プロローグ
これまでになんとなく書き溜めていた文章を、気まぐれに初投稿してみました。
教室を出ると、目の前を女子生徒たちがバタバタと慌ただしく駆け抜けていった。
「やっと授業終わったぁ…… ! 部活いこー」
「え、掃除当番は?」
「あぁ忘れてた ! めんどくさいなー。代わりにやっといてよ」
「絶対いや ! 」
「えーー ! 」
現在時刻は15時50分。長かった一日の授業も全て終わり、各クラスのホームルームが終了した順から放課後を迎える。部活動に所属している生徒は部活指定の活動場所へ、掃除当番がある生徒は掃除場所へ、という風にそれぞれが散らばっていく。
そんな中、僕ーー 黛伊織ーーは、掃除中の生徒たちで溢れる廊下を一人もくもくと進んでいた。幸い今月は掃除当番ではなかったのだが、ホームルーム終了後に職員室に来るようにと担任から呼び出されていたのだ。
「……失礼します」
すれ違う生徒たちの様子を横目に見ながら職員室へと入り目的の人物を探していると、窓際の奥の方の席から「黛、こっちだこっち ! 」と大声で手招きされた。
「……永井先生」
「おぉ、いきなり呼び出して悪かったな。ちょっとお前に頼みたいことがあったもんで」
「いえ。大丈夫です」
ならいいんだがな、と言って穏やかに笑うのは僕のクラス担任、永井俊之だ。今年40歳を迎えるという永井先生はデスクの上のファイルやらプリントやらが乱雑に積み重ねられた棚をガサガサとまさぐりながら、僕を横目でちらりと一瞥した。
「お前のことだから俺が言いたいことの予想はついてるかもしれないけど。来月にある3年生の卒業式のとき、在校生代表挨拶をやって欲しくてね。そろそろ原稿を作ってきてもらおうと思って」
「……だいたいでいいならもう考えてあります。……通年と変わりばえしない内容で良ければ、ですが」
「それで十分だよ。話が早くて助かる ! さすがは完璧生徒会長様だな」
そう言って永井先生は僕をからかうようにニヤニヤしつつ、やっと探り当てた原稿用紙ーー資料の下の方で押し潰されていたために若干シワになっていたーーを数枚差し出す。まがりなりにも、僕は一応この学園の生徒会長という立場にあるため、こういった行事の際の役回りにはだいぶ慣れてきていた。
「……それで、これはいつまでに仕上げれば ? 」
「ん ? そうだな……。なるべくなら今週中かな」
「わかりました」
今日は火曜日のため、今日を含めて考えれば期限まで後4日もある。それだけの時間があれば十分だった。
「おぉ、頼むぞ。今日もこれから生徒会の仕事か?」
「いえ、今日は生徒会もありません。……なのでもう帰りです」
「そうか、じゃあ気をつけて帰るんだぞ」
「はい。……失礼します」
笑顔でヒラヒラと手を振る永井先生に軽く会釈して、職員室を出る。この時間になるともう掃除も終わったところが多く、部活のユニフォームに着替えた生徒たちとすれ違う。
生徒会長という役職のせいもあり校内でちょっとした有名人である僕は、時折かけられる挨拶に応えながらもと来た廊下を進んだ。自らの所属している2年3組のドアをくぐると、教室内には生徒はもう数えられる程度の人数しか残っていなかった。
「おっかえり、伊織〜 ! 」
「っ !? 翔か……いきなり後ろから来るとびっくりするだろ……」
「あははっ、ごめんごめん」
自分の席で荷物をまとめていると、突然後ろから飛びつくように肩に腕をまわされて若干よろける。驚きつつ顔を横に向けると、そこには僕の幼馴染みである和泉翔が謝罪の言葉とは裏腹に満面の笑みを浮かべていた。
「永井せんせーの呼び出し、何だった ? やっぱり卒業式の挨拶の話 ? 」
「……あぁ。卒業式が終われば次は入学式の準備もある。……これからは忙しくなるな」
「そうだねぇ。この時期はどうしても行事が多くなるし……ほんと生徒会ってだるいよねー」
地毛である明るいこげ茶色の髪をサラサラと左右に揺らしながら、心底面倒くさそうにため息を吐く翔。それに僕も頷きつつ、その意見に同意する。変わったことに、この学園は行事やイベントなどを生徒主体で行うことが校風であるため、当然その指揮は生徒間のトップとなる生徒会がとることになっている。
