終章
◇
容赦ない夏の熱気と、蝉の鳴き声が辺りを包んでいた――。
汗を滲ませながら空を見上げると、太陽の日差しのなか入道雲が雄大に浮かんでいた。遮るものがほとんどない田舎の空は、壮大で圧倒されるものがある。
そんな風景のなか、名前のない駅のベンチで僕たちはとうもろこしを食べていた。
左隣には禍女。右隣に裏苑、そして一番右端に座っていた輪廻さんが、水筒から麦茶を紙コップに注いで皆に渡している。
切符を購入しているのは僕だけなのだが、皆は普通に駅内で寛ぎ、歓談していた。
この開放的な感じがいかにも田舎らしかった。
「ちょっと! 焔おにいちゃんってば! ちゃんと聞いてるの?」
突然、裾を引っ張られた。
麦わら帽子を目深に被った禍女が、僕に話しかけているところだったらしい。
裏手の雑木林から響いてくる蝉の鳴き声が凄くて気づかなかった。
ジジジジジジッ――、
ミーンミーンミーンミン――と、
まさしく蝉時雨。正直うるさい。
当然、何を言われたのかわからずに僕が首を傾げると、禍女は眉根を寄せた。
「もうっ、だからすぐに戻ってくるんだからね? って、いってるの!」
「ああ、わかってる」
切れ気味な禍女にそう返事をしてから、輪廻さんが茹でてくれたとうもろこしにかぶりつく。
口内に、みずみずしい甘さが広がっていった。
小鬼と『アレ』を見に行った夜から一週間が経っていた――。
その間、禍女と裏苑と毎日遊んだ。
川へ魚釣りに行き、山女や鮎を持ち帰り、それを輪廻さんが塩焼きにしてくれて皆で食べた。
ちなみに禍女は素手で魚を捕りはじめたので、僕は問答無用で魚を川に帰し、ぶーたれる禍女を諫めて竿を握らせた。
まったく情緒のない奴だ。
輪廻さんが作ってくれたお弁当を持って、山へピクニックに行ったりもした。
そこで亡霊に操られた死体の群れに襲われたが、禍女が涼しい顔で蹴散らしていた。
最強のボディーガードだ。
狼神診療所の手伝いもした。
思った以上に外来が多く、待合室は常に賑わっていたが、そのほとんどは、輪廻さんに畑で採れた野菜を持ってきてくれたり、世間話をしにきたりといった内容が大半だった。
僕はその人たちにお茶を出したり話の相手をしていただけなので、大したことはしていない。
夜は皆でトランプ大会だ。
禍女がめっぽう強くて、僕と輪廻さん二人がかりでその牙城を崩すのがやっとだった。特に一対一の勝負では、まったくと言っていいほど勝てる気がしない。
裏苑に関しては、禍女と正反対で負けてばかりだったが楽しそうに笑っていた。
そんな楽しかった日々も終わり、今日、僕は帰る――。
このままこっちにいても良かったのだが、輪廻さんに、せめて高校を卒業してからにしなさいと怒られてしまった。
輪廻さんの言うとおり一度帰って、家族にきちんと話をした方がいいのかもしれない。すべてを話すわけにはいかないので、多少の脚色は必要だろう。
思考が一区切りついたときに、禍女のほうから視線を感じてそちらを見ると、すっごい睨まれていた。
「また、ぼーっとしてる! ちゃんとあたしの話していること聞いてるの!?」
禍女はお冠のご様子。
二本の牙をちらつかせている……そろそろ、ちゃんと相手をしないと噛みつかれそうだ。
「禍女は本当に焔くんが気に入ったのね」
微笑みながら言う輪廻さん。本当に微笑みを絶やさない人だ。
「何を言ってるの輪廻は? 気に入ったとかじゃなくて、だから……その、気に入ったとかじゃないのよっ!」
禍女がしどろもどろに答えた。
意味がわからないと、隣で裏苑が頬を緩ませる。
