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三章 輪廻(りんね)




 後部座席から車内を見渡すと、運転手以外誰もいない。


 あの運転手は人間なのだろうか?


 そんな疑問が首をもたげて、バックミラー越しに運転手を窺う。

 車内には電灯がついているものの暗くてよくわからない……が、人間っぽくはある。



「どうしたの?」


 窓際に座った禍女(かな)が左側から顔を覗き込んできた。


 あまりにも顔が近くて一瞬どきっとする。

 生意気だけど凄く端正な顔立ちをしてるんだよな……何だか恥ずかしくなってきた。



「いや……何でもない……」


 僕が答えると、禍女はふうん――と、興味をなくしたのか窓のほうに顔を向けた。


 開けられた窓から風が入り込んできて禍女の前髪を舞い上げると、同時に草の匂いが僕の鼻を通り抜けていく。


「あの……その……」声がして、禍女は僕に向き直る。らしくもなく、もぞもぞしている。「さっきはありがとう……」


「えっ……何が?」



 予期せぬ感謝の言葉――禍女なだけに恐い。


「だからっ……、さっき小鬼の前に出てあたしを庇ってくれたじゃない!」



 あれか――、あのときは禍女に何かあったら……と思い、前に立ち塞がったんだ。


 すぐに押し退けられたけど。



「いや……あれは、勝手に身体が動いただけで、はやく禍女と逃げなきゃ……って、ごめんな情けなくて」


 禍女は堂々とあの小鬼と渡り合っていたのに、僕は逃げることばかりを考えていた。


「守られるっていいなって思った。……だっていつも守ってばっかりだから……」


 禍女は言葉を静かに吐いた。



 守る――?


 誰をーーだろうか。

 いつも守ってきたと言うその言葉は、とても重く感じた。

 それは責任の重さからくるものだろうか。



「どうしたんだ? 禍女らしくもない。そんなしおれちゃって、元が可愛いだけにどうしようもなく可愛くなってるぞ、おまえ」


「かっ……かわいい……って、ばかじゃない? そんなこと言って欲しくて言ったんじゃ……ないっ!」


 場をなごませるための発言だったのだが、耳まで真っ赤にして、また窓の方を向いてしまった。


 こんなことでムキになるなんて、可愛いところもあるんだな。

 少なくとも根はいい子なのかと思ってしまう。


 こんな子が、僕を餌にするために呼んだなんて信じられない。



 だとすると、僕は何故ここにいる?


 夏祭りで会った『あの人』が、僕を呼んだとしたら――?


 禍女は、裏苑が呼んだんじゃないかと言った。


『あの人』が、裏苑と同一人物だと確証はない。ただ、あの日、あのときに、『あの人』は言った――確かに言った。



 呪われていると。



 呪いを解いて欲しいと。


 世の中にそんな輩が何人もいたらお手上げだ。


 前提として、『あの人』が本当に呪われていたらという話だが……それこそ、虚言だった可能性もある。

 黙ったまま窓の方を向いてしまった禍女を眺めながら、色々と考えているうちに、自分も無口になっていた。




 途中、いくつかバス停を通り過ぎたが、乗車する人がいないらしくバスは一向に停まる気配を見せない。

 延々と車体を揺らしながら、山道の暗がりをバスのライトが照らし進んでいく様は、得も言われぬ不気味さを醸し出していた。



 ザザザザザッ……と、


 車道にはみ出した枝が窓を擦っていき、びくっと僕の身体が震えた。

 そんな雰囲気のなか、通り過ぎる民家から明かりが漏れていると何だかほっとした気分に包まれる。


 不安と安堵の狭間で、ふとある考えが(よぎ)ったので、禍女に訊こうと僕は身を起こした。

 だけど、禍女はさっきから何も喋らないので、ひょっとしたら寝てしまったんじゃないかと心配になった。


 それは困る……、目的地は禍女しか知らない。終点という可能性もあるが……そのメリットに賭けたところで得る物は小さい。むしろ、禍女が寝ていて目的地を過ぎたとなれば、起こさなかった僕が怒られること受け合いだ。


