見知らぬ場所で〈8〉
「ーー僕はあの日、“地球”という世界から……この世界へと異世界転移、して来ました」
僕の言葉を聞いた彼らの反応は、それぞれ異なるものだった。まずグレン氏は三白眼を見開いて驚愕し、強面がさらに凶悪になってしまっている。受付嬢は口を開けたまま。その横のカーティス氏は眉間にしわを寄せて神妙な顔つきで黙り込んでいる。
一方、僕が一番気になっていたエレシアさんとナノヤさんはと言えば、2人はいつもと変わらない表情で僕をじっと見つめ返していた。
「………」
お互い何も言葉が出てこないまま、彼らとしばし見つめ合っていると、やがてグレン氏が沈黙に終止符を打った。
「……異世界、だと?」
「はい」
僕が即答すれば、苦虫を噛み潰したような顔をする。明らかに疑いをかけられている。
「信じられねぇな。もしそれが本当だったとして、自分が異世界人だという証拠はあるのか?」
「……証拠は、特にありません。それこそ、先ほどみなさんも見たでしょう僕の記憶ぐらいしか」
そこで一呼吸おいて、
「……僕は、地球という世界の日本という国で生まれて、学生として一般常識を学んでいました。地球では魔法というものはお伽話の中のものとして扱われていたので、魔法を実際に見たことなんてもちろんありません。魔力がない代わりに、電気というエネルギーを使って生活していました。国によっては日々戦争をしているようなところもあったけれど、僕がいた国は平和で、日常的に戦いが起こるなんてこともありませんでした」
訥々と語る。途中でチラと横を見ると、エレシアさんが真剣な眼差しでこちらをうかがっていた。
「………ナノヤさんは、僕が名字持ちだからきっと僕も貴族だろうといいましたね。でも僕の国では名字持ちが一般的で、貴族制度もありませんでした」
すると腕を組みながらそこまで黙って聞いていたグレン氏が、ゆっくりと息をついて椅子の背にもたれかかる。
「仮にその話が本当だったとして、だ。お前はなんでこの世界に来た?これまでの記憶があるんだ、きっかけぐらいは覚えてるだろ」
「それは……」
正直思い出したくない記憶であるが、仕方ない。
「……僕の父は、国でも有数の商社で社長をしていて、その父に恨みをもった人間に刺されました。襲われた時は周囲に人気はありませんでしたから、そのまま僕は出血多量で死ぬはずだったのですが。意識を失って再び目が覚めたら、ここのベッドで横になっていました」
「……私、その記憶を視たと思います」
「エレシア?」
ぽつりとエレシアさんがそう溢し、カーティス氏が視線を向ける。エレシアさんは浮かない表情で、膝の上の両手を握り締め、
「イオリさんに 3人の男が襲いかかって、そのうちの 1人にナイフでお腹を……。その後男たちは笑いながら消えていって、イオリさんだけが……、その場に……」
「……エレシアさん」
口もとに震える手を当てるエレシアさんの背をそっと撫でる。僕が体験したあの瞬間の、体の芯からジワジワと凍えていくような死の感覚を、彼女も間接的に体験してしまったようだった。
「大丈夫です、僕は今生きていますから」
「そう、ですね……」
まだ浮かない顔をしつつも、エレシアさんは前を向いてカーティス氏と視線を合わせた。
「お父様、私、イオリさんが刺された瞬間の記憶を視ました。みなさんが視ていないということは、おそらく魔術が発動したときに私がイオリさんの近くにいたから、私だけが視たんだと思います。それに、ナノヤさんがイオリさんを運んできてくれたときの傷と、刺されたときの傷は一緒のように見えました。イオリさんの話に矛盾はありません」
と、気丈にも発言した。それを聞いたカーティス氏は、数秒間考えるように沈黙したのち、ふぅ、と長めの息をついた。
「……お前の言いたいことは分かったよ、エレシア。僕も、イオリ君は嘘を話していないと思う」
「信じるのか、カーティス?」
「正直に言えば、僕だって半信半疑さ。いきなり自分は異世界人です、なんて言われても信じられるわけがない。でも、僕たちは彼の記憶を視ている。……さらに言えば、僕は“チキュウ”という世界の名前を知っている」
「!?」
僕の目を見つめながらそう話すカーティス氏に、僕は思わず目を見開いた。
「知っている、とは?」