「ギャッギャッ、ライバル登場ダナ! 裏苑!」
酷く潰れた声で、裏苑が手にした大きめのビニール袋から顔を覗かせて小鬼は笑う。
まだ達磨のままだ……というか、知らないうちに頭だけになっていた。
裏苑はそんな小鬼を脚の間に挟むようにぶら下げながら、禍女に視線を移した。
「ふふふ。本当に禍女は、焔くんと仲がいいよね」
「なにをいってるの裏苑? 昨日、焔おにいちゃんに告白されたから余裕なのね? あのときは、聞いてるあたしが恥ずかしかったわよ。だけど安心してよね、あたしはそういうんじゃないから!」
「ギャッギャッ! 余裕ダッテ? 余裕ジャナイヨナ裏苑? アンナニ胸ガ熱クナッテタモンナ! オレハ裏苑ノコトナラ何デモシッテルゼ?」
「もう! 言わないで!」
顔を赤らめる裏苑。
珍しく声をあらげながら小鬼の入った袋を閉じようとする裏苑に、それを阻止しようと身体を……いや、頭を張って抵抗する小鬼。
頭を張ると表現したが、小鬼の気持ちが伝わってきた気がしただけで、少しも動いてはいない。目だけはギョロギョロと動いていた。
そんなやりとりを見ていたら恥ずかしくなってきたので、僕は話題を変えるために禍女に訊く。
あまりにも自然だったので今まで気にも止めてなかったこと。
魚釣りに行ったときも麦わら帽子を被ってたとはいえ、禍女は太陽の日差しに曝されていた。
「禍女。太陽の光は大丈夫なのか?」
「大丈夫じゃないわよ! もう頭がくらくらよっ! 今頃は、冷房の効いた真っ暗な部屋で熟睡してるわ」
冷房使ってるのか。近代的な鬼だ。
まあ、能力が低くなるだけみたいだし、そんな弱点ってわけでもないのかな。
そんなことよりも、辛い状態でわざわざ見送りに来てくれたことが素直に嬉しい。
楽しい時間を終わらせるかのように、八ツ木ヶ原方面から電車がやってきた。
僕は麦茶を飲み干し、小鬼の入っている袋に紙コップを押し込む。なかには皆で食べた、とうもろこしの芯が散らばっていた。
「……おまえ、そのまま捨てられるなよ」
「ギャ……頑張ッテミル……。次ニ、会エレバ……イイナ」
弱々しい……身体うんぬんというより、精神的に。
まあ、殺されたりはしないだろう。
小鬼がいなくなるということは、裏苑に負の塊が戻るということだ。
禍女たちがそれをしないことは、十分承知している。
一つ気に掛かるのは、八つ当たりができなくなった小鬼は……裏苑は、どうなるのだろう。
裏苑は気づいてはいないらしいが、小鬼の行動により、少しでも溜飲が下がったりはしなかったのだろうか……いや、もしかしたらすべてを知っているのかもしれない……。
小鬼は裏苑のことをよく理解していたが、裏苑から小鬼に対してはどうなのだろう。今回の出来事から察するに、小鬼からの一方通行な気はする。
実際のところは、どうなのだろうか。
名前のない駅に、電車は停車した。
扉が開いても誰も降りてこない。
僕を招き入れるだけの車内が見える。
蝉の鳴き声が、いっそう強くなった気がした――。
「いってらっしゃい」
優しく笑う裏苑。
「高校を卒業したら絶対戻ってくるから」
「うん、待ってるよ」
笑みを浮かべる裏苑に後ろ髪を引かれながら、僕は肩に荷物をしっかりとかけ、電車に乗り込む。
乗車口まで来た裏苑の真っ白な髪は、心地よい風にさらわれてそよいでいる。
僕は裏苑の頭に手を置き撫でる――
嬉しそうに目を細めながら見つめてくる裏苑。
その背中越しに、禍女と輪廻さんの柔らかい笑みが日差しのなか視界に映った――――。




