見知らぬ場所で〈2〉
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翌朝、ドアを軽くノックする音で目覚めた僕はゆっくりとベットの上で起き上がった。
「………はい」
「あ、起きました? エレシアです、下でご飯を用意してあるので準備ができたら来てくださいね」
「ありがとうございます」
ドア越しにそう返事をしつつ、僕は窓から差し込んでくる陽光に目を細めてよく晴れた青空を眺めた。
「……夢ではなかった、か……」
もしかするとこれは夢で、目が覚めたら自分のベットの上なのではないか、と淡い期待をしていたこともあり、思わずため息が出た。つい先ほどまでの本物の夢の中では、いつも通り翔と笑い合いながら普通に高校に通っていたのにーーーー。
重い体に鞭をうってベットを降り、服を着替える。僕が地球で刺されたときに着ていた制服は、血まみれで穴が空いていたこともありとても着られるような状態ではなかったらしく、今日と昨日の2日分用意されていた服は、急遽エレシアさんの知り合いの男性が貸してくれたものだと教えてもらった。
部屋を出ようとしたところで、用を足してから行こうとふと考え直し、トイレへと繋がるドアに手をかける。面白いことにここでのトイレの形は日本とほぼ変わらず、違うところといえば水の流し方ぐらいだ。
本来水を流すために回す蛇口の部分に、ここでは透明な石が一つ、ポツンと設置されているのだ。その石の中には魔法陣のようなものが描かれているのが見てとれるが、どう使えばいいのかはいまいちよくわからず、昨夜も適当に触れているうちになんとかできてしまった。
ともあれなんとか用を済ませついでに顔も洗ったところで( 洗面台にも同じ石が設置されていたがここもなんとかなってしまった)、今度こそ 1階へと足を向けた。
昨日と同じ扉をくぐり抜けると、しかしそこは昨日と打って変わって閑散としていて拍子抜けしてしまう。扉を開けたまま立ち竦む僕に気づいたエレシアさんが、料理を持って小首を傾げながら僕へと近づいてきた。
「どうされたんですか ? 」
「いや……人が少ないというか、昨日と比べて静かだなと驚いてしまって」
「あぁ、この時間だとみなさんもう依頼を受けに出てますからね。早朝だともっと人も多いんですけど」
「依頼……」
昨日の会話の中でもチラッと出てきた、“冒険者” の人たちに関連することだろうか。ガラガラなテーブルを通り過ぎてまたエレシアさんと向かい合って座ると、僕たちは揃って朝食に手をつけ始めた。目の前の銀の少女がフォークを手に取るのを見て、僕はふと違和感に気づき眉を顰める。
「……すみません、もしかして僕が起きるのが遅かったせいで、待たせてしまいましたか」
「え ? 」
「いえ、エレシアさんの料理が冷めてしまっているようなので……」
「あぁ ! ふふ、大丈夫ですよ」
合点がいったように微笑んで頷いた彼女は、そういうとおもむろに右手を料理の載った白いプレートへと向け、そっと目を閉じた。
「ーー我が魔力を糧に、熱し給え。温度変化」
唱えた瞬間、空気が変わる。
どこからとなく魔法陣が現れ、辺りを幻想的に照らし出す。その瞬間の、未知の力に触れた感動とも恐怖ともいえる不思議な感覚が、僕の背中をゾワリと震わせた。
魔法陣が輝いたのはほんの一瞬のことで、それはやがて空気に溶けるように消える。その間、僕は瞬きさえ忘れてただ呆けていた。
「ーーさん、イオリさん ? 」
「は……」
ハッとすると、エレシアさんが僕の目の前で手のひらを振っていた。
「そんなに驚いて……どうされたんですか ? 」
「いえ……エレシアさんは、本当に魔術、が使えるんですね。……初めて見たので」
「「初めてぇ !? 」」
声をあげたのはエレシアさんだけではなかった。隣のテーブルに座って時折僕たちの方を気にする様子を見せていた、30代後半くらいの男性だ。声の方に顔を向けると、僕と同じく食事中だった彼は、右手にナイフを持ったまま顎が落ちんばかりに口を開けて驚いていた。
「あ、あぁ……すまん、話に割り込むつもりはなかったんだが、ついビックリしてな。悪かった」
「いえ……」