「僕は、学生時代この国 1番と言われる図書館によく出入りしていたんだ。そこで、一度だけ異世界から来たとされる人間の体験記を読んだことがある。その本の中で彼は、自身のことを“チキュウのニホンジン”だと語っていた」
本当か?、と訝しげに尋ねるグレン氏にカーティス氏が、こんな嘘を言うわけないよ、と平然と返す。
「君も同じ本を見てあらかじめ知識として知っていたという可能性もあるけれど、そうだとしたらそのことを知らないふりをするメリットはないわけだからね。さっきの記憶の中にあった地図みたいなものは、君の世界のものなんだろう?……だから完全に君が異世界人だと信じるわけにはいかないけれど、嘘でもないと僕は思うよ」
そう結論づけたカーティス氏をよそに、僕は頭の中でぐるぐると別のことが気になっていた。
「……その本があった図書館とはどこに?具体的な本の名前は覚えていますか?」
「本の名前までは覚えていないけど、各地の伝記などが集められているブースに置いてあった気がするよ。本は中央図書館、この街から 2ヶ月くらいの距離にある街にあるところだ」
「そうですか……」
「……君は、その本を読みたいんだね」
「はい。これまで明確な目標はありませんでしたが、その図書館に行ってみたいと思います。……なぜ僕がこの世界へと来てしまったのか、その理由が知りたい。その本を読めば、この世界に来たきっかけくらいはわかるかもしれない」
「分かった。じゃあ君がこの街を出るまで、常識を身につけるまでの間は、僕たちがサポートしようじゃないか」
そう告げるカーティス氏に、グレン氏やナノヤさんも驚いた顔をしている。まさかカーティス氏からこのような話を持ち出してくるとは思わなかったのだろう。
「……それはありがたいのですが、対価として僕は何をすれば?」
「なに、時間があるときに僕と話をしてくれればいいだけさ。異世界人は僕たちよりも文明が進んでいる世界にいたとその本に載っていた。君から情報を集められれば、きっとこれからの治世に生かすことができるだろう?」
食えないお人だ、と思った。だが話をするだけなら僕としてはむしろ好条件だ。僕は頷き、カーティス氏とそっと握手を交わした。
「じゃあこれで君の今後の扱いについては決められたかな。旅に出るまでは、これまで通りここに?」
「はい。できるならお世話になりたいと思っています」
「分かったよ。じゃあまたこちらからも連絡を取ろう。それまではゆっくりしてくれて構わないし、今日はこれで終わりにしようか」
パン、と手を叩くカーティス氏によって、その場はお開きとなる。カーティス氏と連れ立ってグレン氏、受付嬢が退出していき、部屋には僕、ナノヤさん、エレシアさんと沈黙だけが残った。
「………」
「………」
「……お二人には、本当にすみませんでした。記憶がないなんて嘘をついて。お二人が僕に同情してくれているのを利用しました。人として誤ったことをしたと思います、すみません」
そう頭を下げると、エレシアさんは困ったように眉を下げ、ナノヤさんはといえば無言のままおもむろに右手を振りかぶった。
怪我をした僕に優しく接してくれた彼らの好意を踏みにじったのだ、殴られるのも当然。僕はそっと目を閉じた。
ーーーーぺチン。
「っ?」
「……俺がお前を殴るわけないだろ。冒険者は賢くないとやっていけないんだ、お前は俺たちに言わなくて正解だったよ」
僕の額を指で軽く弾いたナノヤさんは、そう笑顔で話す。その笑顔を見てはじめて、僕はホッと肩を撫で下ろした。
「私も怒っていませんよ。信頼してもらえなかったのはちょっとだけ悲しいですけど、こうして謝ってもらえましたから」
と同じく笑顔を見せるエレシアさんを見て、僕はあらためて頭を下げた後、2人に笑いかけた。
「……よし、じゃあこれからのイオリの目標が決まったな。“失くした記憶を探すための旅”あらため、“この世界に来た理由を探すための旅”、だな。旅に出るまでにはもっとこの世界の常識を学ぶ必要もあるだろうしな」
「そうですね」
そう話しながら席を立つ2人の後を追って、僕も部屋を出た。
「まずは……そうだな、ここ近辺の地理でも勉強するか。あとは実際に冒険者の依頼を受けてみるぞ。旅をするなら、ある程度自分の身は守れるようにならないといけないからな」
カツカツ、と靴音を鳴らしながらもと来た道を戻っていると、前方から慌ただしい足音が近づいてきた。暗闇に目を凝らすと、それは先ほどの受付嬢だった。
