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二ツの刀 その二

「あ、昴のことすっかり忘れてた」

 朝食を食べたあと、槙さんがこの家で暮らすについての細々(こまごま)としたことをやって一息つこうとしたところで突然思い出した。何時か確認するとまだ十時前だった。

 今日はやたら早く起きたからなぁ

昨日さくじつは熱を出したと言っていましたね」

「うん。きのうのうちにどんなか訊こうと思ってて忘れたから、怒ってるだろうなぁ」

 とりあえず様子を探ろうと思ってお姉さんにメールするとカメラの前に行くように言われてしまった。

「昴本人ならともかく、お姉さんがこっちを見ながら話したいとか言ってるよ。めんどくさいなぁ」

「カメラを出されるのですね。私は席を・・・・」

「ああ、いいよ。伝話部屋に行ってしてくるから。まだ見たことなかったよね」

 伝話部屋と言っても防音設備があるとか特別な仕掛けがあるわけではなく、その昔パソコン部屋として使われていたのが今はそのようなものはないので、一階に居る時に伝話がきたりかけたくなったりした時使うこぢんまりとした部屋だ。

「ここが伝話をするための部屋ですか」

「ほんとに専用の部屋ってわけじゃないけどね。槙さんも上司の人と連絡するのに使えばいいよ。部屋のカメラはなくて伝話のカメラしかないから」

「いえ、ご主人様に秘密にするようなことはございません。ここは、伝話部屋と言うより、お面の部屋のようですね。どなたか集めていらっしゃるのですか?」

「いや、父親が最初は、人に見せられないようなひどい顔の時に使うようにって、じょうだんで買ってきたんだけど、その最初のをねぇさんがえらく気に入っちゃってね。それから帰ってくるたんびに買ってくるもんだから、こんなふうになっちゃったんだよ」

 どういうわけか槙さんも気に入ったようでおもしろそうに壁に並んだお面を見ている。自分は座り心地のいいイスに座って伝話をする前にカメラ写りを確かめた。自分の顔を見たのではなく画角の確認だ。

「すみません。今出ます」

「あ、いいよ。そこなら写ってないから。入り口閉めてくれる」

「はい」

 槙さんのこと昴に言ったらどんな反応するんだろ?

