決別ノ日
この日、フェンリルベースがピリピリしていた。
理由はたった一つで、レイズさんのことだ。
産んだらそのままベースから出て行ってもらう。
その決定にあちこちから反対意見が上がった。
隊長たちとしてもレイズさんの関係で騒ぎがあれば問答無用で叩きだすというのを、スコールさんの交渉でしなかったこともありこれ以上は譲れないと。
大勢の安全の為に部外者を放り出すと。
大空を飛ぶフェンリルベースから、出産直後の母親と生まれて間もない赤ちゃんを悪魔たちの跋扈する大地に二人だけで放り出すと。
「すごいことになってますね」
「いやぁこれぞ王と民衆の直接対決」
「ツバキさん、そんなことになったらフェンリルベースが壊れますしそもそもフェンリルの存在意義がなくなります」
「んなこと言ってもねえユキちゃん、どんなに正しくてもやっちゃいけないことってのはあるんだからさ」
部外者のレイズさん。
いるだけで天使勢力と悪魔勢力と不明勢力が攻撃してくる。
そのうえ本人の素性もさっぱり不明で、タダ飯ぐらい。
これだけだと放り出されても文句を言う人は少ない。
だけどこれが妊婦さんでもうすぐ出産となれば違ってくる。
「どうなると思う、これ」
「……いくらスコールさんでも」
「トロッコ問題みたいなもんだよ。あのレイズって人がいればフェンリルのみんなが危険に晒される。もちろん撃退はできるけど物資も限りがあってそうそう補給ができない。一人放り出して延命するか、一人護って寿命を縮めるかだよ」
いま、ここでは、大規模演習上ではいくつかの主張に別れている。
万人の利益、功利主義に基づいてレイズさんを追放したほうがフェンリル全体の為になるという人たち。
レイズさんを来たる終わりの先延ばしのために利用すべきではなく、何もするべきではないという人たち。
追放されるなら一緒に出ていくし留まるなら一緒に留まると、結果で決めるという人も何人かいる。
そして最後に私たち、感情論で語る追放否定派。
「多数決……いつもみたいに決める訳にはいきませんもんね」
「いくら実力主義で平等とは言え、負けた側は居心地が悪くなるし全体のムードも激落ちだろうからねぇ」
だからこそ……対立する二つが実力行使で決めようじゃないかと、こんなことになっている。
言い出したのは隊長さんたちだ。
楽観的に考えれば、向こうも残してやりたいが立場上反対せざるを得ないからこんなことをしている。
悪く考えれば、同じようなことがあれば実力行使で捻じ伏せるぞという脅し。
「スコールさん、一人でやるきなんですか」
「なんかサトミに聞いた話、巻き込みたくないとか言ってたらしい」
「あぁー……らしいといえばらしいですけど、こういうときくらい頼って欲しかったなぁ」
「無理無理。隊長格には誰も敵わないよ」
「いや、ナギサさんとかなら」
「……ありえそう」
話しているうちに演習場に人が揃う。
アイゼンヴォルフ、シュネーヴォルフ、クルトー、ロボ、ライカンスロープ、べオウルフ、ウォーウルフ……。
対するはスコールさんただ一人……。
フェンリルの初期メンバー同士の戦闘、そして他の初期メンバーは私たちとは反対側に集まっている。
「なんでも噂じゃ神話に出てくるあのフェンリルを殺してからフェンリルを名乗りだしたとかって」
「あはは……まさか」
でもそれにしてはスコールさんとペットのハティだって……。
あれ? フェンリルとスコールとハティ……。
どっと後ろからナギサさんが肩に手を回してきた。
「はい、ポップコーンとコーラ」
「映画じゃないんですから!」
「ありがとーもらっとく」
「ツバキさん!」
「こーゆーのはもう眺めるしかないから」
呑気な事を言いながら席を確保してもう傍観者。
「ナギサさんあれなんとかしてください!」
「んーやってもいいけど面白くない」
「面白くないって、スコールさんが負けたらレイズさんが!」
