槇と刃 その五
気をつけて
だから後ろ姿じゃなくて正面のを見せてよ
気をつけて
その人の何に気をつければいいの?
気をつけて
何度目かの要領を得ない忠告を聞いて目が覚める。
今のところ槙さんしかいないけど刀をぶんまわす相手の対処法なんてわからんし・・・・逃げるしかないよな・・・・でもなんであの時切らなかった・・・・よけなかった・・・・
ぼんやりした頭で何十回目かのあの時のリプレイをしていると目覚まし時計が鳴る。
学校に行くなってことなのかな・・・・
唯一思いついた対処法だったが、忠告を受け入れたとしてもいつまで学校を休むことになるのかわからない。
一度死にそうな目に遭っているせいか、またあんなことがあってもどうにかなるだろうと思って学校に行くことにした。ふとんから出る前にたまには役に立つ、前向きなことが書いてあるかもしれないと思い本日の教訓を読んでみた。
『厳しくみえても脆き霰かな』
教訓なのかどうかもよくわからないが、意味深だ。単純に前向きにもなれないが。
自室を出ようとするとその昴のお姉さんからメールが来たのだが、内容がおいしいパンとチーズとワインがあるから朝食を食べていけというものだった。
「しかたンないか・・・・」
二日続けて変なことをしてしまったので心配しているのかもしれない。
身支度だけ整えて家を出た。それで昴の家に着いたのはおとといと同じくらいで、お姉さんが昴に何も言ってないのも同じだった。昴の行動もまた同じだった。
「え?きゃぁぁぁ〜っ!」
違ったことと言えば昴の頭がおとといほどにはひどくはなかったことだった。
ブラは平気なのになんであれは嫌なんだろう?
「自分に女の子の寝ぼけた顔を見る趣味はないですよ。今日も高瀬スペで機嫌を取り持つんですか?」
「いいえ、今日はこれよ」
「昴は呑んでも顔にも行動にも出ない質なんですか?」
「前料理で使ったときアルコールがちゃんと飛んでなくてまっかになった」
「それじゃあなんでグラスを二つ出すんです?」
「年齢的にはおっけーでしょ?」
「まだ足りてません。足りてたとしても呑まないですよ」
「も〜つきあいわるいなぁ」
この人もどこまで本気かわからんなぁ
ワインのかわりにコーヒーをいれてもらって、また役にたたない情報を仕入れていると昴が部屋に入って来た。
「うう・・・・二回も爆発したとこ見られた・・・・」
「おとといのは確かに爆発してたけど、今日のはそれほどひどくはなかったぞ。むしろ寝癖が寝癖とわかる分だけ今日のほうがかっこわるかったな」
「程度の問題以前に私は寝癖はみんなイヤです・・・・明日から起きたら鏡を見るようにする・・・・」
むしろ今までなんでそうしなかったのかがふしぎだ。
「今日は先生といっしょにパンとチーズにしなさい」
「うん」
お姉さんがめんどうくさくて冷凍食品なのかと思っていたら、今の言い様からするとあれは昴がリクエストしていたもののようだ。
チーズとワインがわかる人なら他のものの味がわからないってこともないだろうしな・・・・昴の味覚がお子さまだっただけか・・・・
「それで結局お姉さんは呑むんですね?」
「私は今日お休みだもん」
「人が呑んでるのを見てると自分も呑みたくなるってわけじゃないからいいですけどね・・・・」
呑まされはしなかったが乾杯には付き合わされて朝からコーヒーで祝杯をあげさせられた。
昴家を出るとき余ったパンを手渡された。
「お昼教室なんでしょ」
「はい。それじゃあ遠慮なく」
お姉さんが言うだけあっておいしいパンだった。いつものパンもおいしいが毎日食べているので感動がなくなっていたところだった。
「いってきま〜す」
「いってきます」
「いってらっしゃい」
学校まで半分ほどの所で昴がふいに訊いてきた。
「先生はその・・・・いやになったり・・・・しませんか?」
「んん?そうは言っても・・・・自分のあたま、短いからそうめったに寝癖はできないから・・・・」