「すみません、遅くなって」

「そのうちカメラが壊れたとかってメールがくるかしらって思い始めてたとこよ」

「そんなことはしません・・・・とも言い切れないか。まぁ確かに好きじゃあないですよね」

「やっぱりね」

「それで昴の様子はどうですか?そこに居ませんよね」

「ええ、まだ寝てるけど・・・・」

「まだ熱があるんですか?」

 昨日伝話しなかったのを一瞬後悔したがそうではなかった。

「ああ違うのよ。夕べの内にはもう熱は治まったから、大丈夫でしょう。あの子、休みの日はお昼まで寝てるのよ」

「昨日も一日寝てたんじゃないんですか?」

「そうなのよ。よく寝るわよね。そのわりに育たないけど」

「育ってなくてもかわいいじゃないですか。お姉さんとしてはどこが育ってほしいんですか?」

「先生はやっぱり胸が育ってほしいかしら?」

「寝るだけで大きくなるんなら、貧乳を見かけなくなりますよ。そこは普通姉として内面が育ってほしいって言うところじゃないんですか?」

 普段そんな話ばかりしているのが悪いのだが、槙さんが横にいる状況でこーゆー話はしづらい。

「あら、今日はまじめなのね」

「面と向かってする話があるのだと思ったんですけど」

「先生が学校で聞き込みをしてくれるって言ってたから、それを聞こうと思ったのよ」

 あ・・・・やべ柳川さんに訊くのを忘れてたわ・・・・

「クラスの女子は自分のとなりに昴がいる時でないと話をしてくれないのをすっかり忘れてました」

「本人にないしょの話を本人の横で訊けるわけないでしょう」

「それで信頼できる人に仕事を頼んでおきましたので、今しばらくお待ちください」

「先生にばかり頼ってたら悪いんだけど、高校の様子は今のところ先生しか聞けないから。でも先生も男性だから女子の間のことなんてわからないでしょう?」

「お役に立たなくてすみません」

「そんなことないわよ。あの日、先生が家の前を通りかからなかったら、今ごろどうなってたかしら。感謝してるわ」

「いや、さっきまで昴のことをきれいさっぱり忘れてたんで、そう言われると面目ないです」

 謙遜ではなかったのだが、お姉さんにはそのように見えてしまったようだ。

 忘れてたのは事実なんだけどな・・・・

「先生、夜も一人なんでしょう?今日のお昼一緒にどうかしら。あの子も喜ぶし」

「お昼ですか?」

 そこで一瞬、槙さんの方を視線だけ動かして見た。その間わずかコンマ六秒ほどだったが、お姉さんに悟られてしまった。

「あら、ごめんなさい。お邪魔だったのね」

 顔にも出たかな?カメラの解像度をギリギリまで落としとくんだった

「彼女じゃないですよ」

「それならなんで怪しい素振そぶりをするのよ?ああ、彼女じゃなくて彼氏ね。いいわよ、彼氏さんも歓迎するから。見せに来て」

 昴がどういう反応をするのかわからなかったが、隠しておくつもりもなく良い機会だと思って話してしまうことにした。

「彼氏でもないですよ。お姉さんもそーゆー話好きなんですか?婚約者なんですよ」

「・・・・え?」

「槙さん、昴のお姉さんを紹介するからこっち来て」

「はい」

 槙さんはカメラの前に来ると礼儀正しくお辞儀をしてから名乗った。

「こんにちは。はじめまして。『槙 のぶ』と言います。今後ともよろしくおねがいします」

 槙さんがとても冗談を言っているようには見えなかっただろうが、それでも半信半疑といった表情だった。

「え・・・・あ、はい、こんにちわ・・・・」

「お姉さんがお昼をごちそうしてくれると言うから行くことにしよう」

「はい」

「あの・・・・ほんとに婚約者?」

「槙さん、自分のことをいつものように呼んでみて」

「はい。ご主人様」

「ゴシュジンサマ!?」

 ああ・・・・やっぱりこんくらい驚かれるよな・・・・

 槙さんにそう呼ばれるのにはなれたが、第三者の前でご主人様と呼ばれるのはこれが初めてで、これはやっぱり、はずかしい。もともと自分がそう呼ばせているわけでなく、槙さんの要望を受け入れてこうなったからだろう。

 でもあれだな・・・・人前で呼ばれるのに慣れないと学校で槙さんとの会話が成り立たないだろうしな・・・・『先生』なんて使わないだろうし

 お姉さんに槙さんと自分とを交互に眺められていると昴の声が聞こえてきた。

「お姉ちゃんおはよ~。・・・・なにしてるの?」

 お姉さんが手招きすると昴が画面にあらわれた。

「あ、せんせい。おはよう~。・・・・なんでそこにまきさんがいるの?」

「昴、鏡はどうした?」

「カガミ?」

「あたまに断崖絶壁ができてるぞ」

「・・・・・・・・ぎゃあああァァァっっっ!!!!」

 睡眠時間に比例してか、こないだの芸術的な爆発とは違い真直角になっていた。

「どうしたらあんなになるんです?実はお姉さんのイタズラですか?」

「いたずらでやるにしても大変そうねぇ。それで本当に二人で遊びに来てくれるの?」

「ほんとにいいですよ。ただし、根ほり葉ほり訊かないでください」

「う~ん・・・・まぁ実物を見るだけでもいいか。えーと十一時に、十一時に家を出てきてくれればいいわ」

「わかりました。それでは後ほど」

 自分と槙さんとのことも口裏を合わせておかないとだよなぁ

 とりあえずダイニングに戻ってから考えることにした。

「お茶をいれましょうか」

「うん。ねぇさんがなんだか買ってきてあったから、それを適当にいれて」

「はい」

 昴に対して自分と槙さんとのことをどう話すのかも考えないといけないが、その前に自分と昴とのことをもう少し詳しく話しておいたほうがいいだろう。だが、昴のプライバシーにも、昴の自分に対する信頼にも関わってくるのでお茶をすすりながらどうやって話すか考えた。

