寒茂子 ―カンモシ―
なぜ?
何度も訊かれますが、ほんとうに答えようがないのです。
血も凍る事件、と言われたと。はい、存じております。しかし起こした方としていうならば、私の血の方が凍っているのでは、と思える時があります。それは何かに対して恐ろしさを覚えてそうなったというよりは、気づいたらすっかり凍りついていて、もはや自らの力ではどうにも融かせない状況になっていた、と言うべきでしょうか。それとも、血も体液も、心すらも絶対零度以下に冷え切っていて、何かの衝撃で一気に凍りつく、過冷却の状態でずっと、生きてきたのでしょうか。
もちろん、あれが憎むべき所業だというのも、ひとが私に対して深い怖れや怒りを覚えるのは当然だというのも、よくわきまえております。
そこまで分かっていながら、なぜ? やはり訊かれますか。
なぜ、の話ではないのですが、凍る、という言葉でふと思い出したことがありますが。
お聞きいただけますか?
私はまだ小学校にあがったばかりでした。
その頃の冬は、たいそう寒い日が続きました。
この暖かい地方ですら、そうだったのです。霜柱は勢いをつけて踏んでも崩れようとせず、川も浅瀬ならば、私のような小さな子どもがおそるおそる、乗ることもできました。
学校に行く朝に、まっ白に凍った田んぼや畑をふと見やると、自らの影をぐるりとダイヤモンドの輝きが取り巻いていたものでした。
前や後ろを行く他の子の影を見まわしてみても何の輝きもなく、自身の周囲だけが輝いているのだと有頂天になっていたのですが、今考えると、誰もが自身の影には輝きをまとっていたのでしょうから、まさしく子どもじみた喜びだったのでしょうね。
学校に着いたら着いたで、冬になると子どもらが楽しみにしている場所がありました。
本校舎の群れとは少し離れて、小さな校舎とそこから先に短い渡り廊下を挟んで講堂があったのですが、その、コの字型囲まれた中に、薔薇に囲まれた丸池がしつらえてありました。
日当たりの悪いその池は、長く暗い夜が明けた後にはすべて固く凍りつくのです。
昼日中が過ぎて放課後になると、教室から飛び出してきた子どもらが、寄ってたかって棒やブロックの塊などで池の氷を突き崩そうとやっきになりました。
ようやく端のほうが欠片となって池のふちに転がり出すと、彼らはわれ先にと手頃な氷を拾い上げ、更に細かく砕き、小石のようにそれを蹴りけり、家路につくのです。
音楽担当の見澤先生が、そんな私たちをよく、音楽室の窓から笑って眺めておられました。
見澤先生は若い女の先生で、とてもきれいな方でした。小学校では珍しい、担任を持っていない、音楽専門の先生だったと記憶しております。くろぐろとした髪を長く背中に流し、いつも白っぽいブラウスに黒いロングスカート、冬にはモヘアの白いカーディガンを羽織り、いかにも音楽家といった雰囲気を醸し出していました。なのに全然お高く止まった様子もなく、私たち子どもに対しても、ていねいな柔らかい口調で接してくださったのです。
「いい氷が、取れましたか?」よく先生はそうお聞きになって、子どもらが持ち上げてみせる塊をみては、大げさに驚いたり、にっこりと笑ってうなずいたりされました。
私も氷に取りつかれていましたよ、もちろん。家までの一キロほど、あまり車も通らないようなアスファルトの道路を、少しずつ、氷を蹴って帰るのはたまらない楽しみでした。
小石と違い、氷は思いの他道路を遠くまで滑っていくこともあるし、いつもより暖かくなった日などは、融けるのも早いので途中でなくなってしまうこともありました。
それにたいていは、学校を出て間もなく用水路に落としてしまったり、とんでもない方に飛び込んで不思議なことにまるっきり見当たらなくなったりで、そんな折りには飽きっぽい子どものことですから、早々に見切りをつけてそのまま急いで家まで帰りました。