「そうじゃなくて!・・・・その、朝からお姉ちゃんが変なことして・・・・」
「嫌になったりしないさ。おもしろくていいじゃない」
「そう・・・・よかった」
お姉さんのことよりも自分としては昴本人とどう付き合えばいいのか未だにわからない。そのうち感覚がつかめるだろうと安易に考えていたがよくわからないままだ。あの年期の入った保健医は難しく考えずに普通に接していろと言うがその普通がむずかしいと言うものだ。個人的にもう少し詳しく訊いてみようかと思っていた。
「昴こそ、自分が何か・・・・悪いことを言ったりしたら黙ってないで、はっきり言ってほしい。そのほうが自分も助かる。どうだ?」
昴はこっくりとうなずいただけだった。
それで昼休み、ではあったのだが。
「どうやって談合したんだ?」
「うっわーすごい偶然ね」
「ほんと。一回で勝負が決まるとは思ってなかったよ」
「演技しなくていいから。怒らないから。どうやって談合したんだ?」
「だから、ほんとに何もしてないって。ねぇ?」
「うん」
今日は昨日よりさらに参加者が増えた。これだけ多いと時間がかかりそうだなぁ、と自分も思ったのだが。
「ひきょうなことばっかしてるからパーで負けたんだよ。パーで」
「卑怯なことなんてしてないぞ。初日だってちゃんと責任をとって買いにいったじゃないか」
「とにかくパーをだして負けたことは事実だろ。パーを出したのはおまえの意志で、それでパーで負けたんだ」
「パーパー言うな。腹立たしい」
「みんな注文言った?ハイこれ!」
「うわ、書き出すとすごいな」
「あの・・・・」
「え?桑山さん、いっしょに来てくれるの?」
「えと・・・・ハーちゃんに怒られるからそれはできないんだけど・・・・そのかわり、これ、使って」
そう言いながら大きなトートバッグを手渡してくれた。
うう・・・・微妙なやさしさだなぁ・・・・
「字は私が書いておいてあげたから」
「字?字ってなんだ?」
手渡されたバッグをひっくり返して裏を見た。
「・・・・ごていねいに感謝いたします」
「どういたしまして。それじゃあ昼休みがなくなっちゃうからすぐいってきて」
昼休みが短くなると困るのは自分も同じだ。
「あ、副部長さん」
「おお。偶然だね」
小走りで自販機の前に到着すると平奈さんにばったりあった。
「副部長さんも飲み物ですか?」
「そうなんだけど、こーゆーわけでね」
トートバッグに書かれた文を見せた。
「あはは。そうだったんですか。でもずいぶん大げさですね」
「いや、それがそうでもない」
今度は注文書を見せる。
「うわ!すごい数ですね」
「うん。そうなんだよ。平奈さん、ここで会ったのも部活の縁ってことでちょっと手伝ってくれる?」
「いいですよ」
「自分がモノを取り出して袋にいれるから、平奈さんは注文通りに買ってくれる?今決済するから・・・・」
お金に関してはこの端末の場合、その表面を指でさわっていないと決済できないようになっている。普段はそれでいいのだが、今は両手を使いたいのでちょっと操作して手放しで連続して買えるように操作した。やはり分業するとずいぶん仕事が早い。
「はい、これで最後です」
「ありがと。たすかったよ。平奈さんも飲み物買いに来たんでしょ?お礼におごるよ」
「え?いいですよ」
「いいからいいから。青汁の特大サイズでいい?」
「もう。そんなのないですよ」
「ほら、早く帰らないと自分が怒られるから。どれにする?」
「えっと・・・・それじゃあこれにします」
平奈さんと別れると今度はクラス担任がやってきた。ただ移動途中だと思っているとそうではなかった。
「何をしてるんだおまえは?」
「何をと言われても・・・・こういうことでして」
担任にもトートバッグの文を見せる。
「なになに?・・・・そういうことか。それにしてもずいぶん参加者が多いな?誰が始めたんだ?」
「自分です」