「槙さんは高校の初日にあの保健医のした話を覚えてる?」

「高瀬昴さんのことですね。覚えております」

「うん。それで、槙さんの記憶力を疑ってるわけじゃないし自分も専門家なわけはないけど微妙な話なんで、一応どの程度の理解でいるのか確認させてもらえるかな。DSDがどんな病気かは大体わかってるよね?」

「はい。高瀬昴さんの場合、見た目は女性そのものでも遺伝子のレベルで性が不安定な状態だと聞きました」

「うん。それで、非難したりしないから、正直に話してほしいんだけど、昴のこと、どう思う?・・・・そうだな・・・・昴がこの家に遊びにきて、自分と槙さんと昴とで食事をしたとしよう。それでその途中で伝話がかかってきて、自分が席をはずして槙さんと昴と二人だけになったとして、槙さんはどう感じる?ご主人様早く戻ってこないかな、とか、高瀬の使った食器洗うのいやだな、とか・・・・」

「それは私が高瀬昴さんといるのはいやなのかと訊いているのですか?」

「まぁ・・・・そうだね」

「一つ私のほうから質問してもよろしいですか」

「うん」

「ご主人様は高瀬昴と駆け引きがあるのですか?」

「昴と駆け引き?」

 そう言われてつい『恋の駆け引き』を連想してしまったが、槙さんがそんなことを言い出すはずもない。精神的な上下関係のことを言っているのだろう。

 ばかにされて見返してやる、というのは小学生でもあるだろうが、戦略的に今は表面仲良くしておいて機会をとらえて出し抜いてやる、なんてことを高校生が日常的にやると思っているのだろう。

 槙さんはそういう世界にいたってことだよなぁ

「そんなことはしてないよ。ほんとにただの友達だよ。敵じゃないから」

「それなら私が高瀬昴さんを気にすることは何もありません」

 何もないのも困るんだが・・・・

 プラスもマイナスもないんだろうが、この場合そのニュートラルな立場が昴にとってはいいのかもしれない。同情は必ずしもプラスにならない。教室で見る感じでは、一番仲がよさそうな女子もまだ昴との距離間をつかみきれていないようだった。

「うん。そうか。それなら今後ともその調子で頼むよ。それで自分と昴のことなんだけどね・・・・」

 なんで毎朝昴の家に行くことになったのかという話だったが、この話は小学生まで遡ることになる。


 二度目の休学をして二度目の復帰をした時、学年は六年生だった。過去の同級生は学年が違うどころかすでに学校にいなくて自分が浮いた存在のように感じていた。それこそ自分と学校との距離間がつかめていない時期だった。

 手が出るケンカでも、口ゲンカでも勝ってしまうことがわかっていたし、たとえ自分に非がなくてもケンカになってしまえばその時点で自分が非難されるのもわかっていた。同学年に体格のいいのが何人かいたのでそれで目立つことはなかったが、人生経験の豊富さから精神面での格差はいかんともしがたかった。