そのため生徒会長である僕や副会長である翔は、こういった行事があるたびに書類作成や当日の日程計画、各場所への人員割り振りなど準備と調整、それらが無事終わった後は後片付けに事後処理……と、それはそれは言葉にするのも気が重くなるほど大変な目に合うのだ。
教科書で重くなったかばんを肩にひっかけ2人一緒に教室を出ると、翔が来月までぎっしり予定の詰まった手帳を恨めしげに睨みつけながら不満そうな声をあげた。
「あーあ、なんだってこんなに忙しいのかなぁ。つくづく自分が優秀なのが恨めしいよ」
「……右に同じだな」
「だってさぁ…俺たちってば2人ともそれぞれ社長の息子で、世にいう“お金持ちの御曹司”ってやつでしょ。しかも学校では生徒会会長と副会長。成績も優秀、運動神経もそこそこ、加えて美少年 ! 自分でいうのもなんだけど、チートすぎてどこのマンガの主人公だって話よ」
「ほんと自分でいうことじゃない。……まぁ僕もそう思うけど」
翔のともすれば自信過剰ともとれる言葉に苦笑しつつも、それを否定することはない。というのも、翔のいっていることはあながち間違いでもないからだ。
僕たち2人の父親は日本でも有数の大企業の現CEOを務めており、その父親同士の交流関係が影響して、僕と翔は幼い頃からの友人兼幼馴染みである。そしてなんの因果か、2人は客観的に見ても幼少時から勉学と運動の両面において十分“ 優秀 ”とされる成績を発揮し、容姿に関しても周囲から熱い視線を向けられる程度には整っているとわかっている。
こうして一般の県立高校に進学してからは、特に自分たちから家のことについて誰かに話したことはないが、父の会社と翔のところの会社とが共同で立ち上げたファッションブランドの新作カタログに、当時中学3年生だった僕たちがモデルとして掲載された( ブランド会社社長の息子という肩書きを武器にして、世間の注目を集める策略だった )ときの影響は予想以上に大きかったようで、僕たちの事情は入学時から言わなくとも周知のこととなっていた。
そのため、家柄、容姿、頭脳と三拍子揃って「「俺(僕)たち普通の高校生だから」」などと言ったあかつきには、相手に皮肉と受け取られること間違いなしだ。僕たちは、そういった経緯もあって自分たちのことを “普通の高校生ではない” と正しく認識している。といっても自覚しているというだけで、別にナルシストという訳ではないが。
「客観的に見て、びっくりするほど普通じゃないよなぁ……俺たち。というか、すごいのは俺たちじゃなくて親父の方なんだけどねぇ」
「……僕たちの場合何をするにしても真っ先に父さんたちの名前が出るから……仕方ない部分はある。……でも、お前はその家名のおかげで宮下家の令嬢と知り合えたんじゃないの」
「えへへ、まぁね ! その点はほんとに親父たちに感謝だよね」
下駄箱で上靴からローファーへと履き替えつつ、僕たちと同い年である翔の婚約者の女性のことを話に出すと、翔は先ほどまでの不機嫌顔が嘘のようにぱぁっ、とその茶色がかった瞳を輝かせる。
提携会社同士の親睦パーティーで出会ったという宮下家の長女ーー宮下家は政界などに人材を多く排出している日本でも有数の名家だーー宮下若菜嬢と目の前の友人は、出会った瞬間に双方が一目惚れしたらしく、その場で意気投合、2週間後には交際開始。出会いから1年半ほど経った今では、側で見ているとうっとおしくなるほどデレデレのラブラブで(これ以外に表現する言葉が見つからない)、2人が高校を卒業次第、正式に籍を入れることになったと翔が嬉しそうに話していた。
若菜さんとは何度か翔をはさんで話したことがあるが、さすが名家の令嬢というべきか礼儀作法や立ち振る舞いなど非の打ち所がなく、清楚で可愛らしい顔立ちとあいまってまさに “大和撫子” という言葉がぴったりの女の子だった。
「……お前たちは相変わらず仲が良さそうだな。若菜さんとは最近会っているの」
「うん、昨日も会ったよー。ちょっとだけ電話して声聴くつもりが、直接会いたくなっちゃってさ。我慢できなくてつい家まで押しかけちゃったんだよねぇ。あはは」