「ったく、テメェで始めといてそのザマか」
「はい。お恥ずかしいかぎりで。それでなんで自分がジャンケンに負けたことがわかったんです?見てたんですか?」
「いや、そんなひまなことはしてないし、ジャンケンに負けたのを知ってたわけでもない。警報が出てな。一人の生徒が多数の生徒から金を受け取ってる、とな」
「ははあ、なるほど。それで何を疑ったんです?」
「そりゃカツアゲだろう?」
「ずいぶん少額を多数からとりますね。手間賃のほうがかかりますよ。自分なら博打の線を疑いますね」
「おおそうか。それもそうだな。今後の参考にするよ。さて、こんなくだらんことでもアレが出ると教頭に報告書をださんといけないからな」
「お手数おかけします。明日は勝てるようにがんばります」
「おう。期待してるぞ」
「それでは・・・・あ」
「どうした?」
「自分の分を買い忘れてました」
両手でトートバッグを持っていたので一旦床におろそうとするとそれを担任がとめた。
「いいよ。オレんおごってやる。ないしょだぞ」
こんなオープンでパブリックなスペースでないしょもないもんだが手もふさがっていたのでご好意にあまえることにした。
「どれだ?青汁か?」
「そんなもん飲みませんよ」
「そんなもんとはなんだ。オレは毎日飲んでるぞ」
「それが売り上げ不振で消滅しないのは先生のおかげだったんですね」
重くてとても走って帰れなく、それでも駆け足ていどには走っていったのだが、案の定教室につくと橋山さんに怒られた。
「おそい!」
「こんなに持って走れないよ。あと、担任に捕まった」
「先生に?なんで?」
分けるのは鈴木と桑山さんがやってくれた。
「あーやっとごはんだ。後藤はここのアルゴリズムってくわしい?」
「学校の?生徒管理用の?・・・・ああ、そういうこと」
「どういうことだよ?」
そうしたことにくわしくて頭の回転がいい後藤はすぐになんのことかわかったのだが、鈴木はまったくわかっていなかった。
「だから・・・・生徒を管理してる部分のシステムが、犯罪予防のアルゴリズムに従って、警報をだしたんだよ」
「犯罪警報?なんの?」
「客観的に見れば、一人の生徒のところに何人もの生徒のお金が集まってきたように見えるから、まぁ恐喝してるように見えなくもない、かな」
「アハハハハ!ないない!それは絶対にない!」
「ハーちゃん笑いすぎだってば」
今日は吹奏楽部の二人もいっしょに昼ごはんを食べている。鈴木はうれしそうだ。教室に戻ってきた時に確認したが槙さんは自分の席にいなかった。
「昨日は人を暴漢呼ばわりしたくせになぁ。自分でもそれはありえないと思うけど。担任には賭事を疑うべきでしょうって言っておいた。あと、実際には恐喝をしてるほうじゃなくてされてるほうだって言っておいた」
「恐喝されてるほう?」
「ハーちゃん自分がおごらせてること忘れてるでしょ?」
「アハハ。忘れてた。恐喝してるのは私だったか」
「んーでも、こんなことで警報がでるんだね」
「教頭に報告書をださんといけないんでめんどうだって言ってたからほんとのことだろうけど。でも罪状の推定まではしてないみたいだったなぁ」
「あれもまだまだ誤作動が多そうだよね」
「と言うわけで明日もまた負けると担任に迷惑をかけるから、負けた人は次の日は免除ってことで」
「いいわよ。明日は免除にしてあげる」
「やった!橋山さんにしては気前がいいね」
「明日は土曜日だけどね」
「・・・・忘れてた。それじゃあそもそも買いに行く必要がないのか」
「いや、私らは部活があるから。少なくとも桑山とジャンケンするんでそっちはただの不参加扱いになるから」
「くっ。それなら意地でも参加してやる」
「明日半日で帰るんならおごりも今日まででいいにしてあげるけど、明日参加なら明日までね」
「・・・・・・・・」
「橋山さんってけっこう腹黒いんだね」
「知略に長けてると言って」
