(7)
どこからともなく投げつけられる石。
だが、瑠璃は唇を強くかみ締め、何も言わなかった。抵抗することもなく、なされるがままにされている。
顔ははれあがり、生々しい傷跡がここかしこにできていた。
伊吹はもうそれ以上その場にいることには堪えられなかった。ぱっと身を翻すと、その場を逃げ出した。
(ぼくのせいじゃない。ぼくのせいじゃ…)
帰ってからは部屋に閉じこもり、戸を閉ざした。
それでも、隙間風が入りこむ部屋の中には、風に乗って、村人たちの声が聞こえてくるようだった。
村人たちの罵倒する声。
それがひときわ高い喚声へと変わる瞬間。
伊吹は聞こえもしない声に怯え、耳を強く押さえ、部屋の隅に縮こまった。
(ぼくのせいじゃ…ないっ)
あのとき、あそこに来た瑠璃が悪いのだ。
瑠璃があの場所に来さえしなければ、こんなことは起こらなかったはずだ。
ひょっとしたら、もともと瑠璃には村人たちが言っているような、恐ろしい力があったのかもしれない。そうして、伊吹に人懐こい顔をして近づき、村の情報を引き出していたのだ。そうして、機会がくるのを待っていた。そうだ、そうに違いない。
自分が考えていることが、ひどく非論理的なことだとは分かっているものの、伊吹はそれを無理やり肯定しようとしていた。
自分はだまされたのだ。あの少女に。
だから、自分は悪くないのだ。すると、もう一人の自分が囁いた。
(瑠璃はおまえが置いてきた茸を見て、きっと来たんだ。おまえが来てくれたって知って。あの場所に)
その言葉は伊吹の胸を鋭く突く。伊吹はもう一人の自分の言葉を強く否定した。
(違う、瑠璃が勝手にあそこに来ただけだ。ぼくは何も言っていないっ。来てほしいなんてひとことも言ってない!)
(あんなふうにされても、瑠璃はひとこともおまえの名を呼ばなかった。それがどうしてか、おまえはわかっているんじゃないのか?)
(違う、瑠璃はぼくを貶めたんだっ)
(――おまえの名を呼べば、おまえにも疑いがかかる。だから、瑠璃はおまえの名を呼ばなかった。おまえに助けを求めなかった。そんな瑠璃の気持ちをおまえは踏みにじるんだね)
「違う、違う、違うっ」
耳を覆って激しく己の考えを否定した。
「――ぼくは……ぼくはっ」
悪く……ない?
苦しい。
胸が。
心が――イタイ……。
「よかったよ、まったく。お前が捕らえてくれなかったら、どうなったことか」
その晩、村長に奥の座敷へと呼ばれ、その大きな手で頭をなでられた。
そのとき初めて、伊吹は自分が村を救った者として、評判になっていることを知った。
見れば、座敷の奥には一人の老女が座っている。一目見て、その女が巫女であること伊吹は気づいた。
老婆はしわくちゃの顔をさらにしわだらけにし、にこやかに笑うと、伊吹に小さな玉の首飾りを手渡した。
「これは、礼だよ。お主のおかげで、村は救われた。これ以上凶事がこの村を襲うこともあるまい」
巫女は伊吹の手にそっとそれを握らせた。
美しい玉だった。濃い緑色をした玉は、とても高価なものであろう。普通に生きていたならば、きっと、一生手にすることなどできぬ代物。
手が震えた。
それは素晴らしいものを手にしたがための歓喜の震えではない。己のしたことへの恐怖による震えだった。
ずっしりと、玉の重さが心にのしかかる。
(これは、瑠璃の命の重さなんだ……)
瑠璃の命と引き換えに伊吹の手元にやってきた一粒の玉。
涙が出てきた。
自分がしてしまったことの愚かさを実感しながら、伊吹は泣いた。
どうしようもなく己が憎かった。
自分の弱さが一人の少女の命を奪ってしまった。
どうして自分はあの場に飛び出すことができなかったのだろう。
瑠璃は何もしていない、とどうして叫ぶことができなかったのだろう。
村人に生きる場所を奪われ、山の中で一人ひっそりと生きていた瑠璃。何も悪くないのに。瑠璃は何ひとつ村の害になるようなことなぞしてはいないのに。
伊吹のひとことがあれば、ひょっとしたら瑠璃は命を奪われなかったかもしれない。
たった一人の友人を、自分のせいで失ってしまった。永遠に。
謝りたくとも、もはや謝ることすらできないのだ。
もう彼女が微笑んでくれることはない。
長い間忘れていた人間らしい「笑い」を呼び覚ましてくれた恩人はもう――いない。