始まりのとき〈2〉
もっと簡潔に伝えたいのですが、どうしても文字数が多くなってしまいます。執筆は難しいと改めて実感。
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「エレシア様ー ! こっちもよろしく頼むよ ! 」
「はーい。今行きます! 」
遠くから私を呼ぶ声が聞こえ、慌ただしくカウンターを出た。今いるこの場所はこの街唯一のギルド支部であり、私の普段の仕事場でもある。
父はここの地域一帯を先祖代々治める領主の家系で、端的にいえば私は領主の娘。本来であれば、長女という立場の私も父の仕事を手伝わなければいけないのだけれど、次期領主の件については既に2歳下の優秀な弟が継ぐと既に決まっていることもあって、案外こうして自由にさせてもらっているのだ。
今日もいつものように、依頼から帰ってきて傷だらけの冒険者たちの手当てに奔走していると、外からバタバタと走ってくる足音と人々の騒ぎ声が近付いてきた。
「んぁ ? なんだ ? なんか騒がしいな」
「そうですね……何かあったのかしら。私、ちょっと見てきますね」
この道 40年というベテラン冒険者であるボルテさんが、まだ太陽が高く登る時間だというのにお酒の入った大瓶を片手に不思議そうに言う傍ら、私は外の様子をうかがおうとドアに歩み寄った。
ーーバァンッ !
「エレシアちゃんはいるか ! 」
「きゃっ !? 」
ドアノブに手をかける前に、すごい勢いでドアが開き危うく壁との間に挟まれそうになった私は思わず悲鳴をあげた。
「あぁ、驚かせてごめん……って、エレシアちゃん ! 」
「ナノヤさん…… ! そんなに急いでどうしたんですか ? 」
「怪我人だよ、怪我人 ! それも瀕死の重傷だ ! 」
ナノヤさんはすぐ目の前に人が立っていたことに目を丸くしていたが、それが私だと気付くと息を切らしたまま焦った様子でまくしたてた。私は怪我人、という言葉に無意識のうちに目を細めながら、
「その方はどこに ? 」
「今俺の仲間がこっちに運んでくる ! ……依頼から帰ってくる途中の森ん中で倒れてたから声をかけたんだが、返事がなくてよ。近寄ってよく見てみたらすごい怪我だってんで慌てて魔石を使ったんだが、それがちっとも効かねぇんだ」
そう言われて改めてナノヤさんの格好を見ると、彼の着ている白いシャツが夥しいほどの血の量で真っ赤に染められていた。ナノヤさん自身は特に怪我をしている訳でもなさそうなので、どうやらこれは全部その “重傷人” の人が流した血のようだ。
彼から大体の事情を聞きながら、急いでカウンターに戻って治療のために必要な道具を引っ張り出していく。
「魔石が効かない…… ? 何の属性の魔石を使われたんですか ? 」
「光だよ。水のも持ってたけど、光のやつが1 番効くんだろ ? 」
「えぇ、普通なら……。でももし、光でもだめだったとなると……」
ふと思いついた推測にぽつりとつぶやく。そうこうしている間に入り口から次々と男性たちが駆け込んできて、つかの間考えこんでいた私はハッとして顔をあげた。
「エレシアちゃん、どこに寝かせればいい !? 」
「こっちにお願いします ! 」
焦る彼らを比較的広いスペースに誘導して、運ばれてきた男性の状態を診る。
「こいつなんだけど……どうだ !? 」
「呼吸はなんとかしてるみたいだけど、血の量がすごいし脈も弱いんだよ ! 」
「….... ! ひどい怪我…… ! 」
そう口々に言いつのる彼らの手によって慎重に床に横たえられた若い男性は、左脇腹を何かで刺されたような跡があり、未だ出血も止まっていない。彼らがいうとおり呼吸も脈も非常に小さく、正直生きているのが不思議に思えるくらいのひどい状態だった。
「……この怪我だと、直接私がこの方に治癒をかけた方がいい ! 集中するのでみなさん静かにお願いします! 」
「あ、あぁ ! 」