昼休みの間中明日どうするかで悩んだ。
放課後。
二組の教室に向かいながら今さらながら土曜日の部活はどうなっているんだろうと思った。土曜半ドンがあるのは隔週なので部活を文化文明部に本決定した後となると一回しかない。その一回はもちろん昼で帰宅した。
あの部長のことだから部活動はしてなくても部室にいてなんかしてるのかもしれないなぁ
「平奈さん」
いつものようにノート型の端末を見ていた平奈さんは自分が声をかけるとそれをバッグにしまってからいつものトテトテ歩きでやって来た。
「いつもすみません」
「いや、遅くなってごめんね」
槙さんは、今日はどうするんだろうと思って帰りの会が終わった後しばらく席に座って様子を伺っていたのだがまったく動く気配がなく、教室から人がいなくなるまで待ってもいられなさそうだったので十分ほどであきらめた。
「今日はもう来てくれないのかと思って、一人で行こうかどうしようか迷っていたところでした」
「ああ、それで思い出した。平奈さんに連絡するのに外にいる時でもいい?」
「外って学校外ってことですか?いいですよ、もちろん。家のアドレスを・・・・」
「え?いいの?」
「別に隠しておくようなものじゃないと思いますけど」
「それじゃあさっそく今日帰ってから、夜中の三時くらいに・・・・」
「そんな時間じゃあ私が出る前にお母さんが出ちゃいますよ」
「それは困るな」
などとくだらないことを言っているうちに部室についた。
「センパイはいつも何をしてるんです?」
「謎めいた部分があったほうが魅力が増すでしょ」
「部長さん。私、昨日おもしろいものを見つけたんですが・・・・」
「お、どれどれ?見せてくれる?」
「はい。えっと・・・・これ・・・・なんですけど・・・・」
それで三人で問題の映像を見たのだが。
「・・・・わたくしはちょっと急用ができたんで、今日はこれにて失礼いたします」
「どんな急用なの?」
「え?えっと・・・・そうそう。ついうっかり猫のエサを昨日きらして、昨日からかわいそうに何も食べていないんですよ。早くエサを買って帰らないと」
「名前は?」
「・・・・え?」
「だから、名前よ。猫の」
え〜と猫の名前といえば・・・・
「イッパイアッテナです」
「変わった名前ねぇ〜」
「ええ。そうなんです」
「それじゃあルドルフ。今からこれを探してもらおうか」
そう言って白板に映し出されたものを指さした。
やっぱダメかしかも元ネタ知ってた
「無理ですよ〜そんな小さいもん」
「それほど小さいものでもないですけど、ここにあるものの中じゃあ小さいものですよね」
目的の物は畳半分くらいの広さがあれば置ける物のようだが、映像を見る限り四分割できるように作ってあるようだから、畳半分のさらに四分の一の大きさの物を探さないといけないだろう。教室半分ほどの空間の中から。
「ルドルフ一人にやらせるつもりもないけど、今から探すのもいやよね。気合いを入れて明日探しましょう」
「え?明日半ドンですよ」
「わかってるわよそんなこと。二人とも、明日は学食やってないから気をつけてね」
と言うわけで土曜午後の部活動開催が決まってしまった。明日のために今日はもう帰って鋭気を養えと部長が言って解散となった。
念のため教室に寄ってみたが槙さんはいなかった、のだがそれもそのはず家に帰ってみるとすでに待ちかまえていた。
自宅敷地に入って気配がしたので後ろを振り返ると槙さんが立っていた。急に背後に現れた槙さんを見ても驚かないし、驚かないでいる自分を見ても槙さんも何も言わない。
なんで槙さんだってわかるんだろ
ふしぎなことのような、あたりまえのことのような、そんな感覚だった。
「待たせちゃったかな」
「いえ、私も今来たところです」
槙さんは高校のバッグ以外にも大きめのバッグになにやら詰め込んで持っていた。
さすがにあれには入らないよな・・・・いやバラバラにすれば入るのかな?
