(5)
本格的な秋がやってこようという頃のこと。
伊吹の村一帯を、大きな嵐が襲った。
秋に向けて、実を膨らませていた稲穂は無残なまでになぎ倒され、かろうじて残ったものも、とてもではないが豊かな実りなど期待できようもなかった。
ここ近年続いた凶作に、今年こそはと願いをかけていた村人たちは一様に肩を落とし、突如襲った不運を嘆いた。
それに追い討ちをかけるように、数年ぶりに病が流行り出した。
伊吹の両親を奪った病と同じだった。
相変わらず、村には薬師はいなかった。かろうじて巫女がその真似事をしていたが、それでも切り傷に効く薬、捻挫に効く湿布薬といったような、ささいな怪我にしか対応したことがなかった。
大きな病を患った場合は、一日以上かけて一番近い町まで出る必要があった。さもなければ、そのままおとなしく臥せっているほかなかった。
町から医師や薬師を呼んできたとしても、莫大な金がかかる。そのような金を村人たちが持っていようはずがなく、たいていの場合は泣く泣く諦めるしかなかった。いや、たとえ医師を呼んできたとしても、今回の病に効く薬などなかった。
時を同じくして、病は近隣の村にも広がり始めた。そうして、一度広がり始めた病をとめる術を人々は持っていなかった。
体の弱い子どもや年寄りから倒れていく。
連日屍を焼く火が絶えることはなく、空を黒い煙が覆った。
「呪われておる、この村は」
村の寄り合いの席で巫女がそう呟いたという噂が流れた。
神に願いを捧げ祈る巫女は、村では重要な地位にある。どんな些細なことであっても、その口からでる言葉は、村人たちからしてみれば、天の言葉にも匹敵する。
「天が怒っていらっしゃる」
村人たちの間には不安が広がり、その原因を探して回った。
何が原因なのか?
何が天の怒りを買ったのか?
互いが罪を擦り付け合い、つまらない喧嘩が頻発した。
だが、決定的な原因なぞ見つかりはしなかった。そんなもの最初からありはしなかったのだから、当たり前である。
あれこれと理由をつけたところで、病が広がるのを誰も止めることはできなかったし、駄目になってしまった稲穂をよみがえらせることもできなかった。
伊吹も不安に思いながら、瑠璃が住む山の方を見やった。
瑠璃は無事だろうか。
病に倒れてはおるまいか。
そう思っても、あいかわらず伊吹は村長のもとで厳しい仕事の追われる日々。とくに病が広がり始めてからは、奉公人がばたばたと倒れ、気づけば二十数人いた奉公人もいまや伊吹を入れてわずか七人にまで減っていた。
人数が減っても仕事が減るわけではなく、それでまで二十数人でしていた仕事をたった七人で行わなくてはならなくなっていた。伊吹には今まで以上に自由になる時間は少なくなり、そうである以上、瑠璃の無事を確かめたくともそれは不可能だった。
だが、絶好の機会が突然やってきた。
「山に行って採ってこい」
伊吹に言い渡されたのは、山に入って茸を採ってくること。
嵐の影響で満足な食糧が確保できていなかった。ただでさえそれほど裕福ではない村だ。せめて主人たちの日々の糧だけは得なければならない。
それが、伊吹たちの仕事なのだから――。
大きな竹で編んだ籠を背負う。背後から見たら、どちらが背負われているのか分からぬような格好で、伊吹は山に入った。
籠がいっぱいにならなければ、帰ることは許されない。そして、それは日が沈むまでに行われなければならない。それが常の決まりだった。
村の作物と異なり、嵐は山の実りにまでさほど被害を与えてはいなかった。
例年よりは少しばかり数は少なかったが、それでも日が西に傾き始めたというころまでには、籠は茸でいっぱいになっていた。
これなら瑠璃のところへ会いに行く時間もある――。
それが何より嬉しかった。
瑠璃ならば、きっと笑って茸採りも手伝ってくれただろう。だが、伊吹はあえてそれをしなかった。
どんなに辛いことでも己に課せられたものは自分で片付けなければならない――。中途半端に瑠璃に手助けを乞うことを、伊吹の心は許さなかった。
自分の力で終えてこそ、胸張って瑠璃にも会いに行ける、というものだ。肩にずっしりとのしかかる籠の重さが辛かったが、伊吹の心は浮き立っていた。
疲れも忘れ、伊吹は足取りも軽く瑠璃のもとへと向かった。
山の木々に隠されるように、瑠璃の小屋はある。人目にはつかぬような場所。ひっそりと建つそれは、もうずいぶん昔に打ち捨てられたものだった。
一見すれば、とてもではないが、人が住んでいるとは思えない。
「だから、いいんじゃない。あたしがいるってわかったら、それこそ追い出されちゃうもの」
いつだったか、瑠璃は笑って言っていた。
ガラ……
今にも壊れそうな戸が音を立てて開く。
だが、中には誰もいなかった。
真っ暗な室内は相変わらず雑然としており、とてもではないが、人が住んでいるようには見えなかった。
小屋の裏に回って見たが、瑠璃の姿は見えなかった。
山の中といえども、いつなんどき村人と出会うかわからない。それゆえ、あまり外を出歩くことはないと、かつて瑠璃は話してくれたことがある。
外に出かけるときはたいてい食べるものを求めてだと。ひょっとしたら、今日は伊吹のように食料を探してでかけてしまったのかもしれない。
久しぶりに会うことができると思っていただけに、心が沈む。がっくりと肩を落とすと、伊吹は小屋の前に腰を下ろした。
そうして少しだけ待ってみたが、瑠璃が帰ってくる気配はしなかった。
せめてひと目だけでもと思ったが、そうもいかない。伊吹には長居するだけの時間がなかった。日が落ちる前に村に帰らなければならないのだから。
伊吹は夕空を見ながら、ほうと一つため息を落とした。
今日は運がなかったのだ。
諦めておとなしく村へと戻るしかなかった。
籠の中の茸をいくつか戸の前に置き、伊吹は腰を上げた。何度も振り返りながら、その場を去る。
異変は伊吹が村に近づいたときに起こった。一本の大木の側に群がる村人たちの姿が見えた。
どきりと胸が高鳴る。