スカートのベルトにさした杖を取り出しながら、心配そうな顔で瀕死の男性を見守る彼らに早口で伝え、私はそのまま横たわる彼のお腹に杖の先端を向けた。両手でしっかりと杖を握りしめ、集中を高めるために意識して大きく深呼吸を行う。
「ーー我が魔力を糧に、汝の傷を癒し給え……天使の祝福 ! 」
呪文を唱えると、文字や記号などが無数に描かれた魔法陣がどこからとなく空中にいくつも浮かびあがり、やがて淡く発光しつつぐるぐると回転し始める。とりあえず無事に発動したのはいいけれど、いつもと比べて魔術発動時の魔力の消費スピードが段違いに早い。少しでも気を抜けば思わず手放してしまいそうになる杖を、グッと固く唇を噛み締めることでなんとか堪える。
(こんなに制御が難しいことなんて今までなかったのに…… ! でも一応治癒も作動して効果もあるようだし……やっぱり私の考えすぎかしら…… ? )
「おぉっ…… ! 」
ゆっくり、本当にゆっくりではあるが男性の傷口が塞がっていくのを見て、周囲がひそかに感嘆の声をあげる。私もその様子を冷静に見極めながら、再度気を引き締めた。
「……っ、うっ…… ! 」
瞬間、魔法陣の回転速度がさらに増し、それに比例して魔術行使による負担も大きくなる。こうなるともう治療も終わりに近いという証だ。やがて、傷跡まではさすがに消せなかったものの先ほどまで大きく開いていた傷口は完全にふさがり、無事出血も止まる。そして周囲を取り囲んでいた複雑な紋様の魔法陣は、そのままスゥ…と空気に溶けるように跡形もなく消失した。
「はぁ……はぁ……、っ、はぁ……」
「エ、エレシアちゃん…… ? こいつ、もう大丈夫なのか ? 」
「あ……はい。でも、怪我は治っても流した血は戻らないのでしばらく安静にしなきゃいけませんけど」
おそるおそる尋ねてくるナノヤさんに額にかいていた汗を手の甲で拭いつつ微笑みかける。すると、緊迫して固まっていた空気がわっ、と一気に盛り上がった。
「うぉぉお ! さっすがエレシア様だ ! あんなひでぇ怪我をもう治しちまった ! 」
「光属性魔術なんて初めて見たぜ。すげぇんだな」
「そりゃエレシアちゃんなんだから当たり前だろ ! 」
「いや、なんでお前が自慢げなんだよ」
そう言って矢継ぎ早にまくしたてる人々に苦笑する。そんな私を置いて、周囲はどんどん熱を上げていたが、私は今更ながら本当に治癒できているのか不安になって、床に横たわったままの彼の顔を覗き込んでみる。すると彼は静かに落ち着いた寝息を立てていて、ほっと肩を下ろす。そんな私を見て同じように彼の横にしゃがみ込んだナノヤさんは怪訝な顔をしながら眉をひそめ、
「にしても……なんであんなとこにこんな血だらけで倒れてたんだろうな、こいつ ? 剣とか武器も持ってないみたいだしよぉ。もしかして魔術師か ? しかも結構上等な服着てるしな……貴族って線もあるか」
「うーん……本人に聞いてみないことにはわかりませんね。見たところ呼吸も落ち着いているし、おそらく明日辺りには意識も戻ると思いますから」
「そっか」
そう言って首を縦に振るナノヤさんに頷き返して、改めて彼に視線を戻す。
その凛とした静かな寝顔にはまだどこか幼さが残り、16歳の私とあまり変わらない年頃のように見える。出血により青白くなった肌はもともと雪のように白皙なのだろう、女の私が羨ましくなるぐらい綺麗でシミ一つ見当たらない。鼻筋もすっきりと通っていて、だいぶ安定してきた寝息を吐き出す薄い唇は扇情的な淡い赤色。今は閉じられたまぶたの上で、顔に影を作るほど長いまつげが縁取っている。
「…本当に綺麗な男の子……」
そのまぶたの奥にある瞳は、一体どんな色をしているのだろうか。顔のパーツのどれをとっても非常に端正な顔立ちをしていて、美少年とはこういう男の子のことを言うのだろうな…とぼんやり思う。
ナノヤさんたちの手によって部屋へと運ばれていく彼を見送りながら、私はきっとこれから何かが変わっていくだろうと、根拠のない高揚感に包まれていた。