見知らぬ場所で〈7〉
またまた投稿が長引きました……。読んでくださる方に申し訳ないです……こんな作品でも読んでくださりありがとうございます。
♢♢
『ーーおり、伊織ー ! そろそろ時間だぞー』
『伊織ー ? いないのかしらね……』
誰だろう。誰かが僕の名前を繰り返し呼んでいる……。
僕の名前を呼び続けるその声がだんだんと近づいてくる。僕は声の主を探そうと周囲に視線を走らせた。
そこは広大な敷地の一角にある、色とりどりの花が咲き乱れる花壇。ふと後ろを振り向いてみると西洋風の白塗りの屋敷がそびえ立っている。
そして整えられた花壇の前には茶色のベンチが一脚ぽつりと置かれており、黒髪を風に靡かせながら一人黙々と読書している少年がいた。
どこか見覚えのあるその少年の顔を近くでよく見ようと僕が一歩踏み出した瞬間、視界の端に 2つの人影が映った。その影を同じく視界に捉えたであろう黒髪の小柄な少年は、読んでいた本をパタンと閉じてベンチから飛び降りると、顔を輝かせながら一目散に駆け出した。
『父さま、母さま ! 』
『あぁ……こんなところにいたのか』
『ふふ、そんなに走ったら危ないわ。伊織』
駆け寄ってきた少年と目線を合わせるように静かにしゃがみ込んだのは、20代後半と思しき 2人組の男女だ。
スラリとした長身に沿う細身の黒いスーツを着こなし、切れ長の目を細めて少年の頭を撫でる男性と、淡い黄色のワンピースドレスの裾をふわりと揺らして上品に微笑む女性。
2人の美男美女に嬉しそうに笑い返す黒髪の少年を見ながら、僕はこれは過去の僕の記憶だ、とすぐに気づいた。
日本でも有数の企業である“ Mayuzumi ”の現CEOである黛彰人に、その妻である黛藤花。僕の両親たちだ。
その場にいながらまるで誰かが撮った映像を第三者の視点から見ているかのような不思議な感覚を味わいつつも、黛家での場面は進んでいく。
『そろそろ出かける時間だからな。使用人たちにおそらく伊織はここにいるだろう、って聞いたから母さまと一緒に迎えに来たんだ。伊織は……本を読んでいたのか、相変わらずだな』
父がふと僕が手に持ったままの文庫本を目にとめて、その男らしく整った顔を笑みに変えた。それに母も風によって顔にかかった艶やかな髪をかきあげクスリと笑いながら、
『今日は何のご本を読んでいたの ? 』
『ミステリー小説です。書斎から持ってきました』
『まぁ……難しい本を読んでいるのね、面白かった ? 』
『はい。まだ最後まで読んでいませんが、なんとなく犯人も分かりました ! 』
僕がそう言って本を胸の前に掲げながら自慢気に言えば、2人は一瞬きょとんとした顔をした後、同時に吹き出した。
『ははっ、その歳でミステリー小説か。ほんとに伊織は父さまの小さい頃にそっくりだなぁ』
『ふふっ……そうね。でも悪戯してばかりだった昔のあなたとは違うわ、伊織は素直でとってもいい子だもの』
『むっ……』
笑いながらの母の言葉に父が笑顔から一転、ムッとした顔をする。
父と母は幼い頃からの幼馴染だったらしく、時々こうして昔の話をしては仲良さそうに笑い合っていた。この頃ならいざ知らず、僕が高校生になった今でも新婚夫婦のようなやり取りをしているのだから、やれやれと言ったところだ。
やがて父は、僕が父と母のやり取りを見て笑っていることに気づき、照れを誤魔化すように頰をかいた。
『よし、あんまり遅いと使用人たちも心配するだろうしそろそろ行くか ! 』
『そうですね』
片手で軽々僕を抱え上げ勢いよく立ち上がる父の隣に、母がそっと寄り添う。
笑い合いながら遠ざかっていく 3人のその光景を懐かしく思う暇もなく、景色は次へと移り変わった。
『伊織ー ! 』
次に見たのは、僕の高校時代、つまりつい最近まで過ごしていた学校での風景だった。
『……なに』
名前を呼ばれた方に振り向くと、小さい頃からの友人である翔がノートを片手にこちらに歩み寄ってくるところだった。
周囲では僕と同じように制服を着たクラスメイトたちが、机の上にお菓子を広げて食べたり友人同士携帯ゲームで対戦し合ったりと、各々好きなことをして休み時間を過ごしている。