「だからどしたの? あたしにはかんけーないし、スコールが負けるなんて思ってない。フェンリルの中でスコールの名を使ってる意味、分かってる?」
「……フェンリルの次に強い狼だから?」
「違う違う。まああたしもスコールから聞いただけなんだけどさ、フェンリルを殺して残った狼でもっとも強いのはマーナガルム、あえて最強のマーナガルムを名乗らないのはまだそれが生きているからなんだって」
「えっと、どこかで強い悪魔と戦ったときの話ですか?」
「いいや、この世界が壊れる前の話。この世界と一緒に生まれたもう一つの世界でのこと」
「作り話はいいので真面目な話をお願いします」
「いまのが真面目な話。そのうちユキちゃんも分かるよ、ホノカちゃんやミコトちゃんは一通り知ったからああいうことをしたの。ユキちゃんにはまだ早いからまた今度ね」
ナギサさんは急ぎ足でどこかに姿を消した。
後ろには呑気にポップコーン食べてるツバキさんしかいないし……。
「ユキちゃん、たぶんスコールは負ける。どんなに強くても群狼には勝てない」
「なんでそんなこと言うんですか、ツバキさんだって隊長たちの決定には文句がありますよね」
「あるけどね、今のスコールじゃ無理」
「今の?」
「あいつは一人の時こそ怖いんだよ。昔みたいに護るものが何一つない頃は、単独で突っ込んで食い散らして、敵陣を予想外のところから崩壊させていた。いまのあいつはそんなことはできない、もし一人ならフェンリルベースごと海に沈めるくらいは平気でやるよ」
「そんなまさか」
「昔やったからねあいつ。フェンリルベース以上の規模がある大型艦、暁を乗組員ごと海に沈めて大事件になったからね」
「いつの話ですか」
「ん? そりゃこの世界ができる前の話。初期メンバー以外には言うなって言われてるけど、ユキちゃんなら別にぃ……」
いきなりツバキさんが頷いて、なにかと思えばスコールさんがこっちを睨んでいた。
「うわぁ……また干されるよぉぉぉこれぇ」
「ツバキさん、今のうちにお菓子でも用意して謝る準備しておいたほうが」
「ナギサがそれをして一切無視されて生理の日なのに裸で吊るされた話したっけ?」
「初めて聞きますそれ」
「そういう訳でちょっと隠れる」
酷く慌てて演習場から出て行ってしまった。
スコールさんなら見つけてしまうんだろうけど。
しばらく待っていると戦闘が始まった。
実弾を使った七対一の戦闘。
シールドで区切られているから流れ弾で怪我をすることはないけれど、あちこちから悲鳴があがる。
容赦がないというか、敵として殺す動きだった。
初めて見る隊長たちの戦い方、スコールさんが押される様子。
「負ける気だねぇ」
「あ、キリヤさん」
「……覚えててくれたの!?」
そこ、驚きます?
「それで負ける気っていうのは」
「ふざけてる。いつもは術札で魔法連発して封殺するのに、あんな場所でアサルトライフル装備してる時点でふざけてるとしかいいようがない」
「ライフルは……確かに、あんな場所じゃサブマシンガンのほうが取り回しがいいですね」
話していて、一瞬気を逸らしただけで見失ってしまった。
「あれ、どこに……」
「上だ」
見上げると風が渦巻いて、スコールさんが宙に浮いていた。
こっちを向いて、キリヤさんが合図を返すと次の瞬間に撃ち抜かれた。
下から、シュネーヴォルフの隊長がライフルで頭を撃ち抜いた。
「スコールさん!!」
あたりからざわめきが溢れ出す。
死んだ。
その事実だけが演習場に落ちる。
「僕の出番だねぇ」
「キリヤさん! あ、あれ、あ、あ、すこ、スコールさんが」
「大丈夫、いまのミナには呪いが掛かってるから。最初から追い出されることは前提で、そして誰も追いかけてこないようにするためのパフォーマンスだよ」
「えっ?」
「知ってるだろう? ミナは失うことを恐れる。ならば安全なところに残せるものは残して自分は危険なところに飛びこんでしまえって、ね」
「どういうことですか」