でも、蹴り出してから家のごく近くまでその氷をお供に帰れた時には、なぜかその氷にことのほか親近感を覚えてしまい、一度などはあまりの離れがたさに、きれいに包んで冷凍庫にしまおうとして、母からこっぴどく叱られたこともあります。
反対に、冬の学校には辛いことも多々、ありました。
授業中の教室はストーブもなく、席替えで窓際に席が決まった子には羨望のまなざしが注がれたものでした。
体育は半そでに男子は短パン、女子はブルマと決められており、とにかく走るしか、温まる方法はありませんでした。
そして何よりも辛いのは掃除の時間。ほうき係ならまだ良かったのですが、拭き掃除の当番となった日などは、憂鬱で。私はどうにも要領が悪く、教室から離れた場所のお当番になった時には、駆けつけるのが人より遅れ、気づくとすでに二本かそこらしかないほうきは他の子に取られて、「先生が順番に、って言ってたのに」と文句をつける他の子たちとともに、しぶしぶお雑巾がけをするはめになるのです。
日当たりの悪い音楽室も、私たちクラスの担当場所でした。ここも教室から遠いので、私はたいがい、お雑巾の係になってしまいました。
その週末も、駆けつけた時にはすでに元気のよい男子たちがほうきを振り回していました。私はがっくりと肩を落とし、他の大人しい子どもたちとバケツの水に持ってきた雑巾を浸し、できるだけ水に触れないように端を持って絞りました。
何度か床を行ったり来たりしているうちに、水を触りたくないなどと言ってもいられず、私は何度もバケツの水に手を突っ込み、雑巾を洗いました。澄んでいても汚れ切っても、水は沁みるほど冷たく、びりびりと痛いくらいでした。しかも私はしもやけの体質があり、小指や薬指の元の、わずかに赤らんでいた部分が更に赤く膨れ上がり、耐えがたいほどの痒みを覚え、何度も手を休めてしまいました。
片手でもう片手を押さえ、少し温めてからまた水に手を突っ込み、雑巾を絞ってまた片手ずつ温め……
「拭くの、おっせえなあ」一番図体の大きな男子が、ほうきをすでに片付けながら叫びます。
女子からも文句を言われます。「まきちゃん、また休んでばっかり。まきちゃんの拭く所だけ残っちゃったよ。ずるい」
私が、一人で拭くからいい、先に行ってよ、と下を向いて告げるやいなや、他の子たちはわあっと教室に帰ってしまいました。
汚れた水のバケツも、そのままです。
しばらく私は、のろのろと床を拭いていました。手をつくと、しもやけの所がずきんと痛みます。手を持ち上げてこすり合わせてみても、芯から冷え切ってしまったのか、疼痛は引きません。
手元に影がさし、私は顔を上げます。
いつの間にか、見澤先生がすぐ目の前に立っておられました。
「黒田さん」
先生はいつも、こんな下級生にでも丁寧に『さん』をつけて呼びかけます。
澄んだ声は、続けます。「おそうじ、一人で?」
「……」
何とこたえていいのか、分からなくなって私はただ黙って、床を見つめていました。
拭くのが遅くて、残されました、みんながいじわるなんです、さぼっていると言われて……何と言っても、言いつけ口のように聞こえてしまうだろう。見澤先生は私のことを何と思うだろうか、いろんな思いが古い毛糸のように絡まりもつれ、固く喉元までこみ上げたせつな
「黒田さん、手が冷たそう」
見澤先生のまっ白な両手が、私の手を包みこみました。ふわりと軽い感触でした。
「ほらすっかり、冷えてしまってる」
じんじんと、胸の中にまで響くようなぬくもりで、私はすっかりぼおっとなってしまいました。先生の手は、クリームで手入れされているのでしょうか、しっとりと肌理が細かく、どこか濡れているような感じでした。しかし、それがまた、心地よいのです。
まるで、手袋みたい、ううん、温泉みたいに暖かい、ぼんやりしたままの私に、見澤先生の静かな声が降り注ぎます。
「しもやけ、よくなるといいね」
「はい」
「私も小さい頃、しもやけがひどかったな」
「先生も?」こんなにきれいな手なのに?
