七章②
「ギャッ……ギャ、酷イコトヲ……スル……」
潰れた胴体と頭だけになった小鬼は、不満げに掠れた声を落とした。
「すっきりしたじゃない。感謝しなさいよね」
鬼だ……禍女が。
なんとなくだが、僕は理解する――裏苑と小鬼の関係。
部屋のなかの裏苑を見据える。まだ朦朧としているのか、焦点が合わないまま血塗れで座り込んでいた。
「小鬼は――裏苑なのか……」
漠然とその真実に辿り着く。
「正解ダゼ……人間……」
小鬼は肯定する。
ただ、結果的にわかっただけで過程がわからない。
禍女は深く息を落として僕を見る。
目が赤く輝いていて凄く綺麗だ。
「裏苑は千年生きてる」
「知ってる」
僕は即答した。
呪われた理由も輪廻さんから聞いたとも伝えた。
元は自分の情報だと小鬼は半畳を入れてくる。
「なら話がはやいわ。普通の人間が千年生きていたら壊れるわ」
精神がね――と、
記憶を潰す――そういうことか。
なんて不死に頼った自虐的で、その場しのぎな方法なのだろう。
禍女は溜まっていたものを吐きだすように続ける。
「あたしだって友達の頭なんて潰したくない! でもね? でも! 頭に記憶とか感情とか色々悪いものが溜まっていくと、駄目なんだって……狂いかけたまま……あたしにすがりつくの! 潰してって……泣きながらよ……!?」
禍女はぼろぼろと涙を流す――あたしだってしたくないと。
禍女がバスの中で言っていた、「守ってばかりだから」という意味がようやくわかった。
裏苑が呼んだかもしれない――と、禍女がどれだけ僕に期待していたことも。
きっと可能性が低いとわかっていても、それにすがりつきたくなるほど、禍女の精神は擦り切れていたのだ。
そして言い繋げる、繰り返してきた行為で小鬼が生まれたと。
生まれてしまった――と。
小鬼は、裏苑の負の排出物なのだ。
小鬼は虚空を見つめる。
「損ナ役回リダナ……裏苑ノ、排出サレタ負ノ固マリナノニ……オレトイウ個ガアル」
「何だよ……そんな言い方するなよ」
おまえが……おまえが被害者みたいじゃないか……だって、おまえは人を殺しているじゃないか。例えそれが、裏苑の八つ当たりだったとしても――実行したのはおまえだ。
僕へと視線を動かし、小鬼は息を漏らしながら口を開く。
「ワカルカ? 裏苑ノ性格ハ、生マレタトキカラ、ネジ曲ガッテイル……マア、アノ両親ノ子供ジャショウガナイカ。ソレガ、千年モ生キテミロ! オレミタイナノモ生マレルサ……!」
「それでも……あんたが存在するから、今の裏苑がある。……裏苑の悪い部分がすべてあんたにあるから……」
禍女は、今もなお放心状態の裏苑を赤い瞳に捉えながら答えた。
「マアナ、オマエガ裏苑ヲ甘ヤカシテ、現実カラ逃ゲサセテバカリダカラ……オレガ、生マレタンダゼ?」
小鬼の言葉に禍女はぎゅっと口を結ぶ。
そして再び開かれた口の隙間から、二本の牙を掻き分けて「おにい……ちゃん」と、震えた声があふれてくる。
「焔おにいちゃん……助けてよ……。あたしはどうすればよかったの? いくら踏み潰しても、記憶は混濁するだけで消えない……だから裏苑が狂いそうになると、記憶を掻き回すように踏み潰す――その場しのぎを繰り返す」
もうやだよ――と、
どれだけ溜めてきたのか、禍女の赤い目からは涙が止まらない。
「禍女……どうしたの? 禍女が泣いてたら、あたしも悲しくなっちゃうよ?」
血の匂いが今にもしてきそうな部屋のなかで、裏苑は立ちあがって、禍女に声をかける。
そのまま、ふらふらと自らの残骸を踏み潰しながら窓際に歩いてくる姿は、胸が苦しくなった。
裏苑の通ってきた道には赤い足跡が続いた。
日常の当たり前のことがずれている世界――。
「裏苑……」禍女は窓から部屋のなかへ、裏苑の胸に飛び込んでいく。「裏苑……! 裏苑! ごめんね……なんでもないよ? ほんとになんでもないからっ!」
しがみついて泣きじゃくる血鬼。
あんなに背筋が凍るほど恐ろしかったのに、今は守ってやりたくなるような脆弱さだ。
「禍女――――」
