七章 小鬼と裏苑
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「イソゲ! 始メルミタイダゾ!」
小鬼が先導する。
丘を登り、草が生えっぱなしの庭らしき場所を通って、一階のひとつだけ明かりが漏れている窓に身を寄せる。
息が苦しい――、しかし行動に後ろめたさを感じている以上、勘づかれないよう必死に息を殺して開かれた窓から部屋のなかを覗く。
部屋のなかは暖炉が設置され、アンティークな家具達が異国の文化を醸し出していた。
そんな雰囲気を台無しにするかのように、床には青いビニールシートが敷かれていた。
その中央に裏苑が仰向けになり、禍女は立ったままの姿勢で足をあげ、靴底を裏苑の額にあてている。
何をやっているんだ?
そう思った次の瞬間――
頭蓋骨が割れる音と――脳漿がぶちまけられる音が混ざりあい、不気味な不協和音を奏でた。
それは、鈍く耳に残る音。
青いビニールシートに赤い花が咲いていく。
「がはっ……」
胃がすべてを拒絶する――。
少しの固形物を吐きだすが、その後は胃液だけが溢れてくる。
何だ?
これは何なんだ?
僕は胃液を垂らしながら顔をあげる。
「焔……おにい……ちゃん?」
窓から禍女が困惑の眼差しで僕を見ていた。嘔吐の音で気づいたらしい。
驚き開かれた口には、
白くて小さな恐ろしい牙が二本。
禍女の後方では、頭の潰れた裏苑が下顎を残して痙攣している。
腹の中身を引き摺りだされていた光景よりも、それはとてつもなく凄惨なものだった。
そして――
頭部の残骸をそのままに、裏苑の下顎から肉が盛りあがってくる。
むりむりと――。
粘土を捏ねるように、血肉が再生していく――元通りに。
裏苑は静かに目をあけた、
飛び散った自らの残骸のなかで――。
「禍女……? おまえたちは何を……してるんだ……?」
「ギャッギャッギャッ――ミテノ通リダヨ! 脳ミソヲ潰シテ、記憶ヲ潰シテルンダヨ!」
小鬼は楽しげに答えた。
実際に楽しいのだろう。禍女はそんな小鬼に口端を吊り上げ、二本の牙を剥き出す。
「小鬼……おまえが、焔おにいちゃんを連れてきたのね?」
禍女の目が赤く光る――。
今にも小鬼に飛びつきそうな勢いだ。
小鬼は察知したのか、後ろに飛び退く。
「ギャギャッ! 恐イ、恐イ。オレハ、ソロソロ退場サセテ貰ウトスルカ。人間……コンナ化ケ物ドモニ、同情ナンカイラナイゼ?」
禍女たちへの嘲笑とも取れる言葉を僕に投げかけ、森のなかへと小鬼が消えようとした。その刹那――禍女は窓から物凄い勢いで飛びだして小鬼の退路を塞ぐ。
「ギャッ! ドウスルツモリダ……!?」
「あんた……殺して欲しいのね? はやく言えば殺してあげたのに」
禍女が、冷えた声色で告げた。
「イイノカ……? オレガイナクナレバ、裏苑ガ昔ニ戻ルゾ?」
昔に戻る?
禍女は一つ息を吐き、少しだけ考える素振りを見せた。
「そうね。あたしや輪廻の好きな、今の裏苑がいなくなるのは嫌ね」
「ギャッギャッ! ソウイウコトダ」
笑う小鬼に向かって、だからこうするの――と、禍女は小さく言葉を残して躍りかかる。
禍女は腕を振り、引っ掻く。
小鬼は慌てて避け、禍女の指は空を切った。
凄まじい風切り音――。
腕を振っただけで、バットをフルスイングしたときより何倍も大きい音がした。
「オレヲ殺ス気カ……!?」
小鬼はさすがに焦ったらしく、余裕の色が消えている。
「いいえ、殺さないわよ。だから安心して四肢をもがれなさいよ。悪さができないように達磨にしてあげるわ」
禍女は満月を背景に冷たく言い放つ。
最初に、小鬼と相対したときの威嚇ではない。
禍女の目は据わっていた。
「グッ……ヤッテヤル……ヤッテヤル、ヤッテヤル、殺ッテヤル……!」
小鬼は唸り声をあげながら、地を這って禍女に迫る。その勢いで地面の草は千切れ宙を舞う。
突然の突進からの攻撃。禍女は冷静に数歩下がり避けた――
小鬼の交差した両手が空を裂く――が、禍女はそれ以上動かなくなった。
いや、動けなくなっていた。
小鬼が禍女の両腕を捕まえたからだ。
