見知らぬ場所で〈5〉
♢
「ーーんじゃ、そろそろ冒険者登録行ってくるか ? イオリ」
「そうですね……お願いします」
ナノヤさんがそう切り出したのは、昼食も食べ終わり食後の休憩代わりにと他愛ない話をしていたときだった。僕が頷くと、ナノヤさんは任せろ、と胸を叩きながら笑ってみせた。
「ナノヤさん、午後からは暇なので私も一緒に行きますね」
「へぇ、分かったよ」
「あと……」
そこで一度言葉を切ったエレシアさんは、どこか言いにくそうに口ごもった。
「 ? 」
「実は、私の父が噂でイオリさんのことを聞いたみたいで……今日の冒険者登録のときにお会いしたいと……」
「エレシアさんのお父上ということは……クロアドール男爵ですか」
「はい。やっぱり、知らない人がいると気になりますよね…… ? 」
申し訳ないといったように眉を八の字に下げる彼女を尻目に、僕はこのタイミングで男爵が僕とコンタクトをとりたがっているという理由を考えた。おそらく、“ 名字持ちらしい ”という噂のある僕がどんな人物なのかを実際に会って見極めたい、といったところだろうか。僕と会うという行為の裏に何かしらの思惑があることはなんとなく察したが、だからといって今の僕に何ができるというわけでもなかった。
「……いえ、別に構いませんよ」
「そうですか ? そう言ってもらえると助かります」
彼女にそう返事をすると、ホッとしたように肩を撫で下ろす。そんな僕たちを黙って眺めていたナノヤさんが、テーブルを指でトン、と叩いて注目を集めると話を元に戻した。
「ーーよし、じゃあイオリ。とりあえず部屋にそれ置いてきたらどうだ ? 」
それ、と言うのはテーブルの隅にまとめられた辞書やノートなどの勉強道具のことだ。僕はその言葉に大人しく従って席を立った。
「はい。……ちょっと行ってきます」
「おうよ、俺たちはここで待ってるからな」
こくりと頷いて、僕は 2人に背を向けて歩き出した。
遠ざかっていく凛と伸びた背中を見送っていた私は、目の前からニヤニヤと面白がるような視線が送られてくるのに気づいてムッと顔をしかめた。
「……なんですかその顔……私の顔に何かついてますか ? 」
「いーや ? さっきエレシアちゃんが顔真っ赤にしてたときのこと思い出してよー。エレシアちゃんのあんな顔初めて見たなって」
「なっ…… ! 」
あのときのことを思い出してか、さらに笑みを深めるナノヤさんに反論する言葉が思いつかず、私は口をつぐんだ。ナノヤさんはそんな私の反応をさらりと流して、感心したように息をついた。
「俺、あいつが笑ったとこ初めて見たけどよ……やばかったな。綺麗な顔してんなーとは思ってたけど、笑ったら想像以上だったよ」
「私もです。初めてイオリさんの笑顔を見ました……」
そう答えると同時に、つながれた手のひらから直接感じたイオリさんの低めの体温とともに、あのときの甘い囁きが頭に蘇ってきた。
『ふふっ……すみません。でも、かわいかったから』
『嘘じゃありませんよ』
確かにあれはすごかった……とナノヤさんの言葉に深く納得する。
これまでのイオリさんといえば、せっかく端正な顔立ちをしているのにも関わらず笑顔など浮かべる様子もなく無表情、というのが通常だったために私はすっかり油断していたのだ。それなのに突然、正面から不意打ちで柔らかな微笑みを向けてきたものだから、咄嗟に返す言葉も出てこないほどうろたえてしまった。
美しさは時に凶器にもなり得るのだと、16年間生きてきて初めて学んだ瞬間だった。
「次からはあの笑顔を向けられても、絶対耐えてみせます……」
「はははっ、頑張れ」
声をあげて楽しそうに笑っていたナノヤさんだったがひとしきり笑った後、ふと笑みを引っ込め真剣な表情を浮かべた。そして、
「……話は変わるんだけどよ。クロアドール男爵がイオリのとこに来るっていうのは……具体的に何をするとかは聞いてるのか ? 」
「いいえ。ただ昨日の夜に『今街で噂になっている少年と、エレシアが親しくしているようだと聞いたのだけど。彼の冒険者登録のときに僕が同席しても大丈夫そうかな ? 』って聞かれて」
「そうか……」
そう神妙な声音で呟いたきり押し黙ったナノヤさんは何か気にかかっていることがあるようだったが、一体何を考えているのかは私には分からなかった。