 そんな時だった。

 校内で一人になれる場所を探してうろうろしていたのだが、そんな場所を探していたのは自分だけではなかった。

 前の日に見つけた良さげな場所に行ってみるとすでに先客がいた。

 女子は群れているか一人で本を読んでいるかのどちらかだと思っていたのでこんなところに女の子が一人きりでいたのが意外だった。

 となりのクラスの女子だな

 自分も有名人だったが、その女子も身体が小さすぎて目立つので顔は知っていた。ほうけているのかと思って近づいて見てみるとそうではなく居眠りしていた。

 女子がわざわざこんなとこで寝なくてもいいのに

 そう思ったが確かに昼寝をするにはよさそうな日当たり具合だった。それでその女子のとなりに座ってみる。

 ああ・・・・こりゃ眠くなるな・・・・

 そのあと妙に眠り込んでしまって予鈴が鳴っても起きなかったようだ。となりの女子のほうは自分がもたれ掛かってきたために起きたのだが、気が弱くて何も言えず本鈴がなってからやっと口を開くことができたのだった。

「あ・・・・あの・・・・すみません。あの・・・・おきて、もらえませんか・・・・」

「ん・・・・んあ?」

 寝ぼけていたので目を開けても自分がどこにいるのかわからない。

 目に写る景色は傾いていた。

 ああ・・・・そとでいねむり・・・・このやわらかいものはなんだろう?

