槇と刃 その四
女に気をつけて
それって槙さんのことでしょ?
気をつけて
すごいことが起きた日だったから、夜寝付けないかと思ったけど、なんだか横になってすぐに寝てしまったようだ。
それでまた明け方に夢を見た。
槙さんは確かに要注意人物だろうけどそのことならもうわかっている。なんで今日も気をつけろって言われるんだろう?
今朝は目覚ましのアラーム音も気にならない。
そのままなんとなくぼけ〜っと、夢のことやら槙さんのことやら、その槙さんの刀のことやら考えていたらメールが来た。お姉さんが自分が来ないので心配してのメールだった。時計を見るともう昴の家を出ている時間だ。
アクシデントが起きて今家を出るとこだと返事して急いで昴の家に向かう。到着すると二人がすでに門扉を開けて待っていた。
「これ、帰るまでに昴に渡してくれればいいから」
そう言ってお姉さんがコーヒーの入ったボトルを渡してくれた。
「すみません。いただきます」
「まだ歩いても間に合うね。いってきます」
「いってらっしゃい」
渡されたボトルをバッグにしまってからお姉さんにあいさつして歩き出す。
「遅くなって悪かったな」
「ううん、いいよ。遅くなってもこうしてちゃんと来てくれたんだし」
先日ふともう昴の迎えにいかなくてもいいのでは?と考えたのだが本人にはその気がないらしい。
「遅くなった理由を訊かないのか?」
「いいよ別に。先生にもいろいろあるでしょ」
「なんだ。ぜひとも昴に聞いてもらいたかったのに」
「あ、またえっちな話にするつもりなんでしょ?ここでえっちな話なんてし始めたらブザー鳴らすからね」
今日は遅くなってしまったので昴に声をかけていく生徒が一人もいなかった。自分のせいで遅くなったことがしれたらかなり文句を言われるだろう。バイクの数もいつもよりだいぶ少なかったが、時間を気にせずいつもと同じように歩いていった。
「先に行っててくれるか?」
昇降口に着いてから昴に言うと、こっくりうなずいて小走りで離れていった。階段を登って姿が見えなくなると自分も歩き出す。そのまま教室には行かずに自販機の前へと行く。そこで何も買わずにお姉さんにもらったコーヒーを飲んで一息つくと改めて教室へと向かった。
ちょっとドキドキしながら教室の敷居を跨ぐと昨日までと同じように外を見てはいたものの、頬杖はついてはいなかった。
いつもと違うけどこのまま席についても大丈夫かな?
教室の入り口で思案していると鈴木が登校してきた。
「うーっス」
「おはよう」
「朝っぱらから誰に熱い視線を注いでんだ?・・・・小幡か」
スポーツ万能で気さくで人気者ではあるが、男だ。
「それなら槙さんで勘違いされたほうがよっぽどいい」
「おはよう。こんなとこで何してるの?」
五分前の後藤まで来た。
「おはよう」
「小幡より槙のほうがいいんだと」
「槙さん?あれ、今日は片ひじついてないね」
暗黙の了解事項で彼女がいつも頬杖ついているのは有名なことのようだ。
「その選択肢は槙さんに失礼だろう」
「男女は平等であるべきだ」
「そんなもんただの幻想だ。同性愛者ばっかりになったらますます労働者人口が減るだろうが」
「こんなところを通せんぼしていったい何の議論をしてるのよ?じゃまよ」
「おはよう」
そこへ今度は朝練に出ていたマウント橋桑ペアが来た。
「おはよう桑山さん。橋山さん。二人とも同性愛には賛成なんだよね」
「えっ?」
「いつ私が同性愛に賛成したのよ?」
「だって橋山さんの部屋には薔薇なマンガが、桑山さんの部屋には百合なマンガがずらっと並んでいたじゃない」
「昨日見てきたように言うな!」
「橋山さんのボーイズラブはちがうんじゃない?」
「あれだって同性愛だろう」
「どっちだっていいからその話はもうやめて!私がはずかしい!」
日常会話にはあまり登場しない単語を周りに聞こえる声で連呼していたのでずいぶん注目を集めていた。
「ふっ。わかったかね橋山君。これが真のセクハラと言うものぶげっ」