「……まぁ仕方ねぇか。……さ、じゃあ俺たちも行くとするか」
そう言って立ち上がったナノヤさんの視線の先には、先ほども着ていた白シャツと黒のスラックスに、新しくネイビーのカーディガンを羽織ったイオリさんの姿があった。
「……お待たせしました」
「準備はできたか ? つっても、別になにもないか」
「ふふっ」
「………」
「イオリさん ? 」
ナノヤさんの自問自答に思わず吹き出すと、その紫水晶のような瞳で私をじっと見つめてくるイオリさんに気づいて首を傾げる。彼はそのまましばらく黙り込んでいたが、やがてふっと視線を逸らした。
「……いえ、なんでも。じゃあお願いします」
「おぅ、とりあえず隣行くぞ ! 俺の後について来いよ」
「はい」
先に歩き出したナノヤさんに続く彼の後ろを追いながら、私はひとりイオリさんは今何を考えていたんだろう、と思っていた。
♢
「じゃあ入るぞ。ちょっと煩いかもしれないが、我慢しろよ」
後ろに立つ僕にそう忠告したナノヤさんは、前へと向き直ると装飾のついた木製の重そうなドアを押した。
エレシアさんとともにそのドアをくぐると、僕たち 3人が入ってきたのに気づいた人々がこちらに視線を移すのを感じる。この世界に来てからもう何度目かわからないその光景に、またか…と内心で辟易しつつナノヤさんの後に続く。そのままナノヤさんは奥の窓口のようなものが複数並んでいるところに真っ直ぐ進み、そのうち茶色い髪の 20代ぐらいの女性が座る窓口をガラス越しに覗きこんだ。
「ちょっと知り合いの冒険者登録を頼みたいんだが、いいか ? 」
「は、はい ! どうぞ」
「イオリ」
穏やかな茶色の瞳をこちらに向けて振り向くナノヤさんの横に進む。ガラスの向こう側で驚いている女性を前に、僕は姿勢を正して腰を折った。
「……よろしくお願いいたします」
「しょ、承知いたしました。……ギルドの使い方についてはご説明いたしますか ? 」
「あぁー……それは俺らの方で教えるからいいや。注意事項とか必要なものだけ頼むわ」
俺ら、と言いながら自分とエレシアさんを親指で示したナノヤさんの言葉に受付の女性が頷くと、足元をゴソゴソと探った後 1枚の紙を取り出してガラスの口からこちらへと差し出した。
「では、こちらにお名前などをお書きください」
「文字は読めるか、イオリ ? 俺が代わりに書いてやるか ? 」
「いえ、頑張ります」
覚えたての文字を目でゆっくり追いながら、僕は項目に沿って「マユズミ イオリ、17歳、男、出身地不明……」と丁寧に記述していく。途中でどこか間違いがないかナノヤさんを横目でうかがったが、満足そうにうんうん、と頷いていたので安心してそのままペンを進めた。
「……これでお願いします」
「はい、お疲れ様でした。この後は魔術属性の適正検査と、魔力量測定がありますが……準備があるので少々お待ちいただくことになるかと思います」
「どのぐらいかかりそうだ ? 」
「そうですね……冒険者カードの発行もありますので、合わせておそらく 1時間ほどかと」
「 1時間か……」
そう呟くと顎に指をあてて考えるようにこちらをチラリと見たナノヤさんは、
「……じゃあその間、地下練習場行っててもいいか ? もちろん俺とエレシアちゃんも一緒だから大丈夫だろ ? 」
「構いませんよ。では準備ができましたら、練習場までお呼びに参ります」
「あぁ、ありがと」
結論が出たようでスタスタと奥へと歩き出したナノヤさんに、僕とエレシアさんは無言で顔を見合わせ、お互い頷きあってその後を追った。先ほどまで気づかなかったのだが、窓口の奥には下へと向かう階段が続いており、そこを降りるとさらに先へと真っ直ぐ続く通路が現れた。薄暗く狭い通路にカツン、カツン、と僕たち 3人の足音が反響する。
「まだ時間あるみたいだし、どうせだからお前が今どのぐらい動けんのか見てやるよ。それに今なら怪我してもエレシアちゃんがいるからすぐ治してもらえるしな」
「……お願いします」
「だからってなるべく怪我はしないように気をつけてくださいね」
わはは、と笑うナノヤさんにちくりと釘を刺したエレシアさんは、僕の横に並んで歩きつつ前を行く彼に声をかけた。
「動きを見るってことは、体術ですか ? 」
「そうだな、さすがにいきなり真剣でってのはキツイだろ。それはもっと慣れてからだな」
「真剣……」