 仕方ないので、僕は、恐る恐る禍女に声をかけることにした。




「禍女……?」


「なによ?」


 即答だった。しかもなんだか不機嫌だ。


「いや……さっきの倒れていた人もそうだけどさ、バスの運転手も人間っぽいし、ここの土地は普通の人間も住んでるのかな……って」


 禍女も見た目は人間の女の子で……、倒れていた人も、運転手も、自分が人間だと思っているだけで――、みんな化け物だったりするのかもしれない。


「人間はいるよ。うーん、だけどなんて言ったらいいのかな。この土地に最初から住んでいる人間はたくさんいるよ? むしろ化け物たちより多いくらい。でも、長い時間を孤立してきた場所だから……多かれ少なかれ混じってる。血が……ね」


 そういうことか。

 じゃあ禍女も、自分と同じ人間の血が混じっているかもしれない。



「ちなみにあたしは純血の血鬼だけどね!」


 得意気に鼻を鳴らす禍女。

 混じっていないらしい……なんだか少しだけ寂しくなった。



『次は……狼神診療所前……狼神診療ーー』


「あっ、次で降りるよ。裏苑に会うまえに診療所に寄るから」


 車内放送が終わる前に反応した禍女は、近場の降車ボタンを押す……と、思いきや、


「すみませーん! 次、降ります!」


 車内に禍女の声が響く。

 少々面食らいつつ、禍女らしいな……と、思いながら僕は苦笑した。




 ろうがみ診療所前?

 浪上……かな?