「セクハラしといて自慢げにいうな!」
「あー。昨日のスカートめくりをセクハラ呼ばわりされたんで気にしてたんだね。鉄拳にもめげずに自らの主張を押し通すなんて、漢だねぇ」
「そのオトコって、暴漢の漢でしょ」
「うう・・・・肉体的精神的暴力だ・・・・」
「正義の鉄槌だ」
なぜか朝から漫才をやってしまったが、槙さんはこちらをチラとも見ていないようだった。
昼休み。
今日もまたジャンケンをすることになった。
「ジャンケン勝負はするけど私の分はおごりだからね」
「え〜?なんで?」
「一回で済むと思ってるの?そんなに安くはないんだから」
「自分は見てないんだから、後藤に言ってよ」
「めくった人に責任があるに決まってるでしょ!」
というわけで、しばらくおごらなければいけなくなってしまった。
「よし。今日は本当に正々堂々と勝負だな」
昨日は不本意な勝負になってしまったので、鈴木が気合いを入れている。
「ねぇねぇ私たちもいれてよ」
昨日の事の顛末を見ていた三人の女子グループがおもしろがって混ざりにきた。
「人数多いほうが盛り上がるからな」
で、ジャンケン勝負した。
「うおっ!正々堂々負けたっ!」
「ちゃんと買ってくるもの書いてあげなよ。ウケねらいでぜんぶ極甘青汁にしそうだから」
「我が輩の記憶力を疑ってるな?安心しろ。極甘青汁じゃなくて全部普通の青汁にするから」
「やっぱりちゃんと書いて持たせないとだめそうよ」
槙さんは昼休みになるとすぐに教室から出ていった。本当は追いかけて行きたかったが、橋山さんに声をかけられて行けなくなった。
いつもお昼ごはんどうしてるんだろ・・・・抜いてるのかな
昨日のたべっぷりを思い返した。
今日もうちに来るのかな
そんなことを考えながら小走りに自販機コーナーへと向かった。
放課後。
昨日、明日も迎えに行くからとは言ってなかったが、彼女なら今日も教室で待っているだろうと思って二組に行った。ただ部活に行くだけでも女の子と待ち合わせというのは楽しい。これで平奈さんがいなかったらがっかりだなぁと思ったがやはり彼女は期待を裏切らない。
「平奈さん」
「あ、副部長さん」
手にしていた端末を通学バッグにしまうとトテトテ小走りでやってきた。
昨日とまったく同じ光景を見ている。
「わざわざ来ていただいてすみません」
「なんのなんの。お安いご用だ」
「でも部室に行くのに遠回りさせてしまって」
いつになったら気がつくのかな
言ってあげないでいる自分もたいがい性格が悪いなぁとまた思いつつ部室に向かって歩きだした。
「ここで平奈さんを取り逃がしたら廃部になっちゃうからね」
「それじゃあ私は責任重大ですね」
「うん。期待の星だね」
部室に入ると今日もすでに部長は来ていて端末に向かって何か作業している。
「こんちわ」
「毎日来てくれるのに悪いんだけど今日も早退しなくちゃいけなくて」
「もう帰るんですか?」
「いや、まだもう少しいるよ。それで、平奈さん。悪いけど、ちょっとここに、名前、書いてくれる?直筆の字を見たいから」
「はい。ここですか?」
自分からは見えないが平奈さんには何に名前を書いているのかわからないようにして書かせているだろう。平奈さんが書き終えたものを見てセンパイがうれしそうにしているから間違いない。
ごめん平奈さんこれも文化文明部の未来のためだから
「うんうん。平奈さんはきれいな字を書くね。この名前を見てるとうれしくなるわ」
「そう・・ですか?」
うれしくなる本当の理由を知らない平奈さんが部長の不可解な言動に首をかしげている。
「・・・・あのキリンさん取ってあったんですね。あれだけ首が長かったら処分されちゃったんだろうなぁって思ってました」
「最初からあの長さで作ったらいろいろ大変だろうからね。二つに分けてもこの長さだけど」
家に帰ってから見たのか授業中に見たのかわからないけど昨日やったビデオの中に今部室の端で首だけで横たわっているキリンが出ていたようだ。
部長は昼休みここにいるのかな?
