見知らぬ場所で〈1〉
「ーー……ーーー……」
「ん………」
眩しい光に照らされ、意識が浮上していく。ゆっくりと瞼を開くと、視界の端で柔らかな風に揺れる白いカーテンの隙間から、ゆらゆらと気まぐれに光が差し込んでいた。
「…… ? ……」
どうやら僕はベッドに横になっていたようだ。片手をベッドにつけて支えながらゆっくりと身体を起こし、ぐるりと自分がいる部屋を見回してみる。テーブルにソファ、簡素なキッチンとどれも質素ながら清潔感に溢れている。
僕は寝起きでうまく回らない頭で周囲を観察しつつ、自分が今どうしてここで寝ていたのかという疑問に思い至った。
「……僕は一体……? ……… ! そうだ、確か……畠商事の、社長に刺されて……」
まるで靄がかかったようにぼんやりとしていた脳が、一気に覚醒する。意識を失う直前のあの出来事が脳裏に鮮明に蘇ってきたからだ。慌てて幸仁氏に刺された脇腹に手を当ててみるが、血が止まっているどころか皮膚がほんの少し吊ったように盛り上がっている程度で、それ以外はほぼ完治していた。刺された記憶が嘘のようで、まるで僕があんな怪我をしたこともなかったかのようだ。
( 傷が……何故僕は生きている ? それにここは……僕の部屋でもないし、どこかの病院という風にも見えない……)
ーーザァ……
ふいに風が僕の耳をくすぐり、思考に耽ってうつむいていた顔をあげる。風が吹き込んできた真横の窓に視線を移した僕は、次の瞬間驚愕に目を大きく見開いた。
「なっ…… ! 髪が…… !? 」
透明な窓ガラスに写った自身の姿が、これまでの記憶の中のものと微妙に異なっていたからだ。黒髪黒目という日本人として平均的な容姿だったはずの僕は、顔のつくり自体は見慣れたもので変化はないものの、その髪は深い藍色に。そして瞳は宝石を思わせる鮮やかな紫色へと変化していた。
「……」
一体何が起こっているというのか。混乱した頭で、何気なく窓の外の景色を覗きこんでみる。そこにあった見慣れない景色を見て、僕はこのありえない現象の答えを得たような気がした。
レンガでできた歩道、その左右に立ち並ぶ白塗りの建物たちは、まるで映画に出てくる中世の景色そのもの。そしてそこを闊歩する人々の服装はといえば、革の鎧や動物の毛で作られた戦闘服が多く、背中には剣や弓など多種多様な武器が括り付けられている。およそ僕の知る限り、地球上のどの国でもこのような暮らしをしている人々がいるとは記憶していない。
(……ということは……ここはまさか……)
「……地球ではない、ということ、なのか…… ? 」
思わず口に出してつぶやきながらも、そんな小説のようなことはあり得ない、という思いと、そうでもなければこの状況の説明はつかないだろう、という相反する考えがせめぎ合う。そのまましばらく眼下を行き交う人々の姿を眺めながら熟考していると、ふとドアの向こうから足音がした。どうやらその足音の主はこの部屋に近づいてきているようで、だんだんと音が大きくなってくる。僕はドアへと顔を向け無意識にベッドの上で身構えながら、その来訪者を待った。
ー-ガチャ
「失礼します……、って、まだ寝てる、わよ……ね……」
「………」
「………」
「…… ? 」
独り言のように小さな声でつぶやきながら部屋の中に入ってくるなり、ベッドの上で起き上がった僕を視界に入れ、ピタリと動きを止めた少女。それっきり彼女が何も言葉を発しないので、僕も困惑して押し黙る。その奇妙な沈黙をいいことに、僕はまず目の前の少女を観察してみた。
歳の頃はおそらく僕と同じぐらいで、腰あたりまで伸びる銀色の髪は風に揺れてサラサラと流れている。肌は北欧のいわゆる白人と呼ばれる人々のように色素が薄く、目鼻立ちも整っているために極めて精巧な人形のようにうつる。
そして今は大きく見開かれた瞳は、鮮やかな翠色をしていて僕はまるで宝石がはめられているみたいだ、と少女の瞳を見つめながら思った。
しばし続いた沈黙を破ったのは、ホッとした顔でゆっくり僕のベッドの前まで歩み寄ってきた彼女の方だった。
「良かった……。ごめんなさい、目が覚めていると思わなくて驚いてしまいました」
「……いえ、こちらこそ驚かせてしまって。……あなたは ? 」
慎重にそう尋ねると、少女はとたんにふわりと柔らかく微笑んで、
「私はエレシア=ルモンド=クロアドールです。エレシアで構いません」
「……エレシアさん……僕は、黛伊織と言います」
「マユズミイオリさん… ? この辺りではあまり聞いたことがない響きのお名前ですね」