その瞬間、僕の頭の中に、地球で刺された瞬間のあの鈍色のナイフの輝きが頭をよぎった。無意識に目線を足元に落としていた僕は、その様子を心配そうに見つめる茶色と翠の 2対の視線には気づくことができなかった。
「……着いたぞ」
目の前から漏れてくる光と声に顔を上げ、僕は 2人に続いて扉をくぐった。むわっとした熱気とともに目に飛び込んできたのは、何組もの冒険者たちが鋭い剣戟の音を響かせ、お互いの腕を磨きあげんとしている光景だった。
「すごい……」
訓練場と呼ばれるらしいそこは、地球でいう学校の体育館ぐらいの大きさで足元には細かい砂がびっしりと敷き詰めてあった。僕は足元の感触を確かめながらぼんやりと冒険者たちの様子を見つめる。すると先に訓練場へと足を踏み入れていたナノヤさんが振り返り、あっちでやるぞ、と隅の方を指差した。
「イオリさん。カーディガン汚れちゃいそうですし、私が預かってますよ」
「あぁ……お願いします」
羽織っていたカーディガンをエレシアさんに手渡し、その場で屈伸や足首を回したりと軽くストレッチを行う。
彼女は受け取ったものを丁寧に折りたたんで胸に抱え込むと、立ち上がった僕を見上げにっこりと微笑んだ。
「イオリさん、もしかして緊張されてますか ? 」
「……少し」
「ふふっ。まだ最初なんですから、気を張らずに今の実力でやればきっと大丈夫ですよ。これから頑張りましょう ? 」
「……そうですね」
何を考えているのか分からないと昔からよく言われていた僕のこの顔から、どうやって緊張を感じ取ったのだろうか。彼女の笑顔を見ていると不思議と肩の力が抜けるのを感じて、僕は軽く息を吐いた。
「行ってらっしゃい」
「……行ってきます」
その言葉を背にナノヤさんの正面に立つと、彼は既にストレッチを終え腰に手を当てて待ち構えていた。
「ストレッチはやったみたいだな。じゃあ、どこからでもいいからかかってこい。まずはお前のレベルを知りたい」
「分かりました」
そう返事をすれば、ナノヤさんは挑発的な笑みを浮かべながら人差し指で来いよ、と合図する。それを見た瞬間、僕の頭の中でカチリと何かが切り替わる音がした。これからどう動いてナノヤさんを攻略すれば良いのか、考えるより先に砂を蹴って走り出していた。
瞬く間に距離をつめ右手で殴りかかろうと拳を振り上げるが、ナノヤさんのその両目が正確に拳を捉えていることに気づく。予想通りあっさりと受け流された右腕の勢いのまま、くるりと回転して回し蹴り。顎を狙ったそれも左手でたやすく捕まれ、引き抜こうとするもグッと掴む強い握力に屈する。ならば、と右脚を彼に預けたままなのをいいことに反対の脚で強く地面を蹴り、がら空きの鳩尾に向かって振り抜く。
「うぉっ !? 」
驚いた声をあげるナノヤさんは、掴んでいた右脚を放しつつ鳩尾に向かった蹴りを一歩後ろに下がることで捌いた。その間に空中から体勢を整えて着地した僕は、左手を地面に着いて自身の体重を支えながら、両脚でナノヤさんに足払いをかける。
それを上に跳ぶことで回避したナノヤさんに、今度はタックルを仕掛けようと素早くはね起きようとしたーーーーところで、目前に黒のズボンに包まれた左膝が迫っていた。
「 っ…… !? 」
蹴られる、と僕は思わず身を固めて次の瞬間襲ってくるだろう痛みを覚悟した。
しかし、予想に反してナノヤさんの左脚はヒュッと風切り音を立てながら、僕の顔まであと 3センチという近さのところでピタリと静止した。
「 ! 」
「っ、たく……びっくりするじゃねーか……。俺の方からは手を出すつもりはなかったのによ」
と若干バツの悪そうな顔をしながら、ナノヤさんは静かに振り上げた脚を戻した。それを機に、どこかぼんやりと夢の中にいたような感覚から目覚める。
大丈夫か、と言って差し出される手に掴まって上へと引き上げられると、遠くで様子をうかがっていたエレシアさんが一目散に駆け寄ってきた。
「お二人とも、お怪我は !? 」
「あぁ、俺はこの通り大丈夫だ。イオリは ? 」
「僕も、怪我はありません……」
ナノヤさんの問いかけに首を横に振りながら、僕は彼と行ったこの数秒間の攻防を思い返していた。
もちろん僕自身の意思で動いたのは確かだが、ナノヤさんに立ち向かっている間はまるで自分の脳が切り離されたかのように、身体が自然と次へ次へと動いていたーー。