「だって隊長たちは最初から追い出す気なんだから、だったらそれを利用してついてきそうな味方を減らそうって、ほら」
ぴくりとも動かないスコールさんからは真っ黒な霧が溢れていた。
悪魔たちとは違う、深く暗い青の黒。
それは周りの人たちにも見えているようで、弾除けのシールドを越えて溢れてくる。
「僕の後ろに。君じゃ触れただけで死ぬ」
キリヤさんが前に出て、杖をどこからともなく取り出して光を灯す。
霧はその光を避けて流れる。
みんな口元を押さえて倒れ、中には吐いている人や気絶している人までいる。
見ているだけで怖いと思い、溢れる霧に嫌悪を覚える。
「これ、なんですか」
「魔狼スコール。ハティの相方でありフェンリルの息子……ミナはスコールを殺してその存在ごと呑み込んでいるだよ。そしてそれと同時にもう一つの姿であるフェンリアの力も封じている」
違う答えを出される。
「す、すこーるさんって」
「いいかい。人はどんなものであれ強すぎる力を恐れるものだよ、それが仲間だったとしても無意識が恐れてどんなに想いが強くてもどこかで拒絶してしまう。レイズだって同じ、強すぎたから、特異すぎたから親に捨てられみんな離れて行って、でもだからこそミナとは……くぅ、無理」
キリヤさんが膝をついて光が弱くなる。
それでも霧は濃くなって、スコールさんが倒れていた場所で違う誰かが起き上がる。
その人は冷たい眼で私を見る。
黒髪の女性。
感情の無い顔で周りを見ると、こっちに来る。
「あれが、ミナのもう一つの……」
キリヤさんが倒れて、彼女が向かってくる。
霧に囲まれて下手に動けず、かといって逃げようとすれば怖くて体がいうことを聞いてくれない。
なにもできずに彼女が私に触れる。
恐ろしいほどに冷たかった。
「諦めなさい、彼は死神……死に行く者と共にあり生きるべき者を遠ざける虚無の欠片。あなたはまだ生きるの、こんな世界で死んではいけない」
「いやです。スコールさんは死神なんかじゃありません、スコールさんは私の大切な人です!」
「そこはわたしの、じゃなくてわたしたちの、でしょ」
音もなく青い髪の女の子が現れる。
背中には天使の翼のように透き通る青の光を放って、片手には小柄な体に不釣り合いな大型ライフルを。
彼女が離れ、ふとした足音に振り向けばダボダボのジャージを着たあの堕天使のメティさん。
続くようにフランちゃんとアトリさん。
「消えなさい、あなたは表に出てきていい存在じゃない」
「事実を言っただけ。彼と共にあるもの死ぬ」
「そうね、スコールと一緒にいた人たちはみんな死んだわ。でもそれがどうしたというの、彼がいたことであの子たちは長生きできたのよ」
「でも共に居るということは死を近づける。彼は」
「単なる臆病者よ。一緒にいると危険に晒して死なせてしまう、だから独りを選ぶ。それが臆病以外のなんだというの? 自分がいたから死んだとか勘違いして怖がってんじゃないわ!」
ぶわっと、溢れた光が霧を消し飛ばす。
まずい……意識が飛びそう。
「とにかくねえ、私の奴隷のこと好き勝手言うのは許さないから。彼は彼よ、他の誰かがこういう人なんだって決めつけんじゃない!」
打ち付けられた錫杖から光の剣が伸びる。
「ふふっ、どうしてそんなに怒るの? スコールはスコールよ。とても優しくて強くて、孤独な存在。それでも親しい人が死ぬのを酷く怖がる、もしかしてあなたも好きなの? ……でもね、だからこそ私は誰も近づけさせない」
静かになった演習場で堕天使と黒髪の女性が睨み合う。
いまにも衝突が始まりそうだが、こんなところで始められるとフェンリルベースが墜ちる。
「ダメだよフェンリア。誰だっていつかは死ぬんだから、それは克服しないといけない」
「うん。それにスコールだってころすいじょうはころされるってうけいれてる」
「ふざけないで、彼のことは私が一番よく分かっている。私がスコールでスコールが私なんだから」
また黒い霧が溢れだした。
もう……無理だ。




