(4)
最初の何日か、伊吹は森の外へと行こうとした。狂ったように、森の中を駆け巡った。ここへやってきた道をたどり、森の外へ出ようとした。
これ以上一人でいることに堪えられなかったから。誰でもいい。人と一緒にいたい。人のぬくもりが欲しい――。少年が思うにはあまりにも当たり前すぎることで、それはとても悲しいものだった。
だが、伊吹がどんなに森の外へ行こうとしても、それは叶わなかった。見えない壁が伊吹を外界から隔絶させた。森を歩いているうちに、もとの場所へと戻ってしまうのだ。どんなに歩いても。どんなに走っても。それは変わらなかった。
それでも諦めずに、伊吹は森の外を目指した。
――だが、それも十日を過ぎたところで伊吹はついに諦めた。
体力だけが消耗するだけだ。どんなに努力したところで無理なものは無理なのだ。
(ぼくはもう帰れないのかもしれない……)
そう現状を受け入れることができるまでにはさらに十日を要した。そうして、ついにもう戻ることができぬとはっきりしたとき、伊吹は泣いた。大声で泣き喚いた。
帰りたいと。こんな誰もいないところにはいたくないと。自分が望んだことはこんなことじゃなかったんだと――。
――オイデ――
そのとき、伊吹の頭に声が響いた。
太くずっしとした力のある声。だけど、心にしずくが落ちたような繊細な響き。
伊吹は泣き止み顔を挙げる。ぐいと涙を袖でぬぐうと、ゆっくりと立ち上がり、戸口に向かって歩みだした。その声に誘われるかのように。
すべての悲しみも苦しみも優しく包み込んでくれるかのような懐かしささえ感じる声に、一歩一歩近づこうとして。
「どこ――?」
戸をゆっくりと開く。
途端に、あたりに真っ白な光があふれた。まぶしさのあまり、目を細め、それでもゆっくりと戸の外へと歩み出た。
すーっと光がひく。はっきりとあたりの光景を認識できる状態になって、驚愕のあまり伊吹は息を呑んだ。
そこには、不思議な光景が広がっていた。今まで戸を開ければ、そこには森が広がっていた。なのに、今伊吹の目の前にあるのはそれとはあまりにもかけ離れたものだった。
中央に大きな樹が根を下ろしていた。大きく太い枝を天に向かって伸ばし、天をつかもうと、いや天を支えているようにさえ見えた。大きな大きな樹だった。見上げても、そのてっぺんは伊吹の目には見えないほどの。
だが何よりも伊吹の目を奪ったのは、大樹の周りに浮いている球体だった。無数の球体がふよふよと浮いている。何百、何千という数が。どれも美しい光を放っていた。あるものは赤い光を、あるものは山吹色の光を。決してまぶしいというほどの強い光ではなく、柔らかく、見ているだけで心が温まるような光だった。
――オイデ――
あの声が響いた。
伊吹はそこではっきりと悟った。
自分をここに呼んだものが何なのか。
伊吹は大樹の下に行くと、恐る恐る問いかけた。
「あなたなの? ぼくをここに呼んだのは」
大樹は伊吹の問に答えるかのように、枝をさわさわと揺らした。
「どうして、ぼくをここに?」
――オ前ノ中ニ眠ル森人ノ力ガ、ソウサセタノダ――
「もりと?」
伊吹には初めて耳にする言葉だったが、口にした瞬間、全身の血が沸き立つような感覚に襲われた。
――オ前ハ知ラズトモ、オ前ノ血ガソレヲ知ッテイルハズダ――
「ぼくの血が?」
そうだ、と大樹は答える。
大樹は語った。森人の意味。森人が必要な理由。
伊吹はそうして知ったのだ。
――この世界に「ひと」は自分ひとりしかいない――
多くの迷い人を元の世界へと戻す森人の役目をこなすだけの日々。
長い長い年月を、伊吹は一人で過ごしてきた。
永遠に終わりのないこの「とき」を生きていくことは、己に課せられた罰なのだとそう言い聞かせて。
彼女が現れなければ、きっと自分は何も変わらないままずっとずっとこの世界に一人でいたはずだ。
なのに――。
(どうして……)
なぜ小夜はやってきたのだろう――。いや、やってきてしまったのだろう。
彼女の笑顔を見るたびに、心が乱される。
元の世界のことを――一瞬とはいえ思ってしまう。
彼女とともに、外の世界へ行きたいと――。
決して許されぬことなのに……。