僕はと言えば、陽が当たってポカポカと暖かい窓際 1番後ろの席に座り、何を考えるでもなくただぼーっと空を見つめているところだった。
この座席の位置からいって、これはおそらく高校 2年、前期のときの記憶だ。
そして翔は迷いない足取りでこちらへとやってくると、突如パン ! と勢いよく両手のひらを打ち合わせ、僕に向かって拝むようなポーズをした。これは僕に何か頼みたいことがあるときにする、昔からの翔の癖のようなものだ。
どうやら僕に何か頼みがあるのだということを察し、頬杖をついたまま無言で話の続きを促す。すると翔は拝んだポーズのまま、そっと様子をうかがうように僕を上目遣いに見つめた。
『あのさ。次の地理の時間までにやってこいって言われてた課題、見せてくれない ? 』
『課題 ? ……何、やってこなかったの』
『いや、やってはきたんだけど……今日 2日だからさ、多分解説のときに俺が指されると思うんだよね。いまいち自信がないし、答えが合ってるか確認したくって』
そう言った翔の視線を追うと、前方にある黒板の右端には「5月 2日(火)」と白いチョークで大きく書き込まれていた。思わずなるほど、と頷いて納得する。というのも、翔の名前は “和泉翔” で名字が “あ” 行から始まるため、名前順で割り当てられる出席番号はクラス内で 2番目となっていたからだ。
『確かにあの先生はいつも出席番号で指名するから、多分翔にも回ってくるだろうな……僕のでいいなら』
『もちろんだよ。ありがと ! 』
差し出したノートを笑顔で受け取り、たまたま空いていた僕の前の座席に後ろ向きに腰掛ける。そうして僕の机を使って答え合わせを始める翔を見ながら、僕は今回の課題で使った資料を机に広げた。
『あ、ここ間違ってた。伊織、これどこでミスってんのかな ? 』
『ん……ここだ。計算の仕方が違う』
眉間にしわを寄せて唸る翔のノートを反対側から覗きこみ、ざっと計算式に目を通す。そしてミスしている部分を指でなぞった。すると僕のノートに書かれている計算式と見比べ、くるりとシャーペンを指で回した。
『あぁ、分かった ! なるほど、こういうことかぁ。伊織に聞いてよかったよほんとに』
そう言って顔を綻ばせる翔は入学以来、僕に次いで学年次席という成績を保ち続けている。たとえ間違っているところがあっても、どうしてそこを間違ったのかという理由さえ理解してしまえば、あとは簡単に解けてしまうのだ。
サラサラと迷いなくシャーペンを動かしていた翔は、ノートに書きこみ終えるとありがとう伊織、と言いながら机にべたりと顔を伏せた。
『ほんと助かったよ〜。これで指されても安心だ……代わりになんかお礼したいけど、俺今あめちゃんも持ってないんだよなぁ……』
『別にいい』
『でもなぁ……』
首を横に振る僕を見てそれでも うーん、と悩んでいた翔は、突然妙案を思いついたとばかりに勢いよく起き上がった。
『よし、じゃあ伊織には特別に、放課後俺と二人っきりで遊ぶ時間をあ・げ・る♡』
語尾にハートがつきそうなほど機嫌よく言って、ご丁寧にもぱちん、とウインクを決める翔を無表情のまま見つめ返す。
『………』
『………』
『ちょっとちょっと無言で「何言ってんのコイツ、気持ち悪っ」みたいな空気出すのやめて伊織』
さすがの俺でも傷つくよ ? とまだ何か言い続けている翔を軽くスルーすると、僕は頬杖をついてのんびり窓の外に広がる青空に視線を移した。
燦々と降り注ぐ太陽の光は暖かいし、真っ白な雲が流れる青空がとても綺麗だ。
『おーい……伊織くーん ? 』
『………』
『伊織くーん、伊織くんの親友の翔くんが呼んでますよー。聞こえたらお返事してくださーい』
ひらひらと揺らす手のひらで視界を遮られ、仕方なくそちらに視線を移す。
『………なんだ、まだいたの』
『ナチュラルに伊織が冷たい ! 』
うぅぅ、と大げさに泣き真似をする翔をチラリと一瞥して再び視線を外してみせれば、翔が背景に「ガーン ! 」という効果音がつきそうなほど愉快な顔をする。
そんな僕たちのやり取りが、思いがけずクラスメイトたちの耳にも入ってしまっていたようだ。そっと机に顔を伏せた彼らの口から、クスクスと忍び笑う声があちこちで漏れ聞こえてきていた。
『……ほら、自称親友の翔くん。早く席に戻れ、前の席の人にも迷惑になる』