自分がバラバラにされた姿を想像して体積がどのくらいになるだろうと考えた。
それなら空のバッグを持ってくるか
一度命拾いしているせいか、以前は考えもしなかったことを考えるようになっている。
「荷物置いたらさっそく買い物にいこうか」
「はい」
また今来た道を歩くのもくやしいので裏通りの細い道を歩いてスーパーに向かった。
「何か考えてきた?」
「それが・・・・私はいつも出された物を食べていただけだったので、自分で何を食べたいのかがわからないんです」
「ええ!?・・・・それって・・・・鉄格子の中にいたとか、軟禁されていたとかじゃない・・・・よね?」
「ちがいますよ」
わらってるってことはそんな深刻な話じゃないってことだよね・・・・
「確かに私は『普通の家庭』というものは知りませんが、虐待にあっていたというわけではありません。むしろ感謝しています。それにあそこではみんなそれ以上のことは望めないんです。私だけではありません」
やっぱり槙さん一人じゃないんだ・・・・
こんなところを歩きながらそんな重大な話を聞くことになるとは思わなかった。
高校生の一人暮らしは少数派ではあるだろうが、めずらしいことでもない。それにそのことは住環境の話であって自分自身の家庭そのものは『普通』だろう。
そんな自分には彼女にかける言葉がなかった。
それから二人とも黙ったまま歩いて食料品店に到着した。
なんかもう料理をする気力が・・・・
だけどここで出来合いの惣菜を買ったら負けた気になるし・・・・
槙さんのわりと深刻な話を聞いて、妙に家庭の味とか気にしだしたらなんだか料理そのものをしたくなくなってしまった。
「それで今日は何を作るか決まりましたか?」
「うーん・・・・どうしようか・・・・」
「卵が安いと買かれた幟がでていましたが」
「玉子だけというわけにもいかないしなぁ」
簡単に作れてボリュームがあって見栄えがして・・・・そんなもんあるか?
「玉子玉子玉子と・・・・なにをするか・・・・玉子をどうするか・・・・」
店内を歩いていると豆腐が目にとまった。
「豆腐のみそ汁はつくるか・・・・あ、そうだ。きつね丼にしようか」
「キツネですか?私はキツネ肉は食べたことないのですが・・・・」
「いやいや、きつね肉はどこにも売ってないと思う。きつねうどんのきつねだよ」
「油揚げですか?」
「そうそう」
材料その他を収集してレジに行き懐に手を入れると槙さんに止められた。
「支払いは私にさせてください」
「ん・・・・わかった」
自分のこづかいが減るわけでもないし食費のチェックが入るので本音は払ってもらいたくなかったのだが、槙さんにも事情があるのだろう。
帰りは槙さんが食材のことや調理のことをいろいろ訊いてきたのでそれに答えているうちに家についた。
入学して切りつけられるまでまったく話したことがなかったのに、切りつけられた後はずいぶんよくしゃべっている。ほんと、おかしな話だ。
ちゃちゃっと料理をしてみせると相変わらず大げさに感心された。どういうふうに切ればいいのかはわからなくても、切り方を教えれば実に見事な包丁さばきを披露してくれる。切る仕事は指示だけだして槙さんにやってもらった。今日の料理も二人の合作と言っていいだろう。
「ごちそうさまでした」
「ごちそうさま」
「キツネどん、初めていただきましたがとてもおいしかったです。料理というのはもっと手間をかけなければおいしいものはできないのだと思っていました」
「そりゃそういう料理のほうが多いだろうけど、簡単でそこそこおいしい料理もあるってことだよね」
夕食をすませて自分はのんきにデザートを食べようとしていたのだが、洗い物をしている槙さんの気配がだんだん変わっていくのがわかった。初めは気のせいかとも思ったが槙さんの後ろ姿を見ているとやはり何かおかしい。
でもこれは・・・・緊張感?
後片づけを終えた槙さんが自分の横に来る。
「あの、少しお時間をいただいてもよろしいですか?」
「何かわかったの?」
「この間お話した『私の上司にあたる者』がお話させていただきたいと、申しているのですが・・・・」
「うん。もちろんお話させてもらうけど・・・・えーと、どこかに出かけないといけないのかな?」
「あ、いえ、ご都合のいい方法を伺ってきなさいと言われておりますので、どのような場所でもご指定くだされば、そのようにいたします」
こっちで指定しろと言われても、そっちは組織力があるだろうが、こっちは今のところまだ普通の高校生だ。人に聞かれないような場所を設定するなど到底できない。
こっちで適当に指定すればどうにかして場所を作るってことなのかな?