自分が自分でなかったかのような不安に口をつぐむ中、エレシアさんとナノヤさんは今のやり取りについてしきりに感想を言い合っていた。
「いやー、俺の予想以上だったよ。イオリは見た感じほっそいからなぁ、てっきりヘロヘロの蹴りでも飛んでくるかと思ってたんだが。一つひとつにうまく力がのってて驚いた」
「遠くから見てても、2人ともすごかったですよ ! イオリさんの流れるような攻撃に、それを余裕をもってかわしていくナノヤさんの防御も ! 私、思わず息を止めてました」
「はははっ」
興奮したようにキラキラとした眼差しを送る翠の瞳に、ナノヤさんは少し照れたように声をあげて笑う。そんな2人を見て、僕はやっと高ぶっていた気持ちが落ち着いていくのを感じた。
「……そうですか。僕としてはなんだか情けないところをお見せしてしまった気がしますが」
「そんなことはありません ! とてもかっこよかったです ! 」
僕の言葉に若干食い気味で話すエレシアさんに、僕が返事に困ってナノヤさんの方を見ると、彼は素直に受け取っておけよと楽しそうに言って口元を緩めた。
「だがほんとに、なかなか良かったぞイオリ。まぁ、予想よりちょい上だったが大体今のお前のレベルはつかめたな。……今度は俺に一撃入れるぐらいの気持ちでこないとな」
「……厳しいですね」
「ははっ ! でもお前は多分センスあるよ、何回かやればすぐ上達するだろ」
そう言って視線を遠くへ向けたナノヤさんは、練習場の壁に設置してある時計を確認して、
「じゃあもうちょい時間あるし、続きやるか。イオリ、体力は大丈夫か ? 」
「えぇ。お願いします」
「私は向こうに行ってますね」
手を振りながら再び離れていくエレシアさんに頷き返し、僕はもう一度ナノヤさんに挑みかかった。
♢
「はぁっ、はぁっ、は、………」
それから何分が経っただろうか。何度も繰り返しナノヤさんに立ち向かうたびに軽く地面へと転がされ、僕は気がつけば着ていた白いシャツが砂まみれになるほど、ナノヤさんに負け続けていた。
「はぁっ、はぁっ……」
「あっはっは、体力ねぇなぁ。これは筋トレから始めるべきだな」
と言って笑っているナノヤさんの横で、僕は大の字になりその場で寝転がっていた。深呼吸してドクドクと高鳴る鼓動を落ち着かせていると、ひょこっと逆さになったエレシアさんの顔がのぞく。
「イオリさん、大丈夫ですか… ? お水を持ってきたので飲んでください」
「ありがとうございます……」
地面に肘をつきながらなんとか自力で起き上がり、僕の横に膝をついたエレシアさんからグラスを受け取った。ナノヤさんはというと、汗だくな僕とは対照的に全く疲れた様子も見せず、同じくエレシアさんからもらった水を美味しそうに煽っていた。
「そろそろ 1時間経つ頃か ? イオリが落ち着いたら、上にもど……」
「ーー精が出るな、ナノヤ」
突然耳に入ってきた第三者の声に僕たちが振り向くと、そこには 40代ぐらいと思われる男性 2人がゆっくりとこちらに歩み寄ってくるところだった。
「うわっ、マスター……何でここに」
「何でと言われても、ここは俺のギルドだぞ ? どこにいたって俺の勝手だろうが」
2人のうち先を歩む男性の顔を見た途端、げっ、と口を歪めるナノヤさん。マスターと呼ばれたその男性は、ナノヤさんの反応にスキンヘッドの頭を掻きながらニヤリと笑った。「俺のギルド」と言っていたため、ここの長、つまりギルドマスターということになるのだろうと思う。
そして顔を横向けてチラリと視線をやった男性の隣に、後ろからやってきたもう 1人がそっと並び立つ。
その男性は、爽やかな青色の髪に翠の瞳をもち、その整った顔立ちには見たものを安心させるような柔らかな表情が浮かんでいて、何故かひどく既視感があった。
僕がどこかでこの人を見たことがあるだろうか、と座ったまま首を傾げている横で、エレシアさんが驚いたような気配がした。
「お父様 ! 」
「やぁ、エレシア。頑張っているようだね」
ふふ、と穏やかに微笑む男性の姿に、銀色の髪に同じ翠の瞳をもつエレシアさんの姿が重なった。
ギルドマスターとクロアドール男爵。これが、この街の 2大トップとも言えるであろう人物たちとの、初対面となるらしかった。
戦闘シーンの書き方が分かりません……。どうやったら臨場感をもって書けるのか模索中です。