『うぅ、はーい……』
しょんぼりと肩を落として自分の席に戻っていく翔の後ろ姿は、まるで主人に構ってもらえず尻尾を落とした犬のようだ。我ながらひどい例えだが、おそらく僕と同じ感想をもったのだろう、今度こそ周囲から盛大に吹き出す声がするのを耳にしながら僕は静かに口元を緩めた。
そして再び、場面は切り替わった。
『ーーノーア、……ーーーーー ? どこかーーーーー ? 私が………』
(…… ? 誰だ…… ? )
誰か……声からしておそらく男性が、誰かの名前を呼んでいる。一体誰のことを呼んでいるのだろう、とふと先ほど声がした方を振り返ってみたが、そこから先は暗闇だけが広がっていて他には何も視界に入らなかった。
頭に靄がかかったように不鮮明で、そこにいるのは自分だけ。困惑する頭でここがどこなのかを考えている間に、ところどころ掠れながら響いてきていた声もピタリと途絶えてしまう。
てっきり、これはこれまでの僕自身の記憶を視ているのだと思っていたが……先ほど呼ばれていた、おそらく名前だがーーノーアーーとだけ聞き取れたものが僕の名前ではないということは感覚的に分かった。
しかし覚えている限り、僕の知り合いに “ノーア” がつく人間はいなかったはずだ。父と母にはその職業柄日本人だけでなく多くの外国人の知り合いがいて、僕も何回か彼らと交流したことがあったが、もちろんその中にも “ノーア” という人物に心当たりはない。
ーーだとすると、この記憶は一体…… ?
「ーーリ、イオリ ! 」
誰かに肩を強く揺さぶられている。 記憶の海にぼんやりと身を任せていた僕は、その揺れに抵抗することなくゆっくりと瞼を持ち上げた。
「ん……、」
「あぁ、起きたか……」
僕の肩に手を置いて真上から覗きこんでいたナノヤさんは、目が合うとホッと安堵したように頰を緩めた。彼の手を借りてゆっくりと上半身を起き上がらせたところで、僕はようやく過去の記憶の海から現実世界へと戻ってきたことを理解した。
気がつくと、いつの間にか僕は検査室の床へと横たえられ、そのすぐ側では僕と同じようにエレシアさんが並べられていた。
「イオリ ? 」
ただでさえ雪のように真っ白な肌が、血の気が失せているせいか白を通り越し青白くさえ映る。思わずゾクリと背筋が震えて、僕は身を乗りだした。
「っ、彼女は……」
「大丈夫だよ。気を失っているだけのようだから、すぐ目も覚めると思う」
彼女の横で膝をついて見守っていた青髪の持ち主が、その美貌に若干影のある微笑みを浮かべながら答えた。彼の言葉通り、顔色は悪いがすぅすぅと穏やかな寝息を立てているエレシアさんを確認して、ほっと息をつく。
あらためて周囲の様子を見回すと、床に寝かされていたのは僕とエレシアさんのみで、グレン氏と受付嬢は僕が意識を失う前と同じようにテーブルにつき、静かに僕たちの様子をうかがっていた。
「……」
「カーティス。こいつに説明してやんなきゃいけねぇんだろうし、とりあえず席戻れ。エレシアちゃんももうじき目が覚めるだろ」
「……そう、だね」
こくりと頷いて、床に流れる銀糸のような髪を名残惜しげにそっと撫で、カーティス氏が立ち上がる。その彼の代わりに、受付嬢がエレシアさんの側についた。
おそらく、なぜ今こうなっているのかという事情説明が始まるのだとなんとなく察した僕も、繰り返し心配するナノヤさんにお礼を言って、もと座っていた席に腰を落ち着かせた。
「ーーさて、イオリも混乱してるだろしまずは今の状況について話すか。なんで今床に寝てたのか……経緯は覚えてるか ? 」
「……魔法陣が発動して、僕たちが床に崩れ落ちたところまでは。……これは、男爵とギルドマスターが引き起こしたこと、という認識で合っていますか」
「そうだな」
僕の問いかけに否定せずあっさりと頷いた強面のギルドマスターは、先ほどの魔術発動の衝撃によってテーブルの上で転がったままだった魔石を持ち上げ、手のひらにのせた。
「最初言ったように、この魔法陣がお前の魔力を測るためのもの、って説明は合ってるんだ。……ただ、今回の場合は、一つ細工をさせてもらった。お前には言っていなかったが、な」
「細工……」