「……宮下家の方々に迷惑がかからないようほどほどにしておけよ」
思わずそう突っ込みを入れるが、特に気にした様子もなく笑い声をあげる翔の顔はだらしなく頬が緩んでいる。普段から何を考えているのかわからないとよく言われる僕とは対照的に、目の前の親友はすぐ顔に出るのだ。今も何を考えているのか筒抜けで、相変わらずわかりやすい奴だと笑みがこぼれた。
「ふふっ……」
「え、何? 突然笑い出しちゃって」
「いや……お前の今の顔、すごくおもしろかったから」
「はぁっ !? 顔 !? 」
「あぁ。……ふふふ」
笑いが止まらず思わず口元を隠すと、翔は意味がわからないといいたげに首を横に振った。
「おいおい、顔が面白いってどこがよ ? あ、さては俺と若菜が仲良くしてるから寂しくて気を引こうとしたの ? 」
「は ? 」
「もう、それならそうと早く言ってよー伊織くんっ」
「……お前の想像力はほんとにすごいと思うけど。バッカじゃないの」
そんな恥ずかしがるなよー、とニヤニヤする翔に苛立ちフンと鼻を鳴らしつつ、学園の正門をくぐり抜ける。翔が若菜さんに誕生日プレゼントでもらったという緑色のチェックのマフラーに顔を埋めつつ、はぁ…と白い息を吐いた。今は2月も中盤といえど、まだまだ外は寒くてとても防寒具なしには出られそうにない。
「……でも伊織もあれだけモテるんだからさ、彼女でも作ればいいのに。この前のバレンタインでも隣のクラスのカワイイ、って評判の子に告られたんでしょー ? 」
「……隣のクラス…… ? あぁ、あの子か……」
「え。まさかとは思うけど、忘れてたの !? 」
「いや、別に忘れていたわけでは……。まぁ……僕は彼女のことを知らなかったし話すこと自体初めてなのに、いきなり好きって言われても……と思ったから断った」
黒無地のシンプルなマフラーに顔を埋めつつ1週間ほど前の出来事を思い返して言うと、翔は呆れたように長いため息をついた。
「はぁああ……。たとえ最初はそうでもさぁ、だんだん好きになっていく、ってこともあるじゃない ? とりあえずでも付き合ってみればいいのに」
「……とりあえずとか面倒」
「もう……全く ! 伊織ってばそんなんじゃせっかくの青春が味わえないじゃん。俺たちまだ華の高校生だよ、高・校・生 ! 」
「青春、ね……。そうは言っても……」
確かにこれまでの短い人生のなかでそれなりに告白を受けた経験はあるけれど、自分がその気持ちに応えたことも、応えようと思ったことも一度もない。
よく小説やドラマの中の登場人物たちが『誰かを愛することは人を成長させてくれるんだ』とか『恋って、人生に色をつけるのよ』などと言っているけれど、僕にはそういった“恋愛”というものがどうにも生活の中で不必要なものに思えて仕方なかった。
「……まぁ父さんにも政略結婚とかはしなくて良いと言ってもらっているし、僕自身別に一生独身でも構わないとも思っているから。……それに」
「 ? 」
「……こんな僕でも、お前のように理解してくれる人がいてくれるだけで、今は十分だと思うんだ。……だから大丈夫」
今思うことをそう素直に伝えて軽く微笑むと、翔は顔を赤くして息を呑み、やがて感激したように目を潤ませた。
「 っ、伊織…… !! でもごめんっ、俺は若菜が一番だからいくら伊織でもそこは譲れないの ! ……あっ、でももちろん伊織はその次、2番目に愛してるけど ! 」
あぁ俺ってなんて罪な男なんだ ! と身悶えながら大げさに頭を抱える翔におかしくなって、僕は思わず声をたてて笑った。
「ははは、やっぱりお前は気持ち悪いな……」
「ねぇ、いくらなんでもそんなキラキラした素晴らしい笑顔で気持ち悪いはショックなんだけど !? 」
口ではそう言いつつも、翔の顔には無邪気な笑みが浮かんでいる。つまるところ、これがいつもの僕たちのやり取りなのだ。
毎日学校に通って、授業を受けて、生徒会の仕事をして、翔とふと笑い合う。これが若干“普通”とは異なるであろう境遇の僕と翔にとって、ごく普通の日常。その何気ない日常が、ある日突然壊れてしまうだなんてーーーーそのときの僕は、想像さえしていなかったのだ。