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森人の詩  作者: すばる
第四章 大樹
26/49

(3)

「違う! ――違うよ、小夜(さよ)…」

 小さく、ごめん、と伊吹は謝る。

「――ぼくが…意気地がないのがいけないんだ……。怖いんだよ……これを言ってしまったら…小夜は…小夜は…」

「伊吹…?」

「君を巻き込んでしまうのが怖い……。このまま…じゃ…」

「伊吹」

 小夜は涙をぬぐうと、強い眼差しを伊吹に向ける。

「伊吹、私にはあの少年が……お前のもう一つの心だと思えてならないんだ。だからお前があんなにも苦しんでいるのも見たのに、そのままでいることなんてできないんだ」

 だから――「知っているのであれば教えてほしい」と、強い口調で小夜は言った。

 伊吹は小夜の言葉を聞いて、静かに瞳を閉じた。

 二人とも身動きひとつしないまま、沈黙の時が流れる。

きゅん、とそれまで伊吹の隣で静かに座っていた叉羅沙が飛び起きた。それとほぼ同時に伊吹は立ち上がると、そのまま戸口へ向かっていく。

 ガタと音を立てて、戸が開けられる。

「伊……吹……?」

伊吹はゆっくりと振り返ると、小夜に向かって左手を差し出した。

「――君に…すべてを受け止める勇気があるなら…ぼくと来て」

 小夜はすっと立ち上がる。きゅっと唇をかみ締めると、大きくひとつうなずいた。それを見た伊吹の目が細められる。

そうして、二人は戸をくぐる。

 真っ白な光が目一杯あふれたその後。ぼんやりとした光の中、小夜は見た。

 大きな樹が一本。どっしりと根を大地に下ろし、枝を天に向かってゆったりと伸ばしている。その先に何かを求めるように。降り注ぐものをその身で受けとめようとしているかのように。

(これは……)

 ハッとなって大樹を見上げる。

 シャラン……

 小さな鈴の音が耳元で聞こえた気がした。

 間違いない。これは、先日見た光景にそっくりだ。泣いている伊吹と出会った場所にあった大樹だ。

天を支えるように立つ大樹――。枝葉は一枚一枚が銀の色をしている。風がないのにさやさやと優しく歌っていた。この世界全体を優しく包み込むような包容力を感じさせた。

 その傍らにはこんこんと湧く泉があった。銀色の清水がとめどなく湧き、大地を潤していた。

 すべてが銀色の光に包まれ、輝いて見えた。

「ここは……」

「ここはね、森の一番奥。決して人が踏み入れることがない、森の生き物たちの聖なる場所」

「だったら……私もここにいたらまずいんじゃないか?」

 伊吹は小夜の言葉にちょっとだけ驚いたが、何よりその言葉が嬉しかったようで、すぐに顔は笑みで溢れた。

「気にしなくていいよ。今日は」

 今日だけは特別だから、と伊吹は天を仰いだ。

 天からは、小枝を通して、まぶしい光が筋となって降り注ぐ。

 伊吹はその光を全身で受けとめるように、大きく手を広げた。透き通るような肌。柔らかくゆらりと揺れる見事な土色の髪。

 その姿があまりにもきれいだったものだから、小夜は思わず見とれてしまっていた。

 そこには「ひと」でないものがいる――そう感じた。決して人ではなく、そして動物でもないもの。

 彼はいったい何者なんだろう? いや、何なんだろう……。

 疑問が次々と浮かんでくる。

 いつもとは違う――そんな印象を与える今の伊吹を、小夜は不思議な感情で見ていた。

「小夜?」

 小夜の食い入るような視線に気付いた伊吹が、こちらを向いた。

「なんでもない……気にしないでいい」

「そう?」

 いつもとは異なる大人びた微笑みを浮かべ、伊吹は大樹の元へと近づいた。

 そうして、幹のところまで行くと、そっと触れた。

 大切なものを扱うかのように。

 愛しいものに触れるかのように。

「この森を太古から見守ってきたんだ、この樹はね」

 森に生きるものたちを。

 人間たちの営みを。

 はるか彼方の昔から。

「小夜……よくみてごらん……」

 促されて、小夜は数歩退いて大樹を見上げた。

「ああ……」

 思わず感嘆の息がもれる。

 あたりが暗くなったその瞬間、それまで小夜の瞳には映っていなかたものが姿を現した。

 銀色に輝く大樹の周りにあるものは――

「これは――なんだ?」

 透明な球。大きさはてのひらに乗るほどの大きさのもの。青白く、あるいは淡い桃色に輝き、ふわりふわりと大樹の周りに浮いている無数の球。まるで、小夜が身につけている玉のように、ひとつひとつが美しい。

「小夜は知っている? この森がどうして神域と言われているか」

「神様がいるからではなく?」

「それは表面上だよ」

 そうだね、と伊吹は笑って続けた。

「あれはね、人の『心』なんだよ」

「?」

「輝いているのは、その人が一生懸命『今』を生きているから」

 そこで伊吹は一つの球を指差す。

「あれは――」

 光を失った球が頼りなげに浮いていた。

「あれは、『心』が死んでしまっているから……だから輝きを失ってしまったんだ……」

「『心』が死ぬのか?」

「そうだよ」

 小夜には理解できなかった。人が命を失う、というのならわかる。誰にも平等にいつかは訪れるものだから。けれど「心」が死ぬとはどういうことなのだろう。

 そうだね、と伊吹は少しばかり考えた後、説明を始めた。

「たとえば、誰かが『こんなところで、これ以上生きていたくはない』と思ったとする。でも、その人は『死』を選ぶことはできなかった。死ぬのは誰でも怖いからね。けれど、その代わりにその人が現実から逃げることを選んだとしたら――」

「そうしたら?」

「その人の心は身体を離れてしまう。そうして『心』の球があるここへと来てしまうんだ。現実とは違うところへ行きたいと強く望んでしまうことでね」

 小夜は伊吹の言葉を大きく目を見開き聞き入った。どれもが初めて聞く話だった。ここが変わった場所だとは思っていた。だがそれはきっと神域だからに違いないと小夜は思っていた。神域だから不思議なこともありうるのだろうと。

 見たことのない動物。見たことのない草花。聞いたことのない鳥の声。それはここが「特別」だからだと、いつの間にか納得していた。

 けれど、今伊吹が小夜に話していることは神域だから、などという単純な理由では片付けられないような話だった。

「身体を離れてしまった『心』がここにいることを望めば、やがて『心』は光を失っていくんだ」

「――どう……してだ?」

「『心』はね、生きようって強い意思がないと、身体と共にないとだめなんだよ。どちらか一方が欠けても駄目なんだ」

 どちらか一方が欠けても。身体も、心も。身体が朽ち果てれば、それは死を意味する。だが、心が欠けてしまっても、人は生きてはいけない。

「迷いこんだ人の魂を元の世界へ導く者――それが『 森人(もりと) 』」

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