なんだか無駄に壮大に手間とお金がかかりそうな感じだったので、手っとり早い場所を指定した。
「ここでもいい?」
「はい。もちろんかまいません。それでは上司を呼んでまいります」
「え?今から?」
「あ、申し訳ありません。ご都合が悪かったですか?」
「あ、いや、そんなことないよ。今からしなきゃいけないこともないから。いいよ、呼んできて」
「はい」
槙さんが出ていくと時刻を確認した。
母さんはまだ仕事だな・・・・ここのカメラは壊れたままだけど玄関のはいかんともしがたいか・・・・夜の訪問者に反応するようなことはないよな・・・・
後藤に『今ひまなら伝話くれ』と定型短文を送るとすぐに伝話がきた。
「おお悪いな」
「伝話なんてめずらしいね。どうしたの?」
「いや、うちの映像解析のアルゴリズムがどうなってるのかちょっと知りたくなってな。どうやって調べればいい?」
「それってサーバーにハッキングする方法を訊いてるの?」
「いや、そこまで大ごとじゃないとは思うんだが、その辺りのことにアクセスすると向こうにバレる可能性ってあるのか?」
「アクセス権限はなにを持ってるの?」
「一応管理者権限を持ってるはずなんだが」
「それなら最初に自分の権限がほんとに一番上かどうか確認すればいいよ」
「最上位管理者ってやつか。今確認してみる」
「サーバーのコンソールを直接操作しないとだめだよ」
「中のネットでもだめなのか?」
「その時点でどんな権限を持っていても操作を受け付けないようになってることも多いから。サーバーの置き場所自体秘密でしょ?ふつう」
「まあそうか。ちょっと移動するんで待っててくれ」
サーバーの置き場所は物置と化している父親の書斎だ。この部屋に置いてある洋服ダンスの中に隠してある。隠してあると言ってもタンスを開けるとで〜んとサーバーの入った耐火金庫が鎮座しているので隠してあるようにも見えない。
もうちょい工夫してもよさようなもんだけどなぁ
手のひらを服でゴシゴシこすってから金庫の掌紋認証キーに触れると鍵の外れる音がする。金庫を開けると今度はサーバーにログインするために指紋認証キーに触れログインにちゃんと成功した。当然のことだが久しぶりだったのでログインできたのを見て安堵した。
「後藤、サーバーに直接ログインしたけど、検索キーみたいのはある?」
「『現在の管理者権限を確認』とかで出ない?」
「現在の管理者権限を確認・・・・おお出た出た。最上位になってる」
「それなら話は簡単だよ」
そのあと後藤に教わって両親がどの程度家のことに干渉しているのか調べたのだが、せっかく調べたというのにほとんど気にしていないことがわかった。
「冷蔵庫の中だけ気にしてるなんて、理想的なんじゃないの?それとももっと気にしてほしかったの?」
「いや、気にしてほしくない。から、よかったんだが」
「信用されてるってことじゃない。でも、そんなこと気にするってことは、彼女ができたってこと?」
「いや、残念ながらそのようなものはできてない」
「ちゃんと手順を踏まないとだめだよ。お友達の段階でも押し倒せばどうにかなるだなんて、そんなこと考えちゃだめだよ」
「だれがそんなことするか。だいたいお友達の段階でどうやって家に連れ込むんだ?」
「だってほら、部活が文化系統でしょ?運動系統と違って口実を作りやすいじゃない。『今度の日曜日、うちで腕立てふせしない?』なんて言っても誰もこないよ」
どうやら後藤は今の自分の部活に不満があるらしい。後藤の愚痴につきあってあげたいところだが、槙さんがいつ戻ってくるのかもわからないので目的を果たしたところで会話を打ち切った。
「ああそうだな。いろいろ教えてくれてたすかったよ。また明日学校でな」
彼女ができたの?か・・・・
一階に降りて居間に戻ろうとすると玄関に気配があった。これが普通の来客なら、客のほうが呼び鈴を使うだろうがこの客はどうもこちらが開けるまで玄関前で立って待っていそうだ。
しかしドアの向こうには槙さん一人しかいないような気がする。その感覚に確信があったわけではないのだが、ドアを開けるとやはりそこには槙さんが一人で大きなバッグを持って立っていた。
振り返って家の中を見るとやはりバッグがある。先ほど見たものかとも思ったが違っていた。
大きなバッグを二つも持ち込んだのはどういうわけだろう?何か跡形もなく処理するための道具か?それとも・・・・