「あの・・・・すみません」

 それでやっと女子の頭の上に自分の頭があることがわかった。

「ああ・・・・ごめんごめん。きもちよさそうに寝てたからつられて寝ちゃったよ・・・・あ、もう予鈴鳴った?」

「よれい?」

「休み時間終わりのチャイム」

「あ、あの・・・・チャイムなっちゃって・・・・」

「ありゃ。走れば間に合うかな」

「あ・・・・そうじゃなくて・・・・その・・・・」

 最初は何を言いよどんでいるのかわからなかった。

「その・・・・もうまにあわない・・・・」

「え?ああ、もう授業はじまっちゃってるのか」

 見るとその女子は泣き出しそうな顔をしている。自分は授業に遅刻したくらいではなんとも思わないのだが、この子はだいぶ悪いことをしたと思っているのだろう。

「泣くようなことじゃないって。大丈夫。ついてきて」

 そう言ってもその場を動こうとしなかったので手首をつかむとムリヤリ引っ張って歩いていった。

「失礼しまーす」

 保健室の戸を開けると元気よく言い放つ。

「ここは調子の悪くなった人が来るところなのよ」

「頭の調子が悪くなりました」

「頭が悪いのは教室で治しなさい。ほら、行った行った」

「あ、まって。今のは冗談」

 戸の陰に隠れていた女子を引っ張り出して養護教諭に見せた。

「あら・・・・」

「あれ?なんだ。常連さんだったのか」

「ちょっとこっちに来なさい」

 今度は自分が養護教諭に引っ張られて、部屋の中程まで連れて行かれると耳元に口を近づけてひそひそ声で尋ねられた。

「いじめられてたとこに遭遇したの?」

「いや」

「物陰で泣いてた?」

「いや」

「それじゃあなんで昴さんと一緒にいるの?」

 それで斯々然々(かくかくしかじか)話した。

「そうだったの」

 養護教諭の態度から訳有りだとは思ったが、これ以上首を突っ込むつもりはなかった。

「ええそうだったんです。それではわたくしは寝足りなかったので・・・・」

「こら!」

 ベッドにあがろうとすると当然怒られたがちょうど運よく電話がかかってきた。

「はい保健室・・・・はい、はい。すぐ行きます・・・・ほら、ここは仮眠室じゃないのよ。教室戻りなさい」

「大丈夫です。仮眠じゃなくて本眠にしますから」

「いいから早く教室行きなさい!」

「ほらスバル。早く教室行けって言ってるぞ」

「昴さんじゃない!」

「ほら、急患が出たんだから早く緊急出動しないと」

「まったくもう・・・・昴さんはここにいていいからね」

 養護教諭は救急箱を持って走っていった。

「ああやっと静かになった。スバルはどうする?寝るか?」

 首をぷるぷる横に振った。

「今のそれ、郷土玩具の張り子の虎みたいだな」

「?・・・・あの・・・・じゅぎょうは・・・・」

「体調悪で保健室に来たのにすぐに戻ったらかえっておかしいだろ。ちょっと休んだらよくなりましたって言えるくらいには休んでいかないと。ほら、ここ座りな」

 また首だけこくんとやって自分の横にちょこんと座った。この保健室にはなぜか公園で恋人たちが座るようなベンチが置いてある。

 座ったあと初めてのデートで緊張してるみたいに二人とも黙っていた。自分も顔以外知らない女子と何をしゃべったらいいのかわからなかったが、昴のほうが話しかけてきた。

「あの・・・・」

「なに?」

「あの・・・・なんであんなにポンポンしゃべれるの?」

「ポンポンしゃべれる?ああ、さっきの養護教諭との掛け合いか・・・・。そりゃあ、『先生』だからさ」

「えっ!?」

「先生って言っても、この学校の先生って意味じゃないぞ。先生ってどういう漢字を書く?」

「えっと・・・・」

「さきにうまれるって書くだろ」

「うん」

「うわさかなんかで聞いたことない?病気で学校を二年休んだ子がいるって。君より二年先に生まれているから、だから『先生』」

「あっ・・・・そうなんだ・・・・」

「だからこれからは我が輩のことは『先生』と呼ぶように」

「・・・・うん」

 その後も教師じゃない人を先生と呼ぶのに抵抗があったようで一度もそう呼ばれたことはなかったが、引っ越してから自分のことを思い出した時には『先生』と脳内呼称していたようだ。何しろ高校で再会した時『先生』と呼ばれてこっちが面食らった。昴には悪いが昴のことはきれいさっぱり忘れていて、小学校で初めて会ったこの時のことを思い出すのにしばらく時間がかかったくらいだ。

「さっきのあの場所も気持ちよかったけど、ここもいいな。ベッドに入って寝るなとは言われたけど、ここで居眠りするなとは言われなかったからな。もうちょい寝とくか」

 そう言って目をつむった。昴のほうはあきれて教室に行くだろうと思っていたのだが、また二人仲良く寝ることになってしまった。さっきとは逆に昴のほうが自分に寄りかかって寝ていたもんだから養護教諭が帰ってきてすぐには起こされずにすんだ。昴を寝かしておきたい理由があったのだろう。昴が目を覚ますと自分は養護教諭にムリヤリ起こされて、保健室の掃除をやらされた。昴が掃除をする理由もなさそうだったが、なんだか楽しそうに掃除していた。

 その後少しは話をする機会があったものの、クラスが違って男子と女子で、昴が引っ越して中学が別になるとその三年の間にすっかり忘れたのだった。だが昴のほうは自分の印象が強かったらしく、三年も経っていたと言うのに高校で初めて見た時すぐにわかったそうだ。

 その高校でも、年齢のことをみんなに黙っているつもりはなかったので入学式当日、登校するなり職員室に行って担任のところへ通してもらい、最初の自己紹介の時にそのことを話したいのだがどうだろうと相談した。担任はそのほうがいいだろうと言ってくれたのだが、まさか『まだみんな緊張しているだろうからお手本をやってみろ』と言われて一番手にされるとは思わなかった。

 この時教室に担任と一緒に保健医もついてきていて、まぁ自分のことじゃないから、誰かに何かあるんだろうとは思った。その何かは腕がないとか足がないとか言う話だと思っていたので昴のことは予想外だったし、DSDのこともこの時知った。

 後で聞いた話だが、実は昴も最初にみんなに言うと決めたものの、いざ自己紹介が始まると後悔したそうだ。自分が最初で昴が最後だったのだが、自分が目の前に現れて、しかも年齢のことを話したので、ずいぶん楽に話せたそうだ。それでも家に帰ってみると、また後悔し始めて、次の日の朝には登校拒否になってしまったそうだ。