「ところで黒田さん、池の氷、いつも蹴って帰るよね」急に話がそれて、私はつい先生の顔を見上げました。
「池の氷、うまく取れる?」
「ううん……固いし、割るのがたいへん」たいてい、要領よく氷を割る子は限られていて、私たちは割って取る、というより誰かが割った残りを更に砕いて欠片を手に入れたりする方が多かったでしょうか。だからたまには、小さな氷が手に入らず、諦めることもあったのです。
「うまく取るおまじないが、あるんだよ」
先生の声は、聴こえるか聴こえないかというささやきに近いものでした。え、どんな? と訊きかえしたつもりだったのですが、先生はさらにこうおっしゃいました。
「たいがいね、悪いものというのはすぐには育たないのよ」
何がおっしゃりたいのか分からず、私は黙って続きを待ちます。手を握られているから、立ち去りようもなかったのですが。
「ここの種はね、ずっとずっと、水底の泥の中に眠るのよ、そして芽の出る時を待つ。寒くなってくると、目覚める、そして更に待つ。寒いのは好きだけど、凍ってしまうと、動きようがないでしょ? だから細かく砕かれて、遠くに運ばれるのを待ちこがれているの」
池のことだ、とすぐ気づきました。
急に先生の手の感触が、変わったような気がしました。じっとりと、濡れているようにまとわりつき、温かさはいつの間にか生ぬるさにとって代わっていました。私の手が十分、温まったせいなのかそれとも先生の手と私の手とがいつの間にか混じりあってしまいお互いがお互いの内部に流れ込んで感覚の部分よりも更に奥底に潜んでいた何かを取り交わして揺さぶる・揺さぶられるのは何なのか私はすっかり。
「カンモシ、カンモシ、でておいで
出たらめんたま、くれてやろ」
そう唱えると、氷がうまく取れるから。
先生は別れ際に、ようやくそう教えて下さいました。
先生の声は、おまじないを唱える時も、とても澄んでおりました。
帰り際に池に寄ってみると、珍しいことに私が一番乗りだったようで、丸池にはまだきれいに氷が張っておりました。
私は、あたりをこっそり見まわして、誰もいないのを確かめました。音楽室の窓もカーテンで閉ざされています。誰か友だちを誘ってこようか、といっしゅん思いましたが、なぜかこれは、ひとりきりでせねばならない、という気がしていました。
誰も近くにいないのを知ると、私は池に向かい、小さな声で早口で唱えました。
「かーんもし、かーんもし、でーておーいでー、でーたら、めーんたま……」
気づいたら、池には大きな亀裂ができていました。しかも、池のまん中に何かが落ちてできたような、蜘蛛の巣状の、美しいヒビが目の前に広がっているのです。
足もとには、押し出されたらしい小さな欠片がひとつ、転がっていて。
大き過ぎず、小さ過ぎず、たぶん、家まで蹴って帰っても、途中でなくなることはなさそうな。
私は赤い手袋の手でそれをそっと拾い上げると、ああ、しもやけはその時にはすっかりよくなっていましたよ、そうその氷の欠片を校門まで抱きかかえるように連れ出し、そこから、まず、大きくひと蹴りしてから、家路につきました。
それでおしまいです。
狐につままれたようなお顔ですよ、刑事さん。
ほんとうにそれで終わりなのか? とおっしゃりたいのですか? そうなんです、それだけ。
その後どうなったか、などとはどうでもよくありませんか? 私のしもやけが完全に治ったこととか、翌年から徐々に気候が変わったのかそれから後、丸池に厚い氷が張ることもなくなって、子どもたちは氷を割って蹴り帰ったなんてことは、すっかりうち忘れてしまったとか、見澤先生はそれから間もなく退職されてその後どうされたか誰も知らないのだとか。
ああ、あと、私が最後に氷を蹴り帰ったその日。後ろから駈けてきた、あの図体の大きな男子、同じクラスの何と言う名前だったかも覚えがないのですが、その子が蹴っていた大きな氷が私の氷を脇からはじき、目の前に止まったので私は珍しく腹をたて、黒ずんで汚れ切ったその子の大きな氷を思いざま前に蹴り飛ばしたら、それがびっくりするほど飛んで、車道を斜めに転がっていったこととか。その子もかなり腹を立てたのでしょう、私を突き飛ばすように除けて、自分の氷を追って道に飛び出して。
ええ、たまにはダンプも通ることがありまして、田舎道でもね。
即死ということでした。
私の氷もそれきり、どこかの草かげに紛れてしまい、出ては来ませんでした。
そうだ、その後ひとつだけ気づいたことがありました。
朝早く、霜や露で濡れた草花の脇を歩いても、私の影は輝いてみえなくなったのです。
ただどんよりと、陰のふちが淀んだように滲んでいて。
悪いものは、すぐには育たない、でもね。
ひっそりと音もたてず、ずっと芽の出る時を待つんですよ。
あら、あなたも……手が、冷たそう。
了