表面には見えていない所から引っ張り出してきたんだろうから放課後にここに来てからやったとも思えない。
もしくは授業をサボってるのか
「まだ見てないんでコイツが活躍してるとこ見せてくださいよ」
「いいよ。今だすから。傑作よ」
「傑作?」
それでビデオを見たのだが、大笑いしてしまった。そのキリンは大作ではあってもただ大きいだけの物だったが、思わぬハプニングが起きてしかもそれが事前にわかっていたかのように見事にビデオに収まっている。
「このビデオいいですねぇ〜確実に伝説になってますよ。でもこれはただの偶然だから、これ以上のものを求められても実現不可能ですよ」
「私だってそんなことくらいわかっているわよ。ただこれだけの幸運を招き寄せたんだから、出しておけば御利益が出てなんかこうすばらしいアイデアがでるかと思って」
しかし御利益を期待するとなるとちゃんと組み立てておいておかないといけなさそうだが、そんなことを言うとたいへんな作業が発生しそうなので話がそっちにいかないように注意した。
「平奈さんは昨日持ってった分は全部見たの?」
「全部は見れてないです」
「見た分で他におもしろいのはあった?」
「はい。ありました。ちょっと待っててください」
そう言って端末を取り出すと平奈静かおすすめおもしろ映像集を映してくれたのでそれを三人で鑑賞した。
「おっと、私はそろそろ行かないとだ」
「今日はこれで終わりにしますか。自分もちょっと用事があるんで。平奈さんもいい?」
「はい」
二人と別れると教室に向かった。槙さんがいることを信じて疑わなかったが、教室には誰もいなかった。それから教室で三十分ほど待っていたが、槙さんはあらわれなかった。
放課後は何かわけがあって会えなかったのかもしれない。
昨日のことを何か聞けると思ったんだけどなぁ
教室を出るときに振り返って、改めて一人で昨日の『現場』を見た。
今思うとなんだか現実味がなくなっている。
床か壁に槙さんがつけた刀傷でも残っていれば実感できただろうが、そのようなものは何もない。
確かに昨日のあれは本当に起きたことなんだと自分に言い聞かせながら家路を歩いているといつも利用している食料品店の前に来た。
槙さんのたべっぷりよかったなぁ・・・・今から来るかもしれないし食料を補給しておくか・・・・
今日も来たとして、昨日のような食べ方をするとなるとまたカレー路線のものを作ったほうがいいだろう。でもカレー以外となるとなにを作ろうか。
ん?ちょっと待てよ
手持ちのお金を確認すると二人分の豪華な食材を買えるほどの残金がない。ここで振り替えもできるがどうも家の外でそれをやるのが苦手というか嫌いだったので手持ちの分だけでどうにかした。
それで、今日もまた具材がジャガイモニンジンタマネギになってしまったのだがまぁいいだろう。
夕ご飯のしたくはできたものの、槙さんはあらわれない。遅いなぁと思ってふと、約束したわけでもないのに槙さんが来ることに確信を持っている自分に気づいて笑ってしまった。
いつもは一人でいることを意識したりしないが、昨日ほんの少しの間他人がいただけで今日は一人でいることを強く意識してしまう。
一人、じっとしていると意識が鋭敏になっていくのがわかった。なんでそんなことができるのかわからなかったがそのままさらに意識を集中させていくと何か違和感を感じる。その違和感を探っているとそれが玄関先にあるのがわかった。
そこで玄関へ行って戸を開けると誰もいない道路へ向かって声をかけた。
「自分に用があって来たんでしょう?そんな所に立ってないでうちに入ってくれていいよ」
塀の向こうに身を潜めていた槙さんがおずおずと現れる。
「こんばんは」
「・・・・こんばんわ」
「ほら、早く中に入って」