 保健医の説明を聞いた後も特別昴のことを気にしていたわけではなかったのだが、高校二日目の朝、昴とお姉さんが玄関先ですったもんだしている所へ自分が通りかかった。昴の家に行くルートは遠回りになるので、この日高瀬家の前を通ったのもただの気まぐれからだったが、それがその後もずっと続くことになるとは思わなかった。


「体のことを話したあとも、自分が昴の記憶にあるのと変わらない態度で接してもらえてうれしかったんだそうだ。で、それから毎朝高瀬家に行ってるというわけ」

「高瀬昴さんとそのようなご縁があったのですね・・・・ご主人様の懐の深いのは昔からなのですね」

「懐が深いかどうかはわからんけど、二年の間にいろいろあったからでしょ・・・・それで、自分と昴とのことは今話した通りなんだけど、昴に槙さんのことはどう説明するの?訊くまでもないことだろうけど、要石のことは当然秘密なんだよね」

「はい。霊気のことまで知る人間はごくわずかだと思います。知識を得ても霊気を実際に見れるか見れないかは生まれつきのものですから」

 何人いるかぐらいは教えてくれてもよさそうなもんだけどなぁ

「目に見えない物を説明するのは大変だよね。ん~と、なりそめから話すとその話を抜きには語れないか。まるっきり作り話をするにしても・・・・槙さんは嘘をつくのが下手だからな。相手がお姉さんならなお無理だな」

「う、うそをつくのがへたなわけではありません」

「シナリオ書くには時間がないし。その辺のことを訊かれたら、『二人の秘密です』と言い続けるか。実際このとしで婚約だなんてどう考えたって立ち入った話になるから・・・・槙さんだったら、要石のことを秘密にしたまま、なんで自分のことをご主人様と呼ぶのか訊かれて嘘で答えるとして、どう話す?」

「え?えーと・・・・そう・・・・ですね・・・・えーと・・・・」

「えーと?」

「えーと・・・・ですね・・・・・・・・・・・・」

 出かける時間まで考えていても、ついに思いつかない槙さんだった。


「いらっしゃい」

「こんにちは」

「本日はお招きいただき、ありがとうございます」

「・・・・槙さんてお嬢様なの?」

 本人ではなく自分に向かって訊いてくる。

「いや、しつけが厳しかっただけ、だと思うけど。しつけと言うより修行と言ったほうがいいかな」

「修行?」

「昴は?断崖絶壁はなおりました?」

「寝癖は直ったけど、服選びで悩んでてまだ部屋なのよ。時間をかけた分だけエスカレートするから今ごろきっとでコテコテになってるわね・・・・昴、早く来なさいよ。先生たち来たわよ」