どうやら彼女は「黛伊織」の一繋ぎで名前だと誤解しているようで、イントネーションに違和感がある。不思議そうな顔をしている少女、もといエレシアさんの誤りを訂正すべく首を横に振って、
「伊織、が名前です。……黛は名字」
「え、…… ? 」
「……? 」
すると今度はきょとん、と目を瞬いて僕を見つめる。この女の子はコロコロ表情が変わるらしく、きっと素直に感情が表に出る子なのだろうという感想をもった。
「……それで。僕は何故ここにいるのでしょうか。正直、記憶が曖昧なので教えていただけると……」
「あ……はい。イオリさんが血だらけのまま森のなかで倒れていたところを、冒険者の方が見つけて運ばれて来たので……。とりあえずここに」
「僕が、森の中に…… ? 」
「はい。特にお腹の傷が深かったので……光魔術で治療しておきました」
「 ! 」
魔術、その言葉に先ほどの自身の予想が当たっていると直感する。ナイフで刺されたあの時、閑静な住宅街にいたばすの僕が森の中で倒れていたことも謎であるが、それ以前にこの世界には “ 魔術 ”というものが存在しているらしい。ここが俗に言う “ 異世界 ” だなんて荒唐無稽な考えかもしれないが、彼女が嘘をついていないことは僕を心配そうに見つめる翠の瞳を見てわかっていた。
「……あなたが治療してくれたということですか。……ありがとうございました」
「い、いいえ ! 私はただ夢中だっただけで……無事に意識が戻って良かったです」
ベッドの上に座ったままぺこりと頭を下げると、エレシアさんは慌てたように手を横に振って頬を赤らめている。その様子は本気で照れているようで、見ていてどこか微笑ましい。一見すると冷たく見られてしまいそうな銀と翠のその美貌も、こうして感情を表情にのせると一気に親しみやすく映った。
「あ、あの……とりあえず、お腹は空いていませんか。3日間寝続けていたから、目が覚めたらお腹も空いてるかもしれないと思って一応1階でご飯を用意してあるんですけど……」
「ご飯……」
そう口に出した途端、僕の胃がグゥウウ、と大きく鳴いた。空腹を意識したら食欲が湧いてきたようで、なんとも現金な身体だと肩をすくめる。
「……食べます」
「ふふっ……はい ! じゃあ今持ってきますね」
「あぁ……どうせなら自分で行きます。お手数かけるのも申し訳ないので」
「えっ、でも無理はしない方が……」
「大丈夫です」
部屋を出て行こうとするエレシアさんを引き止め、ベットの上で身体を横に滑らせて床に足をつけると、ぐらりと視界が揺れる。どうやら失血の影響で貧血を起こしているようだった。顔から血の気が引いているのを自覚しながら、なんとか立ち上がってエレシアさんに向き直った。
「とても大丈夫には見えませんけど……どのみち食べないと力が出ませんものね……」
僕の顔色を見て心配そうな顔をしながら、エレシアさんはドアを開けてくれた。そして、僕は案内してくれるらしい彼女に付き従って部屋を出た。
♢
エレシアさんに連れられ、木でできた螺旋状の階段を下っていくと、階下からは光とともに賑やかな声が漏れ出ていた。
「ここです」
ギィ、と鈍い音を立てて扉が開かれると、その瞬間喧騒が耳について僕は思わず目を瞬いた。そこでは、レストランのワンホール程度の大きさの空間に、所狭しとテーブルが並んでおり、それぞれのテーブルには様々な料理やお酒が乱立している。どこも楽しそうな笑顔で満ちていた。
するとふと目の前を通りがかったエプロン姿の女性が、エレシアさんを見た後その後ろに立つ僕を見て驚いた顔をした。
「エレシア様、どうだった……あら ! あんた目が覚めたのね ! 」
「はい ! さっきお部屋に行ったら起き上がられていて」
「随分長く眠ってたからねぇ。心配したけど、目が覚めたならよかったわ」
「リースさん。それでこの方にご飯を、と思ったのですけど……。ちょっと厨房入りますね」
「あぁ、いいよいいよ ! あんたはそばにいてやんな。もう注文のピークも過ぎたから手伝いもいらないしね」
「分かりました」
それだけ言って去っていく女性を見送ると、エレシアさんは振り返ってホールの奥の方を指差し、
「ご飯はリースさんが持ってきてくれるみたいです。あっちで待ってましょうか」
「はい」
彼女の後についてテーブルに向かうと、あれだけ大きな声で騒いでいたはずの人々が、僕たちの様子をうかがうように徐々に静かになっていくので居心地が悪い。1番奥にあるテーブルにエレシアさんと向かい合って席に着くと、彼女はホールを見回してにっこりと微笑んだ。
「私、このお店で働いてるんです。ちょっと騒がしいかもしれませんが、みんな笑顔でいいところでしょう ? 」
「そうですね」