静かに言葉を漏らした裏苑は、禍女を優しく抱き締める。そして、子供をあやすように、そっと禍女の頭を右手で撫でた。
何度も――優しく。
すると禍女は顔をあげて、心配そうに裏苑を仰視した。
「裏苑……、気分はどう? あたしのことがわかるなら、意識が結構はっきりしてるんじゃない……?」
「うん。しばらくは頭のなかがぐちゃぐちゃしてて、何も思いだせなかったけど、禍女のこと――そして輪廻のこと、そこにいる皆のことも、なんとなくだけど覚えてる」
「そっか……よかった。前回と前々回は、あたしたちのことを思いだすまで何日もかかっちゃったから。ちなみに悪い記憶とかは……どう?」
おずおずと裏苑に訊く禍女。
「悪い記憶? ああ、そうだったね。んー、いい感じに、ぼわーってなってるよ。これならしばらくは持ちそうかな。ありがと」
禍女に感謝の気持ちを告げてから、裏苑は達磨になった小鬼に話しかけた。
「手足がぜんぶないね。やっぱり私のせいでなったのかな? 禍女を泣かせたやつはもっと許せないけど、それもやっぱり私なのかな?」
「ギャッギャッ、正解ダ」
小鬼は笑う。
裏苑を見て、僕は思う。なんて儚いのだろう――と。千年も生きているのに儚すぎる。千年も生きていたからこそ儚いのか?
すべてが薄くなるのだろうか――想いまでも――。
そんな裏苑を僕は想う。
千年もこの世に在り続けてきた裏苑のことを想う。
あの夏祭りのときから、ずっと想ってきた。裏苑を知った今でも好きだ――。
その好きな裏苑は僕を見た。
「うーん」頭を指先で押さえながら、裏苑の唇が揺れる。「焔くん……だよね?」
目が合い、名前を呼ばれたとき、自然と夏祭りでの言葉を僕は繰り返していた。
「裏苑――、僕はまだ、金魚のお礼をしていない。何がして欲しい?」
問いかけに、裏苑は小さく笑う。
「あった、あった。そんなことがあったよね。んー、この状況ですぐに思いだせるなんて、私には結構大事な思い出だったのかな」
たまたまかも知れないが、それが本当なら嬉しい――。少しでも、あのときに、僕のことを気にしていてくれたということだから。
裏苑はそれなら――と、続けた。
「私のみっつの願いのうちどれかひとつ叶えてくれる?」
――と。
あのときと一緒。
違うのは僕だけが成長してしまったこと。
裏苑は願いを告げる。
「私の呪いを解いてくれる?」
「それとも私を殺してくれる?」
「それとも私が死ぬまで一生側にいてくれる?」
「どれでもいいの、ひとつ叶えて欲しい――」
僕はひとつ息を吐いてから言う。判然と。
「僕にその願いは、どれも叶えられそうにない」
裏苑の顔が曇った。
そんな顔はさせたくないのに。
まずひとつ目。
――私の呪いを解いてくれる?
これは無理。呪いを解くにはこの土地を離れれば済む話しなのだが、今の裏苑が思っている、不老不死の呪いが解けるのではなく、満月の日に10秒歳をとる呪いが解けるということだ。これでは、本当に不老不死になってしまう。
そして、ふたつ目。
――私を殺してくれる?
これは先程も見たように、殺せる手段は今のところ皆無だ。
そして、みっつ目――。
私が死ぬまで一生側にいてくれる?
これを選びたい――が、永遠ともとれる裏苑が死ぬまでだなんて、僕はとても生きてはいない。
だから――だからこそ――、僕は想いを言葉に乗せる。
「僕が死ぬまで、一生裏苑の側にいたい」
言ってから気づく……、プロポーズみたいで恥ずかしい。
裏苑にしがみついたままの禍女が顔を赤くしていた。そんな反応をされると凄まじく恥ずかしい……。
「えっ? 願いを叶える立場が逆だよ?」
裏苑は、くすくすと笑う。まったくそのとおりだ。
「僕の願いを叶えてくれる?」
それでもずうずうしく願う僕に、裏苑はまたひとつ小さく笑った。
「うん、いいよ。焔くんが死ぬまで一緒にいてあげる」
ギャッギャッ――と、後ろから笑い声が聞こえた。
そして、「コノ土地ニ、呼ンダ甲斐ガアッタナ」と。お前が犯人か。この嘘つきめ。




