 言い淀む僕の言葉を、「そうそう」と、思い出を懐かしがるように、柔らかい笑みで裏苑が引き継いた。



鬼抜村(おにぬきむら)のお祭りで会ったんだよね。あそこはいっぱいとうもろこし作っているから、いっぱいとうもろこし屋さんが出てたよね」




 そうだ――思い出した。

 八ツ木ヶ(やつぎがはら)駅に着いたときに感じた既視感。

 それもそのはず、昔、家族と一緒に田舎の親戚の家を訪ねたことがあった。

 その田舎が鬼抜村だったかは記憶にない。だけど小さい頃、あのとうもろこし畑の前で、唖然と立ち尽くした記憶が甦る――。


 いつも食べているとうもろこしが、当時の僕にはあんなにも大きなものとは夢にも思っていなかったからだ。

 八ツ木ヶ原駅の名前にも記憶がない。

 親に連れられて来ただけだったから、何も知らなかった。本当は忘れてしまっているだけなのかもしれないが、思い出せなければ、それは知らないのと同義だ。






「金魚は羨ましいよね……。死ねて」


 裏苑より零れた言葉で、僕ははっとなる。



 呪われた人間――、


 寿命が来るまで死ねない人間――、


 満月の日に10秒しか歳をとらない人間――。



 僕は言葉を失った。


 暫しのあいだ、風鈴の音と虫の音だけが夏の夜を流れた――



「じゃあ裏苑は、焔おにいちゃんを呼んでいないのね?」


 禍女は寂しそうに、裏苑を覗き込む。



「うん……、私は化け物みたいなものだけど……一応人間だしね。禍女、遅くなったけど約束の『アレ』――お願いできるかな?」


「うん……わかった。裏苑の家にいこっか」禍女は裏苑に呟いてから、切ない表情を僕に向けた。「焔おにいちゃん、付き合わせちゃってごめんね。それから、輪廻……焔おにいちゃんを泊めてあげてくれる?」


 そう言えば、泊まるところを紹介して貰うはずだった。

 輪廻さんの家なら、いくらでも部屋が余ってそうだが……素性のしれない人間を、泊めてくれるだろうか。



「おやすい御用よ。こんな古い家でよかったら、いくらでも泊まっていってね」


 不安は空振りで終わり、頭を下げた僕に対して、輪廻さんは微笑みで返してきた。



「いこ……禍女」


 こちらの会話が終わるのを見計らい、部屋を出ていく裏苑。

 続いて廊下に出た禍女は、立ち止まってから振り返り、右手を前に突きだし人差し指をたてる。



「焔おにいちゃん! 明日来るから、まだ帰っちゃ駄目だからね?」


「あっ……ああ、わかった」


 その可愛い仕草に釣られて、つい約束を交わしてしまった。



「ふふっ、禍女は焔くんを気に入ったのね」


 からかう輪廻さんに、違うと、禍女は顔を真っ赤にさせて声をあらげた。

 生意気だけど、やはり可愛いところもある。



「二人とも、ちょっと待ってて」


 輪廻さんは言い、禍女たちを廊下で待たせると、少しして持ちやすく畳まれた青いビニールシートを持ってくる。

 そのかさばり具合から、広げれば相当な大きさになることが容易に窺えた。



「用意していてくれたんだ? あたしはすっかり忘れてたから……。『アレ』は掃除が大変だからそれがあると助かる」


 禍女は薄く笑ってから、ビニールシートを受け取った。



「『アレ』ってなんなの?」


 気になっていたので、僕は口を挟んだ。



 ビニールシートを受け取ったまま、固まる禍女。



 微笑えんだまま、口許が揺れる輪廻さん。




 あからさまに空気が変わったなか、裏苑だけが小さく笑う。





「ほ……焔おにいちゃんには、関係ないでしょ? もういこ……裏苑!」


 半ば強引に、裏苑の手を引っぱる禍女。


 関係ないと言われれば、確かにそうだ。仲良くなったつもりでいたが、まだ会ってから半日すら経っていない。


 禍女との壁を感じながら、玄関に隣接する、森のなかへと消えていく二人を見送った。




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