槙さんはコックリうなずくと素直に家に入った。
「そこ座って。今日はもうできてるから」
「あの、今日伺ったのは昨日のことでお話を・・・・」
「難しい話はごはんを食べてからでいいよ。あとでゆっくり聞くから」
「・・・・はい。わかりました。あの、それですみませんが手を洗わせていただいてかまいませんか」
「もちろんかまいませんよ」
食事の前には必ず手を洗うだなんて育ちがいいんだなぁ
母親が聞いたらそんなの当たり前だと言うだろうが。
「昨日と似たようなもんで悪いけど。はいどうぞ」
器も同じものを使っているのでパッと見た目には同じに見える。
「?・・・・カレー、ではないですね。ハヤシライスですか?」
「似たようなもんだけど違うよ。これは、ビーフシチュービーフ抜き」
「・・・・え?それって・・・・シチュー?」
「シチューって言うとなんか白いののほうを連想するからそれと区別するために言ってる。我が家ではこれを黒シチューと呼んでるけど。正確には茶シチューなんだろうけど」
「はぁ」
「その黒シチューをカレーと同じように一つの器にごはんと半分ずつ盛って食べるのがこの家のしきたり」
「家に入ったらその家に従え、ですか?」
槙さんが笑いながら言った。
普通に笑ってるとこ初めて見たなぁ
「そういうこと。では、いただきます」
「いただきます」
相変わらずピシッとした姿勢のままの早食いに感心しながらの夕食となった。
そして食事をすませたあと本題になったわけだが、どうも彼女は見た感じ人に話をするのがうまくなさそうだなと思ったが、実際うまくない。と言うより下手だ。話の内容が前後左右自由自在に飛び回ってその上時間軸がかなり新旧するものだから頭の中で話を整理するのにかなり手間取った。
「つまり・・・・一番重要なのはその『要石』ってことだよね?」
「はい。そうだと思います」
槙さんの一族にとって、いや族だと聞いたわけではないか。槙さんが所属している集団にとっては、その要石の存在は空気のようなものらしい。今聞いた話ではなんじゃそりゃな存在だが、槙さんたちにとっては疑問を抱く存在にはならないようだ。なので何を質問しても『要石によるものです』という答えばかりなのだが、そこに何の問題も感じていないようだ。
自分には非常識でも槙さんにとっては常識なんでこっちの疑問点がわからないんだよな・・・・
槙さんの話す『要石』は、自分の常識では神様と呼称するようなものだが、神様といえば特別信心深くなくても畏怖の対象であると同時に哲学的に『神とはなにか』と言った疑問を抱くこともある。
しかし槙さんの神様は実在して実際になんらかの物理現象を起こしている。
つまり今の自分には理解できない存在だと言うことだろう。
なので要石の追求はあきらめてひとまず置いておく。
「それで、自分ではわからない自分のことで何か知ってること、ある?」
自分のことを他人に訊くのもおかしな話だが、要石というおかしな存在のために起きていることなので、おかしなことが起きるのはしょうがないだろう。
「まだわかりかせん。今までで一番不可解な存在です」
あの日本刀が見えたのは事実だが、何もない所からパッと刀を出したのに比べればちょっと変わってる程度のことのように思える。
面と向かって『あなたは不可解な存在です』と言われるのも希有な体験だなぁ
槙さんの率直な感想だろうが、まぁ率直すぎる。ただ状況が状況だけにそれも素直に受け入れられる。これが日常会話なら正直の上にバカがついただろう。
「お話できることがなくて申し訳ありません」
「あやまらなくていいよ。槙さん個人の責任でもないだろうし・・・・」
なんでも落ち着いて受け入れられるのもあの日本刀が見える能力となにか関連があるんだろうか?