「昴。一つアドバイスするならエプロンだけとかが斬新でいいぞ」

「先生はだまってて!!」

 お姉さんが昴の部屋へ内線をかけたのに横から口を挟むとスピーカー越しにけっこう本気で怒られた。

「昴のやつ、なんでそんなに真剣になってるの?」

「先生のことを気にしてるのもあるでしょうけど、それ以上に槙さんのことを気にしてるんでしょうね」

「私のことを気にして服装に悩むのですか?」

 槙さんはまったくわからないといった表情だったが、お姉さんのほうも、槙さんが制服を着ているのが謎だったろうがそのことを訊いてはこなかった。

 家の決まりですなんて返事されたら反応に困るだろうなぁ

「それでランチメニューはなんですか?いつものように冷凍保存食品ですか?」

「冷凍食品だけじゃないわよ。フリーズドライもあるしチーズもあるし」

「出来合いの物であることにかわりはないでしょう」

「フリーズドライだっておいしいのよ。それにチーズはどこの家だって買ってくるでしょ」

「冷凍食品はみんなまずいと言うつもりはないですけどね」

「高瀬昴さんの家ではお客様に冷凍食品をお出しするんですか?」

 他意はなく素朴な疑問を素朴に口にしただけだったろうが、自分ではなく槙さんにそう訊かれたのはけっこうこたえたようだ。

「え?ええ・・・・」

「まぁ冷凍食品も利用するだろうけど、呼ばれて来たのに全て出来合いだと歓待されてる気にはならないよな」

「その、今からちゃちゃっと簡単な手料理を・・・・私だって小料理のひとつやひとつ・・・・」

「それにしては食材が何もないようですけど」

 勝手に冷蔵庫を開けて中を見ながら言う。

「い、今仕入れに行くところだったのよおおおおぉぉぉぉ」

「あ~らら。走っていっちゃったよ」

 お姉さんの態度からほんとに料理ができなさそうだったのでそれを確かめるために冷蔵庫以外も見る。人の家の台所だったがありそうな所に何もなく、結局タマネギ一つ見当たらない。

「ちょっとからかいすぎたかな」

「そうだったんですか?」

「そうだったんです。今頃必死になって超初心者にもできるパーティー料理でも調べまくってるだろうけど」

 どうにかして助け船を出したほうがいいかなと考えているとやっと昴が姿をあらわした。

「遅くなってごめんね。あれ?お姉ちゃんは?」

「緊急に食材を手に入れに出かけた」

「え?今ごろ?なにがなかったの?」

「料理の腕だな」

「?」

「それより昴。今からどこへ行くんだ?ドレスコードがあるなんて聞いてないぞ」

「え?どこにも行かないよ。ここで食事するんだよ?」

「そうか。自分はてっきりどこかの晩餐会に行くんだと思った」

「そんなに派手だったかな・・・・」

「高瀬昴さんはいつも家の中でそのような服装をしているのですか?」

「いつもじゃないけど・・・・槙さんていつもそんな風にしゃべる人だったの?」

「はい。いつもこのような感じです」

「へぇ~。そうだったんだ。ずいぶんていねいなしゃべり方だね」

「そうでしょうか」

 二人がまともに会話するのはこれがはじめてだ。いまいち話がかみ合ってない感じではあるが、昴のほうで槙さんに遠慮しているところもなさそうなのでお友だちにはなれるだろう。

「でもびっくりしたよ。槙さんと婚約してただなんて」

「自分もびっくりだよ。突然その話をされて」

「え?・・・・冗談だったの?」

「いや、真実だ。昴が冷静にしてるのが意外でな。思ったより肝っ玉が座ってたんだな」

「この話に肝っ玉が関係するの?まぁなんで驚かないのかってきいてるのなら、前から先生は先生だから、年上だから恋人がいるだろうなぁって思ってたから。どんな人なんだろって前から想像してたの。想像とはぜんぜん違ってて、しかもそれが槙さんだったから、びっくりしてるよ?」