「はぁ、はぁ……良かった、お三方、まだおられたんですね」
「おう。どうした?そんなに急いで」
「いえ、実は先ほどの魔力測定の結果を……途中それどころではなくなってしまったといいますか、お伝えし損ねてしまったので」
「あぁ、確かにそうだったな」
正直魔力測定を行うという建前は、受付嬢に言われるまですっかり忘れていた。そのため僕がそれで結果は、と問うと、受付嬢は困っているような焦っているような、微妙な表情になった。
「えーっと、非常に言いにくいのですが……イオリ様の魔力量は130万……という結果でした」
「そうですか」
「「130万!?」」
声を揃えて叫ぶ 2人の大声に思わずびくっと驚いてしまう。なぜかナノヤさんは目が飛び出さんばかりに驚き、ワタワタと手を泳がせている。
「ちょっ……おまっ……どっ……」
「?」
困惑する僕に気づいたエレシアさんがそっと捕捉してくれる。
「あの、イオリさん。……魔術師の平均魔力量としては300が普通で、魔力量が多いとされている方でも、1000あればいい方なんです。なので単純にイオリさんは通常の魔術師のおよそ4300人分魔力をもっている、ということになります」
「よんせん、さんびゃく……」
あまりの現実感のなさに片言になってしまった。異世界から来た分自分は魔力が少ないのでないかと心配していたが、心配は杞憂だったどころか、結果としてむしろ多すぎるぐらいだったらしい。桁違いの結果にナノヤさんが驚くのも頷けた。
「……それでは、この結果で何かギルドへの登録上変わるものはあるんでしょうか」
「いいえ、ギルドカードには魔力量が記載されるようなこともありませんし、特に不都合などもありません。ただ、この結果は領主様とギルドマスターもご存知です」
それは構いません、と首を縦に振る。登録上不都合がないのであれば、特に僕にいややはなかった。
「ありがとうございます。それでは、全ての手続きが終わりましたのでギルドカードをお渡し致しますね。依頼を受けるときや依頼を頼みたいときには、必ずこのギルドカードをお持ち下さい。紛失された際は再発行も可能ですが、別途料金がかかりますのでご注意ください」
「分かりました、ありがとうございます」
鈍色に輝くカードを受け取り、スラックスのポケットへとしまう。では私はこれで、と再び去っていく受付嬢を見送って、僕は未だに動揺しているナノヤさんの肩を叩いた。
「ナノヤさん」
「あ、あぁ……すまん、ちょっと頭がオーバーヒートしちまった」
そうぎこちなく言って首を撫でるナノヤさんは、再びカツカツと歩き出す。それに従って僕とエレシアさんも歩みを進め、やがて階段を上りきり 1階へ出ると、またいっせいに周囲からの視線が集まり、辟易としてしまう。その視線をよそに、ナノヤさんはスタスタと出入り口へ向かった。
「なんか今日は疲れちまったし、これで終わりにするか。明日から実際に依頼受けに行くぞ、その時は俺も一緒に行ってやるから」
「ありがとうございます」
宿屋に着いてようやくいつも通りの笑みを浮かべるナノヤさんに、エレシアさんと 2人顔を見合わせて微笑む。
結局その日は3人で夕食を食べたあと、明日の予定を確認し、早めに床に着くことにした。
部屋に帰ってシャワーを浴びて、ベットへと横になる。横にある窓から覗く月をぼんやりと眺ていると、ふとギルドカードの存在を思い出し、スラックスのポケットから取り出す。月光で輝くシルバーのカードを頭上にかかげ、僕はそっとその表面をなぞった。
「マユズミ イオリ……17歳。冒険者、か……」
このカードはこの世界でいう身分証の扱いとなるということを教えてもらった。いわば、僕がここ存在しているという証だ。この世界の文字でカードに刻まれている自身の名前を見ると、僕自身の中身は何も変わらないというのに、何かが変わってしまったような、なんだか不思議な気分になった。
ごろりと寝返りを打つ。今日は 1日いろいろなことがあった。何よりも、僕の境遇を誰かに話すことができたのが一番ほっとした出来事だった。特に自覚はなかったけれど、見知らぬ土地で一人放り出され、無意識に緊張していたのかもしれない。
今日はいい夢が見られるかもしれないな、と眠りに落ちる前、ふと思った。
何年越しかの更新……気が向いた時に更新になりそうです。