終章②
誰もいない車内――。
訪れたときと同じく、席の中程に腰を下ろしている。
ほとんどの窓は開け放たれていて、風が車内を通り抜けていった。
流れゆく山やたんぼばかりの景色をぼんやりと眺めながら、僕はこれからのことを考えていた。
このまま家路に着き、夏休みが終わり、学校に通う――いつもの日常が始まり、秋が来て、冬が来て、春が来る。
高校三年の時間も同じように流れ、卒業を迎えるのだろう。
――そして、僕はこの土地に戻ってくる。
もちろん、冬休みには遊びにくるつもりだ。
裏苑たちは携帯電話みたいなものをもっていないので、輪廻さんの家に連絡することとなっている。そこのところ、こちらの世界との境界はどうなっているのだろう。物凄く、繋がりにくいとは輪廻さんは言っていたけど。
禍女はいいとして、裏苑と直接連絡とれないのが痛い……、近代っこの僕としては毎日電話やメールがしたいのだ。裏苑からメールが届く度に、顔がにやけてしまいそうで今から顔がにやけてしまう。
バイトをしてスマホをプレゼントしてみようかとか考えてみる。
今は寂しい気持ちでいっぱいだが、これからの楽しみを考えればなんてことはない。時間が過ぎるのは、あっという間だ。
外の景色に霧が混じりだしてきた――――
そろそろ濃霧の谷に差し掛かるみたいだ。
名前のない駅を離れてしばらく経っているので、いい加減に出てきてもいいと思う。ああ見えて、実はシャイな一面もあるからタイミングが難しいのだろう。
完全に霧が覆うのを待ってから、僕は切っ掛けを作ってやることにした。
初めて出会ったときのように――
「こえー、凄い恐いんだけど!」一人叫ぶ。芝居掛かってはいるが気にしない。「何? このシチュエーションは何!? 怖すぎるっ! 僕は何があっても八ツ木ヶ原まで待たずに次で降りる! っていうか駅着くよね?」
「大丈夫じゃない? 次が八ツ木ヶ原駅でもうすぐだし。そんなに騒いでおにいちゃん恥ずかしいよ?」
「あっ、次が八ツ木ヶ原駅なんだ? お嬢ちゃんありがとう」
僕は微笑む。
いつのまにか左隣に座っているいたいけな少女と目が合い、お互い吹き出してしまう。
「あはは! 焔お兄ちゃんってば、いつから知ってたの?」
「いや、知っていたというか、わかっていた――かな?」禍女の言葉に僕は答え、続けた。「禍女のことだからな。電車に乗り込んでくると思ってたよ」
「うー、なんか悔しいわ。正直、出るタイミングなくて帰ろうと思ったわよ」
悔しがりながら唇を尖らせる禍女。
うーん、いきあたりばったりがいい感じの子だな。
頭が良いけど、馬鹿だよね禍女って。
「……で、どうしたんだ? そんなに僕と別れるのが寂しかったのか?」
「………………」
沈黙が返ってきた。
普通に反論してくると踏んでいたので、拍子抜けだ。
「禍女?」
「………………」
再度訊ねた僕を、無言で見つめてくる禍女。そのまま、二人の間に沈黙が流れた。
わかっている――。
少ししか時間を共有していないけど、こんな沈黙のときは禍女に何か言いづらいことがあるからだ。
こういうときは静かに待てばいい――、禍女は自分で気持ちを整理をしてから話すタイプなのだ。
「あの…………、焔お兄ちゃん?」
禍女が切り出す。
「どうした?」
「その……、昨日のこと…………本当にいいの?」
禍女の瞳が揺れる。
どうやらあのことが気になっているみたいだ。昨日、禍女と二人きりで話したこと。
「ああ、もう決めたことだ。禍女はあんな辛いことをもうしなくていい」
僕は禍女の頭を撫でた。
「でも、あんな……あんなこと……、焔お兄ちゃんに耐えられるの……?」
禍女が足をあげ、裏苑の額に靴底をあてていた光景が脳裏に浮かぶ。
あんなのとてもじゃないが耐えられるわけがない――――が、僕が死ぬまで裏苑の側にいると決めた以上、禍女にあんなことをさせるわけにはいかない。
こんなのやだよ――と、泣いていた禍女。
震えながら涙を流していた少女。