「年上って言っても自分も結婚適齢期になってるわけじゃないから、その辺は昴とも誤差の範囲内だと思うぞ。昴こそ理想の男子像とか気になる男子とかいないのか?」

「んー私はまだ恋人とかよくわかんないし・・・・体のことがあるから無意識に考えないようにしてるのかも・・・・」

「う。すまん。配慮がたりなかった」

「あ~ううん、いいの。そんなに気にしなくて。それに私にそんな話をしてくれるってことは、先生が気にしてないってことでしょ。私にはそのほうがうれしいな」

「槙さんも昴を見ても女の子にしか見えないよね」

「はい。私より女性らしいです」

「槙ちゃんにそう言われるとうれしいなぁ。それに槙ちゃんて近くで見るとかっこいいよね」

「昴から見て槙さんのどの辺りがかっこいいんだ?」

「え?ええっと・・・・こう・・・・スパッっとした・・・・トマトがきれいに切れる包丁みたいな?」

 一瞬ドキッとしたが、包丁が見えたと言っているわけではないのでゆうだろう。あれが見えなくてもどことなく槙さんにはあの刀のような感じを受けるのかもしれない。

「あ!そうだ!今度服買いに行こうよ。三人で」

「三人って、ひょっとして自分も入ってるのか?」

「もちろん」

「服なんかわざわざ見に行って買ったりしないぞ。めんどくさい」

「もぉ~。先生もそんなじゃダメだよ」

「なにがダメなんだ?自分には服の見立てなんてできないぞ」

「それは私にまかせといて」

「ならなんだ?」

「お金を払う人に決まってるでしょ」

「・・・・そうでしたね」

 昴にとっては自分たちは恋人なんだろうが、自分は未だにその実感がない。普通の恋人がやりたがることを一つもしようとしないからだろう。

「今からたのしみだね!あ、お姉ちゃんからだ」

「ああ。そういやすっかり忘れてた。なんだって?」

「そこに出すよ・・・・えーと」

「・・・・予想通りだな。なんて返事するんだ?」

「え~?私だって初心者向けの料理なんてわかんないよ」

「そのことは折り込み済みで訊いてるんだろうから、自分が答えちゃっていいんだよな?」

「うん。そうだと思うよ」

「簡単にできて見栄えがしておいしい料理か・・・・何がいいかなぁ?」

 それでお姉さんには生野菜サラダを作らせたのだが、洗ってちぎるだけだと未熟なのを棚に上げて文句を言いそうだったのでドレッシングのレシピを教えてやった。それにしたっても小学生が初めて作ったようなもんだったが、完成品を前にしてえらくご満悦のご様子。これを契機にオール冷凍食品生活から脱してくれればいいのだが。


 高瀬家からの帰り道。今の食事会はどうだったんだろうと思っていると槙さんが楽しかったと言ってくれたが、それには複雑な事情も含まれていた。

「大勢で食事をするのは楽しいものですね」

「大勢って言ってもたったの四人・・・・」

 そこまで言ったあと言葉が続かなかった。槙さんにとって四人は『大勢』なのだ。

「・・・・それなら明日のお昼、みんなといっしょに食べる?」

「でもそれは・・・・ご主人様にご迷惑がかかるのではないかと・・・・」

「槙さん学校でお昼食べてないんだよね」

「はい」

 やっぱりか・・・・

 槙さんの性格と体質がわかってきてそんな気はしていた。

「槙さんが昼食抜いてるのを知ってて、その横で食事しても自分も楽しくないよ。クラスのみんなと仲良くするのは避けたいの?」

「はい・・・・あ、いえ、違います。あ、でも、その、仲良くなりすぎるのは避けなければならないんです」

「昼をいっしょにするくらいなら仲良くなりすぎってことはないさ。槙さんはどうしてもごはんを、お米のお弁当じゃないといや?」

「いえ。どうしても白米が食べたいわけではありません」

「それなら今から明日のお昼を買いに行こう」

「はい。でもお姉さまが持ってこられた食材がまだあるのではないですか?」

「あるけど昼食用になるものはないな。買った本人が食べたいものしか買ってないから」

「そうなのですか。料理というものは難しいものですね」

「そんなに難しく考えるものじゃないって。楽しく食べれればそれでいいんだよ。今の高瀬家のようにほとんど冷凍食品でも」

「今日高瀬さんが作っていたサラダなら私でもできそうです。ご主人様、私にも料理を教えていただけますか?」

「おう。もちろんいいとも。さっそく今夜は槙さんに作ってもらおうかな」

「はい。全身全霊で料理いたします」

「だからもっと肩の力を抜いてやればいいって」

「はい!」

 力強く返事をする槙さんを見て苦笑してしまう。普段の緊張感からそうなってしまうのかもしれなかったが、今晩の献立を考えていられるのは平和の証だろう。

 敵対勢力か・・・・いったいどんな人たちなんだろう?

 この時自分は『敵』が漠然としていて、はるか遠い存在のように思っていた。


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