「あぁ。……“ 魔力を注いだ者の記憶をランダムに抽出し、映像として共有する ”っていう条件を魔法陣に書き足した。記憶を共有するのは、今回はイオリから半径 3メートル以内にいる人間に設定した」
要するに、この部屋にいた全員が僕が先ほどまで見ていた記憶を同じように “視ていた”ということになる。受付嬢に関しては、勝手に記憶を覗いてしまったことにどこかバツの悪そうな表情をしている。ナノヤさんはもちろん、受付嬢もおそらくこの企みを知らされていなかったのだろう。
「……なるほど」
「ーー正直に言えば。僕たちは君の、これまでの記憶がないという話は信じていなかった。本当に“ 記憶がない ”のか、それとも何らかの事情で“ 話すことができない ”のか……ということも考えられたからね。君の見た目から言っておそらく貴族同士の争いに巻き込まれてここに辿り着いたんだろうと予想していたし、街の皆もそう思っていたようだからね」
グレン氏の話を引き継ぎそこまで語った青髪の美丈夫は、テーブルの上で緩く組んだ指に憂いを満ちた瞳を向けた。
「……ただ、僕やグレンには、この地を治め、街の人々を守るという責任がある。にわかに領内に怪しい人物を招き入れ、人々を危険に晒してしまった、では済まされない」
確かに、僕のように怪しい要素が揃っている人間はこの街を治めるにあたって厄介の種となり得るかもしれない。
一人納得しているとカーティス氏は僕をまっすぐに見つめて、
「だから、今回はこのような強引な手段を使わせてもらった。本来、この魔法陣は記憶を“ 視る ”術者本人からの希望があった場合のみ、使用を許可される禁術なんだ。例えば……そうだね、記憶を失った本人が『自分のことについて知る手がかりだけでもいい。記憶を視たい』という時などにね」
「…………」
「君は自身について知りたい、という気持ちがあまりないようだったから……やはり何か話せない事情があるんだろうという話になってね。君が話すことができないなら、記憶を見せてもらおうと。せめてどこの出身なのか、身元だけでも情報を手に入れておきたかったから」
と、そこまで淀みなく語ったカーティス氏は、横目でそっとグレン氏に合図を送り、両者揃って背筋を伸ばした後、僕に向かって深々と頭を下げた。
「……こちらにも事情はあったとは言え、僕たちが君に許可なく勝手に記憶を覗いてしまったことには変わりない。本当に申し訳なかった」
「この通りだ、イオリ」
「……」
そしてそのまま押し黙った 2人になんと返事をすればよいか迷っていると、背後でエレシアさんが身じろぐ気配がした。
「ん……」
「エレシア様、大丈夫ですか ? 」
「………、あれ……私……」
ゆっくりと瞼を開けたエレシアさんは、まだ意識がハッキリしていないようで若干呂律が回っていない。受付嬢に助けられ上半身を起こしたエレシアさんは、顔にかかった髪を払うため右手をそっと持ち上げる。そこで彼女は、自身の頰を流れる一筋の水滴に気づいたようだった。
「…… ? なんで、涙……」
「エレシアさん」
「イオリさん…… ? 」
未だ床に座り込むエレシアさんに静かに声をかけると、彼女はぼんやりと視線をこちらに移した。そして数秒僕を見つめた後、ハッとしたように表情を変える。
「あ、私、記憶を……、イオリさんが……ち、が……」
「ーーエレシアさん」
視線を泳がせ混乱したように口元を手で覆うエレシアさんを見て、僕は席を立って彼女の側に膝をつき、肩をそっと叩く。
「大丈夫です」
「あ……」
ぱち、と目を瞬いた彼女と瞳を合わせる。どうやら記憶と現実との間で意識が混濁していたらしく、彼女はそこでようやく自分を見守るナノヤさんたちに気づいて声を漏らした。
「エレシアちゃん、体調は大丈夫か ? 大丈夫そうならこっちに来て話を聞いてくれるか」
「は、はい」
涙を手の甲で拭いつつふらふらと立ち上がる彼女を、受付嬢とともに支えながら椅子へと座らせる。その様子を心配そうに見つめていたカーティス氏は、僕が前に向き直ると表情を切り替えた。
「……先ほどのお話ですが。お二人が謝る必要はありません。客観的に見て、僕が怪しい人物だということは僕が 1番分かっていますから」
「イオリ……」
「かといって、全く腹が立たないというわけではありませんが」