「そうは言ってもまったく何もわからないと言うのも・・・・上司みたいな人っているの?」
「はい。上司とは言ってはいませんが、います」
「その人とはもちろん話しているんだよね?」
「はい。でも、さらにその上の上司と話さないといけないということで、戻ってくるのを待っているところです。それで今日はまだ何も話せないのです」
物理的に遠い所にいるということか・・・・
今まで守秘義務の壁に阻まれていたが、うっかりしゃべったのかしゃべってもいいことなのかわからないが上司の上司はこの近所にはいないということがわかった。まぁ役立ちそうにない情報だが。
しっかしこの人は姿勢をぜんぜん崩さない人だなぁ
食事をする姿すらきれいなくらいなので、ただ座っている姿などはさらにきれいなものだった。
逆にスキがないともいえるか・・・・
きっちりした姿勢で真正面に座っている女の子を見ていてふと気づいて思わず笑ってしまった。
「?・・・・どうされました?」
「いや、女の子と一つ屋根の下二人きりなんだよなぁって思ってね」
「あ・・・・そうですね・・・・」
あれ?
これまでの反応と違い、顔を下に背けてしまった。
てれてるのかな?
てっきり真顔で『はい。そうですね』としか言わないような人だと思っていたが、そうでもないようだ。
「そういえば槙さん自身はどうだったの?自分を切りつけたのって重大な違反みたいなふうに言ってなかったっけ?」
「はい。それも上司の上司の判断を待っているところです。何分不可解な事案なので、上司も理解を示しては下さいましたが、どうなるかわかりません・・・・」
「それってこっちの意見も聞いてくれるの?自分が気にしてないっていえば、大目に見てくれるとか」
「それもわかりませんが・・・・もしそういっていただけるのなら大変ありがたく思います」
「自分自身なんだかわからないからお互い様だよ。まぁそれでも槙さん個人に償ってもらってもいいのかな?」
「はい。私にできることならなんでもいたします」
「そう。それじゃあぱんつ脱いでスカートたくしあげて」
「はい。わかりま・・・・はい?あの・・・・下着のパンツ・・・・ですか?」
「うん」
「・・・・はい。わかりました」
そう言うと槙さんは立ち上がってスカートに両手を差し入れて腰の位置にまで手を持ち上げた。かなりはずかしそうに。
「・・・・槙さん」
「はい」
「・・・・冗談だったんだけど」
「・・・・じょうだん、ですか」
「うん。ジョーダン」
「・・・・」
「・・・・」
「・・・・あの」
「・・・・なに?」
「私はこのあとどうすればいいのでしょう?」
「・・・・どうすればいいんでしょうねぇ」
槙さんはスカートの中に手をいれた姿勢でこちらを見たまま固まっている。
きまずい。
非常にきまずい。
これがいわゆるパワーハラスメントってやつだな。まさか自分が行うことになるとは思わなかったが。
「・・・・・・・・」
「・・・・・・・・」
女の子がスカートに手を差し入れたまま固まっているのを黙って見ている自分がここにいる。
「とりあえず・・・・スカートから手を出して・・・・すわったら?」
「はい」
槙さんが言われた通りにイスに座りなおした。だが、普通に座りなおしたところでこの場の気まずい雰囲気は解消されない。
「・・・・・・・・ごめんなさい!」
ガンッ!
「いたたたたた・・・・」
槙さんが昨日やったことを自分もやってしまった。
「だ、だいじょうぶですか?」
「ああ、うん。だいじょうぶ・・・・」
「・・・・あ、あの、私のほうこそ、ご要望にお応えできずに申し訳ありません・・・・」
こりゃほんとに正直の上にバカがつくな・・・・まだ押し倒そうとして『なにすんのよ!』ってバチーンてはたかれたほうがましだなぁ
返答に困っていると槙さんがやおら立ち上がった。
「あ・・・・洗い物をかたづけちゃいますね。せめてこれくらいさせてください」
せめてがどこまで含まれているのかわからなかったが、夕飯のことだけを言っていると思っておこう。
「たいしたものじゃないのに悪いね」
「そんなことありません。今日のビーフシチュービーフ抜きもとてもおいしかったですよ」
まぁそれはビーフシチューの素を作ったメーカーのおかげだろう。
「黒シチューのほうには決まりはないんですか?」
「決まり?」
「はい。カレーのあとはアイスと決まっていると昨日伺いました」
「ああ。そのきまりか。それは特にないなぁ。なんかおやつの買い置きがあったかな?」
いつもおかしをいれてある戸棚を開いて中を見る。
「えーと・・・・最近補給してないからなぁ・・・・なにかあったかな・・・・ああ、これがあった。これなら紅茶かな?」
「私が用意いたします」
「うん。紅茶はそこにはいってるから」
料理はできないと言っていたが、食事の後かたづけもお茶のしたくもやりなれている感じだ。
紅茶をいれている姿などなかなか様になっている。
・・・・メイド服姿が似合いそうだな
今日も私服ではなく制服のセーラーだったが、脳内で勝手にメイド服に着替えたところを想像してみた。
あの髪の長さだとツインテールにはならないかな?