「・・・・もしかして上司の人はその中に?」
「いえ、こんなに小さくはありません。普通に普通の大きさです」
普通ではありえないない質問に普通の答えが返ってくる。
「じゃあそん中なにが入ってるの?」
「えっと・・・・あの・・・・その・・・・」
どうも言いにくいことのようだが、その様子からして始末用のバッグではなさそうだ。
「槙さん一人のようだけど」
「はい。申し訳ありません。直接来られなくなったので、声だけでお話させていただくことになりました」
「まぁ話が聞ければ直接でも間接でもかまわないよ。伝話は今すぐできるの?」
「はい」
「それじゃあ上がって。そっちで話そう」
「はい」
それで、槙さんが伝話をするんだと思っていたがする様子がない。どういうことだろうと考え始めたところで自分の端末に知らない人からの伝話がある。
そういうことか
「すみませんが私にも聞こえるようにしていただけますか」
槙さんは何らおかしなことはないような態度でいる。
とぼけるようなことはできないからこれが素だよなぁ
「槙さんて普段ほとんど端末さわらない?」
「はい。機械類は苦手なんです」
上司の人に騙されてるのかな?
着信があったあとにのんびり会話をして急いで伝話に出るようなこともしなかった。相手がこちらが出るまで待ち続けることがわかっていた。
「・・・・三人で話せるようにして」
耳元の端末がその作業をした旨を伝えてくると居間に女性の声が響きわたった。
「こんばんは。はじめまして。まず最初に直接お会いできないことをお詫び申し上げます」
てっきり中年男性だとばっかり思ってたよ・・・・
「・・・・こんばんは。そんなことは気にしないでください。こちらも自分のことを知りたいので、それがわかりさえすればどんな形でもけっこうです」
「正直に申し上げているので、私どもを信じていただきたいのですが、本当に今のところあなたの存在は我々にとっても不可解なのです」
結局まだわかってないのか
「槙さんは話せなくて、あなたには話せるようなことはないのですか?」
「槙の権限は以前より強化されています。我々からの提案なのですが、あなたのことを調べさせていただけませんか」
こんな威圧的な態度で提案もないもんだ
それこそ刀をちらつかせて訊かれている気分だった。今でも自分は槙さんのあれが見えると言う以外まだ何も必殺技を修得できていない。
「自分だけではどうしようもないので・・・・おまかせします」
「ご協力感謝いたします」
どっかの国家権力機関かよ
上司の言い方に腹が立つ。これが慇懃無礼というやつだろうか。
「それではあとのことはそこにいるものが心得ておりますので、その者をお使いください。何かわかりましたらすぐにご連絡いたします。『槙』あとは任せます。それでは失礼いたします」
向こうが一方的に話を終わらせる。どうも槙さんの上司の人は信用できないようだ。
しかし・・・・そうなると自分は槙さんのことをどう思えばいいんだろう?
槙さん個人は信用している。変な力を持っているもののその性格にはスキがある。まぁそう見えるように演技しているのかもしれないが。だとしたら完璧な演技だ。・・・・それで・・・・彼女の組織への忠誠心というのはどのくらいのものなんだろう?
「・・・・あの、それで、調査の仕方なのですが・・・・」
いつも自分に対して頭が低いのだが、それにしても今日は何か様子がおかしい。
「うん。具体的な方法がなにかあるの?」
「はい・・・・このような方法を使うようにと、言われておりまして・・・・」
そこで槙さんは一枚の紙を机の上にだした。調査方法が組織の都合でアナログな方法で書かれたものだろうと思ったのだが、見た目がおかしい。
「・・・・・・・・・・・・」
一番上に書かれた字を故意に無視して下を見ていく。
その紙の一部に槙さんの名前が書かれている。その横に自分の名前が書かれている。手書きでそんなところに名前を書いた記憶はなかったが、自分自身が見てもそれは自分の直筆に見えた。もう一度用紙の上のほうを見やるとやはり『婚』の文字が見える。
「お手数をお掛けするのは申し訳ないので、こちらでお名前を記入して参りました」
槙さん自身はまったく、悪いことをしている自覚はないようだ。しかし・・・・いっしょに暮らしての調査だったとは。
「あの、この調査方法にご協力いただけますか?」
この人はどこまで深刻に考えているんだろう?