「あ、ちょうどよかった ! イオリさん、この方がナノヤさんです。イオリさんを見つけてここまで運んできてくれた方ですよ」
そう紹介してくれたエレシアさんは、ナノヤと呼ばれた男性に、先を促すように視線を向ける。僕は、本来命の恩人に対して真っ先にお礼を伝えなければいけないはずがすっかり忘れていたことに気づき、羞恥に耳が赤くなるのがわかった。
「えーっと、あんたと話すのは初めてだったな。元気になったようで何よりだ。俺はナノヤ、見てわかると思うが一応冒険者をやってる。……まぁ、よろしく頼むな」
そう言って人の良さそうな朗らかな笑みを浮かべた彼から差し出された手を握り返しながら、僕は彼に向き合うように座り直しその場で深く頭を下げた。
「……ご挨拶が遅れてすみませんでした、黛 伊織と申します。命を救っていただいたようで、本当にありがとうございました」
「あ、あぁ、気にすんなよ ! 冒険者は命あっての仕事だからな、怪我したときはみんなで助け合うもんだ」
照れ臭そうにポリポリと頬をかくナノヤさんは、その場を改めるように咳払いをすると食べかけのプレートを持ってエレシアさんの隣、僕の斜め前へと移動してきた。
「ーーにしても、身なりからしてそうだとは思ってたけど……やっぱり名字持ちだったんだな」
「名字、持ち…… ? 」
「なんだよ、まさかそれも初めて聞いたとか言わねぇよな ? 」
「……」
どうやら僕はとんだ常識外れな言動をしてしまったようだ。無言で首を横に振ると、再度エレシアさんとナノヤさんが揃って目を見開いた。
「ほんとかよ、それ。魔術も見たことねぇし、名字持ちも知らねぇって、世間知らずにも程があるだろ……どんな田舎から来たんだ ? その髪と瞳もこの辺りじゃ見たことない色だしな……イオリ、どこの出身だよ ? 」
「僕は……」
言葉に詰まって、テーブルへと視線を落とす。ここで日本と言うのは簡単だが、ではそこからどうやってこの地まで来たのかと尋ねられたら終わりだ。かといって、正直に異世界から来た、と言っても信じてもらえないのは目に見えている。僕だって、いきなり「異世界から来ました」などと言うやつがいれば一笑に付すだろう。
しかし、今後ももし自分がおかしな言動をしてしまったとして、それを周囲に納得してもらえるような理由が必要になるーー。僕はしばらく逡巡した後、半分だけ嘘をつくことを決めた。
一度ゆっくり瞬きをして2人に向き直ると、黙って僕の言葉の続きを待っている真剣な瞳にぶつかる。ここまで良くしてくれた人たちに嘘をつかなければいけないのはさすがに心苦しかったが、その思いは一旦置いておくことにした。
「……実は……僕、目覚める前の記憶が曖昧で……ところどころ記憶が欠落してしまっているようです」
「記憶が…… ? 」
「はい」
「…………」
頷くと、2人は沈痛な面持ちで俯いてしまった。きっと、僕がここに運ばれて来たときのことを思い出して“ 怪我をした際によほど辛い思いをしたのだろう ”と、そのショックで記憶が欠落してしまったと思っていることだろう。2人が僕に同情してくれれば、今後その話題を出さないように配慮してくれるはずだ。その勘違いを、今だけ利用させてもらおうと僕はさらに切り込んだ。
「これまでのことを思い出そうとすると、頭痛がするんです……おそらく今の僕だと幼児程度の知識もないかもしれません。なので、その都度教えていただけると大変助かります」
一呼吸置いてそう続けると、2人は真剣な表情のまま大げさに思えるほど強く頷き「もちろんです(だ) 」と協力を約束してくれた。
そして朝食を食べ終わったら早速ナノヤさんがいろいろ教えてくれることになり、エレシアさんはお昼に向けてお店の手伝いがあるということで、時間が空いた時に随時、ということになった。
結局それなりの時間話し込んでしまったのでプレートの上の料理はすっかり冷めてしまい、エレシアさんが笑いながらもう一度温め直す魔術をかけてくれ、3人で出来たてのように戻った朝食を楽しんだ。
極めて冷静に嘘をつく鬼畜系主人公。でも私は頭脳系の登場人物が好きなので、このまま進めます。ただ私が頭脳系を書けるかが問題ですが……。