髪型も勝手に変える。だが、その想像の髪型だとどうも長さが足りそうにない。
その長さになるのにどのくらいかかるんだろう、などと考えているうちに紅茶がでてくる。おかしもちゃんと器にもられていた。
やっぱり品があるというか育ちがいいというか・・・・ 教室で切りつけてきた時の感じとの差が大きすぎる。
「どうぞ」
「ありがと」
紅茶を一口飲んでから、槙さんと世間話をしたことがないことに気がついた。話といえば不可解な現象のことについてでクラスメイト同士でする会話は今までしていない。
「・・・・・・・・」
いったい何を話せばいいんだろ・・・・
これが同性ならまだよかったかもしれないが、異性で、同じクラスなのに話したことがなくて、何もないところから刀を出す人で、自分を切りつけた相手・・・・などとなるともう会話の糸口がさっぱりわからない。
こちらが困っていると意外にも槙さんのほうから話しかけてきた。
「あの・・・・」
「な・なに?」
「あの、今朝の私、どうでしたか?」
「今朝の私?ああ、いつもどうりでいてくれって言ったあれか・・・・あれでいつもどおりだったの?」
「いえ、それが・・・・そう言われていつもどうしていたのかわからなくなってしまって・・・・おかしかったですか?」
「いつも頬杖ついて外眺めてたけど、それって自分で気づいてなかったの?」
「私いつもそんな格好をしていたんですか?」
「うん。わりと有名だったよ。今朝はめずらしく頬杖ついてないって話になってたくらいだから」
「今朝ご友人とそのような話をされていたんですか・・・・しかも、有名だったとは・・・・知りませんでした」
自分の格好に長らく気づいてなかったというのもすごいな
「・・・・なんかいつもつまらなさそうな顔をしてるけどそうでもないの?」
「つまらないかどうか、わからないのですが、自分がここ・・・・あの学校で何をすればいいのかわからなかったので、悩んでいました。なにかが起こるんだろうとは思っていましたが、それがなにか、いつ起こるのか、まったくわからなかったものですから・・・・」
「はぁ。そんな時に自分が槙さんを気をつけなきゃいけない相手だって言ったもんだから、てっきりその何かが自分だと、思ったわけだ」
「そうなんです。申し訳ございません」
「いや、もうあやまらなくていいから。それにあの日本刀が見えるのはおかしなことだと・・・・・・・・」
「?・・・・どうされました?」
急に言葉を切って黙り込んだので槙さんが訊いてくる。
「ん・・・・いや、なんでもない・・・・まぁとにかく上司の上司の人の話が聞けないことにはどうにもならないってことだよね。それまで気長に待つよ」
紅茶を飲み終わると槙さんが帰ると言うのでまた玄関先まで見送った。
「ああそうそう。明日は何がいい?」
「え?明日?どういうことですか?」
「だから、明日の夕飯。来るでしょ、明日も」
「え、あの、その、来ますが・・・・」
「明日は今日より早く来てね。それまでに食べたい物を考えておいて。あまり凝った物を注文されても困るけど」
「・・・・はい。わかりました」
槙さんは少し柔和な顔をして返事してくれた。