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森人の詩  作者: すばる
第五章 失った過去
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(7)

 どこからともなく投げつけられる石。

 だが、瑠璃(るり)は唇を強くかみ締め、何も言わなかった。抵抗することもなく、なされるがままにされている。

 顔ははれあがり、生々しい傷跡がここかしこにできていた。

 伊吹はもうそれ以上その場にいることには堪えられなかった。ぱっと身を翻すと、その場を逃げ出した。

(ぼくのせいじゃない。ぼくのせいじゃ…)

 帰ってからは部屋に閉じこもり、戸を閉ざした。

 それでも、隙間風が入りこむ部屋の中には、風に乗って、村人たちの声が聞こえてくるようだった。

 村人たちの罵倒する声。

 それがひときわ高い喚声へと変わる瞬間。

 伊吹は聞こえもしない声に怯え、耳を強く押さえ、部屋の隅に縮こまった。

(ぼくのせいじゃ…ないっ)

 あのとき、あそこに来た瑠璃が悪いのだ。

 瑠璃があの場所に来さえしなければ、こんなことは起こらなかったはずだ。

 ひょっとしたら、もともと瑠璃には村人たちが言っているような、恐ろしい力があったのかもしれない。そうして、伊吹に人懐こい顔をして近づき、村の情報を引き出していたのだ。そうして、機会がくるのを待っていた。そうだ、そうに違いない。

 自分が考えていることが、ひどく非論理的なことだとは分かっているものの、伊吹はそれを無理やり肯定しようとしていた。

 自分はだまされたのだ。あの少女に。

 だから、自分は悪くないのだ。すると、もう一人の自分が囁いた。

(瑠璃はおまえが置いてきた茸を見て、きっと来たんだ。おまえが来てくれたって知って。あの場所に)

 その言葉は伊吹の胸を鋭く突く。伊吹はもう一人の自分の言葉を強く否定した。

(違う、瑠璃が勝手にあそこに来ただけだ。ぼくは何も言っていないっ。来てほしいなんてひとことも言ってない!)

(あんなふうにされても、瑠璃はひとこともおまえの名を呼ばなかった。それがどうしてか、おまえはわかっているんじゃないのか?)

(違う、瑠璃はぼくを貶めたんだっ)

(――おまえの名を呼べば、おまえにも疑いがかかる。だから、瑠璃はおまえの名を呼ばなかった。おまえに助けを求めなかった。そんな瑠璃の気持ちをおまえは踏みにじるんだね)

「違う、違う、違うっ」

 耳を覆って激しく己の考えを否定した。

「――ぼくは……ぼくはっ」

 悪く……ない?

 苦しい。

胸が。

 心が――イタイ……。 




「よかったよ、まったく。お前が捕らえてくれなかったら、どうなったことか」

 その晩、村長に奥の座敷へと呼ばれ、その大きな手で頭をなでられた。

 そのとき初めて、伊吹は自分が村を救った者として、評判になっていることを知った。

 見れば、座敷の奥には一人の老女が座っている。一目見て、その女が巫女であること伊吹は気づいた。

 老婆はしわくちゃの顔をさらにしわだらけにし、にこやかに笑うと、伊吹に小さな玉の首飾りを手渡した。

「これは、礼だよ。お主のおかげで、村は救われた。これ以上凶事がこの村を襲うこともあるまい」

 巫女は伊吹の手にそっとそれを握らせた。

 美しい玉だった。濃い緑色をした玉は、とても高価なものであろう。普通に生きていたならば、きっと、一生手にすることなどできぬ代物。

 手が震えた。

 それは素晴らしいものを手にしたがための歓喜の震えではない。己のしたことへの恐怖による震えだった。

 ずっしりと、玉の重さが心にのしかかる。

(これは、瑠璃の命の重さなんだ……)

 瑠璃の命と引き換えに伊吹の手元にやってきた一粒の玉。

 涙が出てきた。

 自分がしてしまったことの愚かさを実感しながら、伊吹は泣いた。

 どうしようもなく己が憎かった。

 自分の弱さが一人の少女の命を奪ってしまった。

 どうして自分はあの場に飛び出すことができなかったのだろう。

 瑠璃は何もしていない、とどうして叫ぶことができなかったのだろう。

 村人に生きる場所を奪われ、山の中で一人ひっそりと生きていた瑠璃。何も悪くないのに。瑠璃は何ひとつ村の害になるようなことなぞしてはいないのに。

 伊吹のひとことがあれば、ひょっとしたら瑠璃は命を奪われなかったかもしれない。

 たった一人の友人を、自分のせいで失ってしまった。永遠に。

 謝りたくとも、もはや謝ることすらできないのだ。

 もう彼女が微笑んでくれることはない。

 長い間忘れていた人間らしい「笑い」を呼び覚ましてくれた恩人はもう――いない。

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