表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
軟包装  作者: なるる
6/24

高校の同窓会。

「今、何の仕事やってるの?」


その質問一番苦手。

底辺の仕事をやっています。頑張っても誰にも、見向きもされない仕事です。ちょっと印刷汚れがあっただけで、アウトレットで売ることもできずにゴミになる仕事です。

一生懸命作っても、お客さんが中身を取り出して、ビリビリ破った瞬間、ゴミと呼ばれる物が商品です。

野球選手みたいに、子供の頃から、この仕事に就くのが夢でしたと語る人がいない仕事です。

映画や小説にもならないような、うんこみたいな仕事です。

毎年、出来たお米がみんなに美味しいね!と言われるような農家に憧れます。

どんなにキレイに印刷して、どんなにキレイにラミネートして、どんなにキレイにスリットしたって、「今回もスリットがキレイだね!」「合掌袋のシールが今年もいいね!」なんて誉められる事はない仕事です。

不良の時だけ、文句を言われまくる商品を、売るセールスマンです。



そんなことを言えるわけない。


「袋売ってるよ。プラスチックのお菓子とかの袋を作っているメーカーで、営業してる。ずっと、この業界にいるの。」


「へー。そうなんだ。」

お決まりのそのリアクション。

聞いてみたものの、何の仕事か想像がつかなくて、話が広がらないって顔を同級生たちがしている。


2017年3月11日。

K高校H組の同窓会。

黙祷を捧げた日の夜に、久しぶりのクラス会は始まった。


よりによって、この日か。

1年の中で、未だに特別な感情が押し寄せる日だが、名古屋の高校の同級生に、それを気にするような人はいない。

クラス会は卒業後、毎年やっているけど、私が参加したのは、卒業式当日と、14年ぶりの今日の2回だけ。


茶色く自分でカラーリングした髪に、明宝ハムのような太ももを強調するような丈のスカート、ルーズソックスが当時のルール。

毎日英語の授業があり、一日に少なくて二時間、多い曜日は五時間が英語の科目がある、外国語コース。

クラスメイトにスイス人がいて、厚化粧の女の子の割合はダントツで、男子は7人しかいなくて(もちろん腰履き)、学祭のクラスの出し物はブリトニースピアーズの『過保護』、全員が外国かぶれの高校生のクラス。


これ以上、私の人格を形成した環境を説明するのに、必要なものはないだろう。


そもそも、高校受験で、第一志望の高専に落ちたことから、話は始まる。

中学の女性の担任に、「こんな偏差値の低い高校、絶対受かるから、受けるの止めなさい!」と、忠告されたにも関わらず、見てろ!絶対行ってやる!と受験して、見事に落ちてしまった。

高専に受かっていれば、建築科の方に進んで、設計の勉強をしていたはずだ。

途方に暮れた私は、第二志望の滑り止めのK高校の外国語コースに行かざるを得なかった。

人生の挫折の序章だ。


そんな私が、もう32才。

私が営業マンになっている事は、クラスメイトの誰も予想していなかっただろう。それも、袋なんて。英語はどこ行った?


経済的に大学や専門学校への進学が難しく、就職をしようとしたところ、進学校と言う事もあり、就職なんてダメだ!と担任から猛烈に反対された。それで、オーストラリアのシドニーの一番学費が安い語学学校に進むことになった。

もちろん、留学エージェントなんて使うお金はないから、飛行機のチケットの手配だけでなく、学校の入学願書の和訳英訳も自力でやるしかなかった。

日本の大学に行く、日本人でさえ、親に入学願書や手続きを任せる子がいるのに、全部英語の入学願書を読んで、英語で記入して、お金を振り込むのは、18歳には難しかった。毎日、担任の先生と放課後残って、願書を作成した。家にパソコンすらない時代だった。

留学するクラスメイトは一割。

お金がないから、海外に行くのは私だけ。


半年ほど、語学学校に行ったものの、英語が伸びるのは最初の三ヶ月と言われた通り、三ヶ月経てばある程度の会話が出来てしまい、急に英語の勉強に対しての面白みもなくなった。

学校の先生と英語で喧嘩をするほどになった頃、学校を途中で辞めて帰国した。

オーストラリアの3年入国禁止処分は、決意の現れだ。

(当初、申請した学校に通う日数の8割に、出席日数が満たない場合、オーストラリアに3年間は入国できなくなると言う法律がある。帰国しようとすると、校長先生に、3年入国禁止になるのよ?!とキレられて、もうこんな国来ねーよ!と張り切って帰国した。)

もちろんオーストラリアは3回も行った大好きな国だ。



帰国してからは、小中高と演劇部だった事もあり、その道にまた進みたいという気持ちが捨てきれず、地元の劇団のオーディションを受けて不合格。そこから、なんやかんやで今に至る。


高校の劇部の同級生で、声優になった子がいる。

14年と言う年月は、残酷なほどに、次々とクラスメイトが活躍して働いている事、国際結婚した事を友達伝いに教えてくれた。


その話を聞くたびに、クラス会への足が遠退いた。


あの頃みたいに輝いてないと、顔を出しにくい。

そんなこんなで、14年も過ぎていた。


担任にとって、

最後のクラスが私たち。

みんなから、おじいちゃんと呼ばれていた。

いつ、会えなくなっても、おかしくない年齢のはず。

心配になって、今回は積極的に参加した。



「hello!every one!」

高校の授業に戻ったように、おじいちゃんが英語で近況を話してくれた。


あの頃の何かに熱中する楽しさを忘れない限り、私はやっていける。


大丈夫、うまくいく。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