どうもこの調査方法をただの手法の一つに考えているようだ。やはりこの名前は偽名なのだろう。
「・・・・上司の人に他の方法は指示されなかった?」
「はい」
ずいぶんおかしなことになってきたなぁ・・・・
「・・・・まぁ調査しないことにはわからないって言うのならしかたないか」
「承諾していただけますか?」
「・・・・まぁいいんだけど、これ、明日出しに行くとかじゃないよね?」
「はい。ご都合の良い時で結構です」
ご都合のいい時は永遠来ないかもしれないけど
「・・・・それで、あの、このようなことになりましたので・・・・これからはご主人様とお呼びしてもよろしいでしょうか?」
立て続けにとんでもないことを言われて、もう何かを言う気力が消失した。
「・・・・槙さんがそう呼びたいのならそう呼んでもいいよ」
「ありがとうございます!ご主人様!!」
ぐはぁっ!!!
予想を遙かに越えた、すさまじい不意打ちを喰らった。
なんでそんな満面の笑みなの槙さん?
今までにこれほどのにこにこ顔の女の子を見たことがなかった。
槙さんの所属組織は確かにいろいろと調べていたようだ。何か自分の性癖を暴露されたようではずかしさのあまりバタンとテーブルにつっぷしてしまった。
「どうされましたかご主人様?」
君の笑顔に僕のハートがねらい撃ちされたからさ・・・・というのが正直なところだが、もちろんそんなこと口に出して言えない。
なんでもいいから話をしなくちゃと考えていて気がついた。
あのでかいバッグはそういうことか
「さっそく今夜からここに寝泊まりするの?」
「はい」
「断わられたらどうするつもりだったの?」
「一人用のちいさなテントを持参いたしておりますので、お庭をお借りしてそこで生活するつもりでしたので、最低限どうにかして庭だけは借りるように言われたのですが、テントで暮らすと言えば、少なくとも家の中には入れてくれると言っておりました」
そりゃ女の子がテント生活だなんて聞けば・・・・しかも自分の家の庭でなんて言えば家に入れないわけにはいかない。
なんかやっぱりこっちのこと見透かされてるなぁ
槙さんはともかく上司の人、というか組織の人は油断ならない。上司の人一人で調べたとも思えない。
非常識な人たちに不可解だと言われても自分は特別なチカラなどないただの高校生・・・・結局向こうの手のひらの上からは出れないということなのか・・・・
で、居間にいるとご主人様を連呼されそうだったのでここで生活する上での最低限の知識とルールを教えた後は、風呂に入ってあがると直接自室に行ってこもった。
なんでも言うことを聞く女の子と一つ屋根の下いっしょか・・・・なんでドキドキしないんだろ?
そもそもの事の発端が恋愛が始まるようなものではなかった。
今でもあの最初の一撃をかわせたことが不思議だ。
あの時のことを思い出して槙さんのあの時の表情を思い出す。
あれは本当に本気で切りかかってきた・・・・
今まで平気だったのに急に怖くなってきた。
うう・・・・違う意味でドキドキしてきた・・・・
でも確かにあの最初の本気の表情・・・・かわした後の・・・・いや自分に『かわされた』あとの表情に敵意はなかった。
もしかして・・・・あれのせい・・・・なのかな
でもあれか・・・・もし本当に・・・・本気でご主人様と言っているのなら・・・・今夜彼女のほうから・・・・ そんなことはないか・・・・いやあるのか?
そうだなあるな
昨日もあそこまでしたんだしな
彼女が来たときに寝ていたんじゃ失礼だな
起きて待っていよう・・・・・・・・・・・・こない・・・・こないな・・・・きっと準備に時間をかけているんだろ・・・・お風呂で念入りに体を洗って・・・・
そのわりには物音一つしないな・・・・もう少し待ってれば・・・・もう少し・・・・ぐうぅ