両手はいまだ宙を裂いたままなのに、しっかりと禍女を捕まえていた。
「なによこれ?」
禍女は眉を吊りあげて、疑問と不快の感情が混じり合った声で言う。
「ギャッギャッ……捕マエタ」
小鬼は本来の両腕の下に新しい両手がいつのまにか生えていて、禍女の両腕をしっかりとつかんでいた。
そして小鬼は、本来の両手をもう一度振り翳す――――
深く抉れた木の幹が、脳裏を掠める。あんなのを食らったら一溜まりもない。
「禍女!」
僕は叫んだ。
小鬼の爪は容赦なく振り下ろされ、血飛沫が月明かりに影をつくっていく。
禍女は強引に後退していた。そして、呻き声とともに腹部を手で押さえながら膝まづいた。
白いブラウスが真っ赤に滲んでいく――。
つかまれていた両腕を強引に振りほどいたらしく、引き裂かれた両腕の肉の隙間から白いものが覗いていた。
溢れだした赤い液体は、膝まづいた脚に流れ落ち、黒のニーソックスに不気味な光沢を施していた。
「直撃ヲ避ケルタメ強引ニ逃ゲタナ……、ソレデモ腕ハ骨、腹ハ中身ガデソウダ! ギャッギャッ」
僕は無意識に禍女の元に駆け寄り、小鬼の前に立ちはだかった。
「焔……おにいちゃん。駄目……あたしは大丈夫……だから」
禍女の声を背中で受ける。
自分でもどうしてこんなことをしているのかわからなかった。
小鬼はそんな僕を見て、せせら笑う。
「ギャギャ、ギャギャ! ソンナ化ケ物ヲ、庇ウナンテヤメロヨ……サッキノ、コイツラヲ見タダロ?」
化け物が化け物と呼ぶ。
確かに、化け物の感性も考え方も理解できない――正直、ついてはいけない。恐怖で震えながら小鬼を睨みつける。
「僕は……僕は、禍女のことを何も知らない……。輪廻さんや、ましてや一度会ったことのある裏苑のことだって、何もしらない――」後ろでおにいちゃん――と、声が聞こえる。僕は振りかえらずに声を絞りだす。「だけど、ほんの少ししか一緒の時間を過ごしてないけど――禍女は……禍女は悪い子じゃない!」
生意気だけど、素直じゃないけど、照れ屋で本当は素直な子。
輪廻さんだって凄く優しい。
さっきの頭を潰す行為だって、何か理由があるに決まっている。
「焔おにいちゃん。ありがと……もう大丈夫だから、後はまかせて」
「まかせてって……そんな大怪我で動いちゃ駄目だ!」
横に並び立つ禍女に叫ぶ――が、僕は目を疑う。
大仰に目を擦りたくなる程に。
あんなに裂けていた腹部が。あんなに裂けていた腕が。血糊はつているものの、塞がっていた――。
ただ、返り血を浴びただけのように。
不死身の肉体。
血鬼。――その単語が甦る。
「油断したわ」
文字通り奥の手があったのね――と、禍女は憤りを顕わにして小鬼を睨んだ。
「裏苑トマデハ、イカナイガ、ソノ再生ノウリョクハ、反則ダナ。……首ヲ落トシテ、心臓ヲ貫ヌクシカナイカ……」
首を落として、心臓を貫く。
そこまでしないと、血鬼は倒せないものなのか。
「残念ね。そんなチャンスはもうないわよ。あたしは、もう油断しないから」
そう言った禍女は視界から消えた。
ギャッと、一声あげて上空を見上げる小鬼。
僕もつられて見上げると、禍女はいつのまにか洋館の屋根に飛び移っていて、小鬼を見下ろしていた。
唸り声をあげた小鬼は、洋館を駆け登り禍女に向かって飛びかかる。
屋根を舞台に二つの影が重なり、鈍い音が二度響いてから影が一つだけ墜ちてきた。
その影は小鬼。
ばたばたと小鬼は地面にのたうちまわる。腕は四本から二本に減っていた。
禍女の手には小鬼の二本の腕。
それが禍女の手から離れる――。
音もなく落ちてくる二本の腕――
それが地面に落ちるより先に、小鬼の腹を潰しながら着地する禍女。
時間差で、音をたて地面に落ちる腕。
声にならない音を喉の奥から出し、小鬼の口から液体が飛散した。
禍女は馬乗りになり、枯れ木を折るように、残りの両手両足をへし折っていく。
――そして、折れた四肢を、一本つづもいでいく。
僕は声が出ない。
ただ達磨になっていくことしかできない小鬼を、黙って見ていることしかできなかった。