 ちらっと車内に貼ってある連絡系統図に視線を送る。


 狼神……か、嫌な予感がする名前だな。




 ほどなくして、身体を前のめりにさせバスが乱暴に停車した。

 体勢を整えてから立ち上がり、足許に置いた荷物を肩にかける。


「えっと、この乗るときに取った整理券の番号と、電光掲示板の同じ番号に表示されている金額を払えばいいんだよね?」


 禍女に訊ねる。


 バスの後払いシステムはもちろん知っているし、近場にもそういった路線バスがあることも知ってはいる。


 だが、僕には初めての経験。


 いつも乗るときに220円払うか……もしくは定期券を見せて終わりなのだ。



「そうよ。はやくしてよね」


 冷えた口調で答えた禍女は、さっさと自分の分を払って降りてしまった。


 薄情な女だ。


 整理券は二番。電光掲示板に表示された二番の金額は420円。


 僕は無事にお金を払いバスを降りた。



 禍女はまた一足先へと進んでいた。

 どうやら遠くに見える民家に向かっているみたいだ。

 診療所に寄ると言っていたのであれが診療所なのだろうが、診療所前というほど前ではない。

 僅かな思考の寄り道にも、どんどん遠ざかっていく禍女は待つということを知らないらしい。


(ほむら)おにいちゃん! こっちだよー!」


 振り向き手を振ってくる禍女。

 一日中禍女に呼ばれてばかりだ……って、呼び捨てじゃなくなっている。

 焔おにいちゃん――か、妹以外にそう呼ばれるとなんだかくすぐったいな。そんなことをこそばゆく感じながら、禍女の小さな背中を追う。


 その道すがら、明かりに誘われて夜空を仰ぎ見ると、雲ひとつない見事な満月が、その姿を煌煌と誇示していた――。


 満月の日に10秒だけ歳をとる、呪われた人間。


 そして、狼神――満月と狼。


 呪われた人間以外に、新たな満月と連関したものが浮かびあがる。

 考えすぎだとは思うが、その関係性に深くため息をついてから、禍女が向かった民家へと足を運んでいく。



 民家には『狼神診療所』と記された看板が、外灯に照らされ玄関の脇にかけられていた。

 どうやら診療所と自宅が一緒になっているらしい。

 その外灯の光に向かってたくさんの小さな虫が、お互いぶつかっているのか、ぶつかってないのかわからないぐらい騒がしく飛んでいた。


 先にいた禍女は、到着した僕を一瞥してから呼び鈴を鳴らす。

 口には出さないが、その目は確かに「遅い」と責めていた。

 おまえが早すぎるんだと言いたい。




輪廻(りんね)!」


 引き戸が開き、サンダルを履いて出てきた女性に禍女は声を弾ませた。


「禍女! いらっしゃい!」


 返事をした女性も、優しい笑みで禍女を迎える。


 歳は20代前半ほど。

出てきた際に、長めのブラウンの髪がふわりと流れた。

優しそうな、温かみを帯びた黒い瞳。薄手の白い半袖のブラウスに、花柄の黄色いフレアスカート。

 薄手のブラウスなので、うっすらとレース柄のブラジャーが透けていて目のやり場に困る。


 女性は禍女以外にも来訪者がいることに気づくと、笑顔をこちらにも向けてきた。


「禍女のお友達? それともうちの診療所に用があるのかしら?」


 突然の質問にどこから説明しようかどもっていると、「焔おにいちゃん」――と、禍女が割り込んできてくれた。



「この人は輪廻――仏教なんかでよく使われる輪廻ね、あたしの友達だよ」僕に説明した後、禍女は輪廻という女性に振り向く。「そしてこっちが一ノ瀬焔。焔は炎の意味のほかに、怒り、恨み、嫉妬とか心中に燃え立つ激情にたとえる言葉に使うわね」


 交互に紹介する禍女。


 僕が禍女に名前を教えたとき、そんな紹介はしていない。

 焔ってそんな意味もあるんだ……。



 怒り?

 恨み?

 嫉妬?


 親は名前の意味ぐらいちゃんと調べろ。

 いや、知っていた可能性もあるのだが……その場合、どのように育って欲しかったのだろう。

 というか、やっぱり禍女は頭いいよね。


 禍女の説明で伝わったかはわからないが、輪廻さんは改めて僕に向き直る。



「ああ、その字ね。焔くん、狼神輪廻です。よろしくね」


「あっ、一ノ瀬焔です。よろしくお願いします……」


 わかるんだ。みんな頭いいね。



 楽しそうに微笑む輪廻さんに、禍女は「それでねっ!」と強引に話を進める。



「焔おにいちゃんは裏苑(りおん)に呼ばれたかもしれないんだよ!」


「裏苑が呼んだ? うーん、それはどうなのかな」小さく首を傾げて、輪廻さんは続ける。「だって、裏苑は人間よ? 呪われているだけでね」


「………………」






 あれ?


 禍女黙っちゃった。なんか俯いてるし。



「とりあえず、二人ともあがって。本人に訊いたほうがはやいわ」


 輪廻さんの言葉に、禍女は驚き顔をあげた。



「裏苑来てるの?」


「ええ、禍女……あなた今日は『アレ』をやるって裏苑に約束していたんでしょ? 禍女がいつまでも来ないから、私の家にいるんじゃないかってわざわざ訪ねてきてくれたのよ?」





『アレ』をやる……?


 何のことだろう。

 それを受け、禍女は弱々しく口を開く。



「忘れてたわけじゃないけど…………裏苑の家に行くとき、鬼抜村(おにぬきむら)との間にある濃霧の谷でぼーっとしていたの。そしたら、焔おにいちゃんの乗った電車が通ったの。だって珍しいじゃない? この土地に外から誰か来るなんて……」



 濃霧の谷――、

 確かに異常な霧が発生した区間があった。

 死霊の群れのような不吉な霧が――、

 思い出しても身の毛がよだつ。



「なるほどね、それで焔くんと会ったのね」


 輪廻さんは口を挟む。



「そう、だから焔おにいちゃんが人間だとわかったら……期待しちゃったの。裏苑が悩みを解決できる誰かを呼んだんじゃないか――って」


 禍女は呟くと、また小さく俯いてしまった。


 冷静に考えると、禍女の言っていることは根拠のない推測だ。確かに裏苑という人が僕を呼んでいたとしたら、何か意味があるのかもしれないけれど。


 そんな空気を払うように、輪廻さんは笑顔を振り撒く。



「さあさあ、はやく入って、蚊に刺されてしまうわ。『血を謳った鬼』が、血を吸われたら形無しよ?」


 と、輪廻さんは禍女に向かっていたずらっぽく笑う。


 うー、と唸る禍女。





『血を謳った鬼』


 ――禍女は化け物だということを再認識させられる。



 あの小鬼と同じ鬼。


 人間で言うところの、人種の違いなのだろか?

 それとも、まったく異なる存在なのだろうか?


 考えてみたところで答えが出るわけでもなく、僕は輪廻さんと禍女に続いて狼神家へと歩みを進めた。



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