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森人の詩  作者: すばる
第六章 導く声
36/49

(1)

――悔イテ……イルノカ……?――

 

 小夜(さよ)をいつものように送り届け、再びやってきた伊吹に、大樹は声をかけた。

 ハッとなって顔を上げた伊吹の顔は、今にも泣き出しそうであった。

 大樹の言葉に少し間を置いてから、伊吹はおもむろに口を開いた。

「あのとき、ぼくはあちらに残っていることはできなかった。だから、後悔はしていないよ……」

――ソウカ…。デハ、戻リタイカ? アチラニ――

「――思わないよ」

――ソレハ……ウソ――

 伊吹は瞳を閉じると、ただ静かに首を横に振った。

「いや、本当だよ。ぼくはもう、あちらに戻りたいとは思わない」

――アノ少女ト出会ウ前ノ言葉……ナラ、ソウ……カモシレナイ――

 伊吹は目を細める。

 大樹は、伊吹が己の次の言葉を待っているように感じ取れたが、あえてそれ以上何も言わなかった。

 伊吹が幹に両手でそっと触れる。昔のように伊吹と大樹が思うように会話をすることができなくなって以来、伊吹はこうして大樹に触れることで大樹の心を直接感じ取る。

 大樹は己の心を伊吹の心に流れ込ませる。

 深い愁い、そして激しい後悔の念。そして、己の中でいつも泣いている伊吹の――姿。

 悲しみに歪む伊吹の顔。

 外の世界との境界でじっと佇んでいる。その視線の先にあるのは、村へと帰って行く小夜の姿。今にも泣きそうな彼の顔――。


 辛イ……


 伊吹がはっとなって幹から手を離した。そうして、右手首をもう片方の手でぎゅっと握り締めると、大樹を仰いだ。

「あなたは……」

――オ前ヲ……ココニ呼ンダコト……後悔シテイル……――

 お前にとって、果たしてこうすることがよかったのか。

「そんなことっ!」

 言わないで……伊吹は大樹に抱きついた。腕を伸ばし、その大きな幹にしがみついた。頬を涙が伝う。

「ぼくはあなたに呼ばれなかったら、きっと自ら命を絶っていた。天から授かったこの命を自分から捨ててしまうところだった。それを救ってくれたのは他でもないあなただ……」

――引キ換エニ……私ハ…オ前ノ自由ヲ奪ッタ……――

 そう、奪ってしまった。お前の全てを。

 お前は確かにあのまま外の世界へいたら、自ら死を選んでいたかもしれない。だが、お前をここに呼び寄せることで、私はお前から「死ぬ」自由を奪ってしまった。お前はここにいる限り自ら死ぬことはできないばかりではなく、老いることすらできない。「次なる者」が来るまで、ただただ長い果てしない時をここで過ごさなくてはならないと固く信じてしまっている……。

――望ムナラ……ココカラ出テ……――

「イヤだっ」

 まるで幼子のように伊吹は首を激しく振った。

「ぼくはここから出ていきたくはない!」

 なぜ、と大樹は訊けなかった。いや、訊かずともわかっていたのだ。大樹には。

 伊吹は外の世界で傷つきこの世界へとやってきた。

 身体も心も傷ついて。身体の傷は時が経つうちに癒えた。だが、心の傷はどんなに長いときをかけても決して癒えることはなかった。

 どんな優しい言葉も、どんな温かいぬくもりも、伊吹の心の傷を癒すことなどできない。

 それは、伊吹自身が心の傷が癒えることを拒んでいるからだ。決して忘れまいと、心に誓ったからだ。

(――お前と共にあろう。おまえが望む限り、私はお前の傍らで共に時を刻もう……。だが、お前がここから出て行きたいと…そう望むのなら、私はその願いを叶えてやりたいと思っているのだよ…。だから…私は――)

 大きな慈愛に満ちた大樹のこの言葉は、伊吹の耳にはきっと届かない。


 カシャン……


 また一つ人の命が消える……。

 はかなく、悲しい。だが、同時にそれは美しいものだった……。

 身と心が最後まで共にありつづけた人の最期だから――。大樹は弔いの音を奏でた。

 優しく、慈しみをこめて――。


 シャラン、シャラン…… 



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