禍女のように、足で簡単にとはいかない。僕の場合、ハンマーなど鈍器を使わなくてはいけないだろう。
今から考えただけで腹の底が冷えた。
「大丈夫。こういうのも含めて、裏苑の側にいたいと思ったんだから」
僕は、自分に言い聞かせるように答えた。
窓の外は、亡者の群れを彷彿させる霧が光を遮り、それが車内にドライアイスのように流れ込んできていた。どう考えても、普通の霧と性質が異なっている。
二度目の体験だが、どうしても慣れない。
光が遮られた為か、膝の上に麦わら帽子を置いて、禍女は俯いている。
顕になった髪が風に流れた――。
「喜んでいいのかな……なんだか、焔お兄ちゃんに押しつけるみたいで……」
「喜んでいいんだよ。僕が決めたことなんだからさ。だから、裏苑が狂いかけたらすぐに呼ぶんだぞ? 何があったって、僕はすぐに飛んでいくからな」
「焔お兄ちゃん……、うん……わかった」
僕の肩に、禍女の頭の重みを感じた。
うーん、生意気だけど可愛い。
その体勢のまま禍女は少し頭をずらして、瞳を僕に向けてきた。
「このまま焔お兄ちゃんの家に遊びにいこうかな!」
「それだけは、やめてくれっ!」
この流れで、唐突に、明るい声でびっくりすること言った。
この血鬼は何を言ってるんだ。
傷心旅行の旅先で、高二の男子が幼い少女を連れて帰ってきた――だなんて笑えない。
そして、僕の部屋で幼い少女と遊んでいるところを家族に目撃されたら、やましいことなどなくとも切腹ものの光景だ。
それは、禍女が来てくれたら嬉しいけど、それだけは断じて阻止しなければならない。
文句を言う禍女を適当にあしらっていると、濃霧の谷を抜けたらしく太陽の光が窓の外で輝いていた。
再び車内が自然の光に満たされる――。
太陽の光を嫌い、また麦わら帽子を被った禍女はまだ文句を垂れていたが、やがて面倒になったらしく寝てしまった。
………………本当に寝てしまった。
自由過ぎる……。まあ、夜行性の禍女は、本来寝ているはずの時間帯なのでしょうがない。
そういえば魚釣りに行ったときも朝早かったので、しきりに眠たそうにしていた。
肩越しに、禍女の小さな寝息を感じる。
電車の振動が心地よくて、禍女につられるように僕の意識が眠りに落ちていく――――
血に塗れた鬼――
金色の瞳の人狼――
千年を生きる呪われた人間――
そして、呪われた人間の、堆積されてきた負の感情そのものの小鬼。
小鬼は人を殺す。
裏苑は笑顔になれる――
そして小鬼は、また人を殺す。
負の連鎖が築き上げられ、そのなかに身を置く裏苑――
禍女も輪廻さんも、裏苑が好きだからこそ何もできず、だましだまし現状を続けてきた。性格が破綻していたという、昔の裏苑に戻らせない為に――――。
微妙なバランスで成り立っている関係。
そこに僕が入ることで、バランスを壊してしまうかもしれない。ただでさえ小鬼という捌け口をなくした裏苑が、このさきどうなっていくのか懸念が残る。
まどろんだ意識のなか、ふと思う。
目が覚めたらすべてが夢と消えているのではないかと――――、
まるで、泡沫のように――
〈完〉
ここまで、読んで頂いた方がいらっしゃいましたら幸いです。拙い文章で、分かりづらかった部分も多々あると思います。それでも、読んでくれた方には感謝です。完結はしましたが、シリーズものです。焔はまだ帰路にはつけません。妹のお土産を買うために降りた鬼抜村。そこで、一緒に付いてきた禍女とトラブルに巻き込まれてしまいます。血鬼と禍女を掘り下げていく話ですので、次回更新した際に読んでくれると嬉しいです。この作品とは別に、話数が貯まっている作品があります。先にそちらを公開すると思いますので、是非読んで頂ければと。最後に、ここまで付き合ってくれた方、本当にありがとうございました。2018.7.5
※一人称なのに、地文がとても高校生らしくない部分が多々ありました。時間があるときに、まとめて修正します。