「料理もとっても美味しいんですよ ! 楽しみにしててくださいね。……あの、それで……」
「……?」
「えっと、イオリさんは今おいくつですか ? 私と同じくらいに見えるのですけど……」
「17 です。……エレシアさんは?」
「あ、じゃあ私の方が 1つ下ですね ! 私はこの前 16歳になったので」
よかった、と安堵した様子のエレシアさんに何故かと尋ねると、彼女は申し訳なさそうに「イオリさん、話し方が落ち着いてるからもっと年上かもしれないなって思ってしまって」と話した。
僕は、地球でも人から「大学生?」と尋ねられるくらい実年齢より年上に見られることが多かったのでこの世界にきても変わらないのだな、とただ納得する。そんな調子で会話を続けていると、先ほど見たエプロン姿の女性が両手に料理を持ってテーブルへとやってきた。
「さぁさぁ、お食べよ。あんた、食欲はあるのかい ? 」
「えぇ、さっきからお腹が」
すると、再びタイミングよくお腹がグゥ、と空腹を訴えた。
「あっはっは ! じゃあ食べられそうだね、熱いから気をつけて食べな」
「……ありがとうございます」
2人に勧められるがまま、スプーンを手にして一口掬う。料理の見た目は地球でいうポトフに酷似していて、野菜がたっぷり入っていた。僕の体調を気遣ってか、胃に負担のかからないようじっくり煮込んであるらしく野菜がトロトロになっていた。
「……いただきます」
口に含むと、思った通り煮込まれた野菜の舌触りがよく、スープの温かさが身体に染み渡る。塩加減も絶妙で、僕はさらに二口、三口と続けて口に運んだ。
「……あの、お味はどう、ですか…… ? 」
「……とても美味しいです」
「 ! よかった ! 」
素直に感想を伝えると、周りに花が咲いていると幻視するほど嬉しそうに顔を輝かせるエレシアさん。同じように僕の反応を見ていたリースという女性も、よかったね、とエレシアさんの肩を優しく叩いていた。
「そのスープ、あんたのためにこの子が作ったんだよ」
「っ、リースさん !? 」
「……これを、エレシアさんが ? 」
「あぁ、だから味わって食べてやってね。できれば全部」
「………」
「そんなことわざわざイオリさんに言わなくてよかったのに ! 」
ごめんごめん、と笑顔で手を振り去っていく彼女の後ろ姿に鋭い視線を向けるエレシアさんは、恥ずかしいのを隠そうとしているのが見え見えでどこか微笑ましくうつる。そう感じているのは僕だけではなかったらしく、周囲の人々もくすくすと笑みをこぼしているのがわかった。
もう……とブツブツ文句を言っている彼女を尻目に、僕は再び黙々とスープを口に運んだ。
そのまま無言で食べ続け、やがて皿がカラになると、静かにスプーンを置いて頭を下げた。
「…………」
「……ごちそう様でした」
その言葉に、僕が食べる様を嬉しそうにただじっと眺めていたエレシアさんは、ハッとしたように視線をあげた。
「……あっ、いえ ! 全部食べられたようで何よりですね」
お皿を片付けてきます、と意気揚々と席を立った彼女をぼんやり見つめる。厨房に立っていたリースさんに軽く挨拶した彼女が再び戻ってくると、僕は寝るにはまだ早い時間であるが大事をとって部屋で横になることになった。
「 3日間も寝ていて体力も落ちているでしょうし、今日はゆっくり休んでください。明日の朝また起こしにきますから」
「……すみません、何から何まで……お世話になります」
軽く頭を下げて謝罪すると、エレシアさんは僕を気遣ってか明るく笑い声をあげる。
「いいえ、困ったときはお互い様ですよ」
「ありがとうございます。………じゃあ、お休みなさい」
「お休みなさい、イオリさん」
ーーバタン。
そう微笑む彼女に挨拶して、部屋へと入る。室内には、窓から煌々と月明かりが差し込んでおり照明をつけなくとも十分に明るかった。
早速ベッドに潜り込むと、今日 1日の出来事が自然と頭に思い浮かんでくる。こうしてエレシアさんやリースさんと言葉を交わした今でも、自分は非常に緻密な夢の中にいるのではないかと、心のどこかで疑っている冷静な自分がいることに気づく。
( 僕はどうしてこの世界にいるのか……よく考えてみれば、明らかに地球ではないこの場所で僕の言葉が通じているのも不思議だ。自分が話しているのが日本語であるのかも、わからなくなってくる…… )
こうして一人になった途端、考えるべきことがどんどん湧き出てくる。それら全てに対しこれといった明確な答えの出ないまま、僕はいつの間にか深い眠りへと落ちていた。
話がなかなか前に進みませんね。もっとサクサクいきたいとは思っているのですが…。