無表情のまま淡々とそう告げると、ホッと肩を撫で下していたグレン氏とカーティス氏が同時にピキッ、と凍りつく。おずおずと僕の表情をうかがう 2人を見ながら、まさかこのぐらいの仕返しは許されるだろう、と僕は心の中で舌を出した。
「……それで、僕の記憶を視てどうでしたか」
「あ、あぁ……お前、やっぱり記憶がないってのは嘘だな。普通、突然記憶を思い出したやつってのは錯乱状態になったり、まぁ個人差はあるが少なからず動揺するもんだ」
でもな、と続けたグレン氏は先ほどまでの光景を思い出すように僕が寝ていた床の辺りにその三白眼を向け、鋭い視線を送った。
「お前のは思い出したって感じじゃなく……もともと覚えてたっていう風に見えたが。……そこんとこ、どうなんだ ? 」
「……」
まぁあの記憶を視ればその答えに辿り着くのは当たり前だ、と思う。目が覚めた時にもっと動揺したようなフリでもすれば良かったのかもしれないが、その嘘が果たして彼らに通用したのかは分からない。
ここで再度否定したとすれば、彼らの不信感はさらに募る可能性がある。反対に肯定すれば、どうして今まで記憶があることを黙っていたのかと問い詰められることだろう。
自分が正直に話した場合のメリットとデメリットを想定し、僕はしばらく熟考した後結論を出した。
顔を上げると、グレン氏とカーティス氏は口を挟まずただ黙って僕の次の言葉を待っている。それにゆっくりと瞬きをしつつ、僕は両隣に座るナノヤさんとエレシアさんを横目で確認した。2人とも心配そうな、困惑しているような複雑な表情でそこにいる。しかしこれから僕が話すことは、ここまでとても良くしてくれた彼らに嘘をついていたことが知られてしまう……。
嘘だったと知ったとき、彼らはどんな表情をするだろう、と微かに頭を過ぎった考えを振り払い、僕は静かに口を開いた。
「……お二人のお考え通り、僕に記憶がないというのは嘘です。記憶がないフリをしていました」
「 ! 」
「……随分あっさり認めるんだな。てっきり躱されるかと思ってたんだが」
驚いた顔をしながら思わず、といった様子でそう零すグレン氏。その横ではカーティス氏と受付嬢が目を丸くしながら同意するように首を縦に振っていた。
しかし、真横にいるナノヤさんとエレシアさんについては、つい後ろめたさを感じ顔を向けることができなかった。
「……すでに記憶を視られてしまった以上、僕が改めて否定したところでみなさん納得されないでしょう。だったら正直に認めて、その代わりに何らかの情報を得た方が有益だと判断しました」
「情報ねぇ……そういやお前、記憶の中で学園…… 学園、であってるよな ? 地図を机に広げてる場面があったが、あれはお前の国のもんなんだろ ? 書いてある文字は読めねぇし、形も初めて見る国だったが……」
グレン氏の言う通り、教室で翔と課題に取り組んでいる場面では地球の世界地図を広げていた。どうやらグレン氏は、あの大陸全体が一つの国であると勘違いしているらしい。しかしそれも無理もない。僕はふぅ……と長いため息を一つ吐き気持ちを落ち着かせた。
「……確かにあれは僕の故郷のものですが、みなさんがご存知ないのも当たり前です。……僕が生まれ育ったのは、地球の、日本ですから」
「 ? チキュウノニホン ? どこだそりゃ ? 」
グレン氏が不思議そうに首を傾げながら僕の言葉を繰り返すが、その言葉の区切りやイントネーションには明確な違和感があった。
「……“地球” という世界の、“日本” という国です」
「世界……国 ? 」
腕を組みつつ、戸惑ったような声をあげるグレン氏。その他の 4人も、言葉には出さないものの怪訝な表情で僕の話に耳を傾けていることが、なんとなく気配で感じられる。
「えぇ。つまりーー」
それに静かに頷き返しつつ、僕はなるべく感情が込もらないように。実際に此の身に起きた、れっきとした事実を述べるために、極めて淡々とした表情を作ろうと努力した。
「ーー僕はあの日、“地球”という世界から……この世界へと異世界転移、して来ました」
そして僕は、ついにその決定的な一言を彼らに告げた。
次の投稿まで、また長くかかってしまうと思います。本当に申し訳ないです……。