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森人の詩  作者: すばる
第三章 闇の中で
22/49

(6)

 シャランシャランシャラン…

 突如、激しく鈴の音が鳴り響き、泉の水面が青白い光を放った。

(なっ……)

 小夜(さよ)はみるみるうちに光に呑みこまれていく。

 そうして――

「ここは……」

 気がつくと、今までとはまったく正反対の空間にいた。今まであった闇はそこにはなく、ただ光だけがあふれていた。その中心にあるのは、大きな一本の樹。太くどっしりとした幹は小夜が手を広げても足りないほど。そうして、そこから伸びる枝葉は天を支えんとするかのよう。

 その傍らに、小夜は一人ひざを抱えて泣いている少年を見つけた。

 歩みより、声をかけようとして、小夜は唖然とした。

そこにうずくまる少年は紛れもなく伊吹だったのだ。ついさっき別れてきたばかりの伊吹とまったく変わりない姿。肩より少し長い髪を背中で一つにまとめ、真っ白な紐でくくっていた。

「い……ぶき……?」

 小夜は少年の名を口にした。だが、少年は何の反応も示さなかった。変わりなく、ひざを抱え泣いていた。「どうして、どうして……」それだけを繰り返して。

「伊吹っ」

 小夜は伊吹の肩に触れる。いや、触れたと思った。だが、小夜の手は伊吹の肩に触れることはできなかった。するりとそのまま空を切ったのだ。

 一瞬何が起こったか小夜には理解できなかった。不審に思い自分の手をじっと見つめるが、特に何の変わりもない。だが、再び試してみても、やはり結果は同じだった。何度伊吹に触れようとしても、決してその手は伊吹に届かなかった。

 こんなに近くにいるのに、伊吹に小夜の声は届かない。どんなに伊吹に触れようとしても、小夜の手は無常にも空を掴むだけ。

「伊吹、伊吹っ」

 無性に悲しくなり、半ば涙声になりながらも、小夜は必死に伊吹の名を呼んだ。

 そのときだった。それまでひざに顔をうずめていた伊吹が不意に顔を上げたのだ。

 一瞬、小夜は自分の声が伊吹に届いたのかと思った。だが、次のひとことでそれは完全に否定される。

「どうして行ってしまったの? ぼくだけ置いてどうして行っちゃったの?」

 伊吹の瞳には小夜は映っていない。もっとどこか遠くを見ている伊吹の瞳。いつも悲しげに揺れている瞳が、そこにはあった。まだ明け切らない暁の空を思わせる瞳から、つっと一筋涙がこぼれる。

「どうして――どうして行っちゃったんだよっ」

 心の底からの悲しい叫び。

 少年は一人泣きつづけていた。ぎゅっと膝を抱えて、身を縮みこませて。誰かへの恨みの言葉を叫ぶ。


 寂しい――

 辛い――

 一人はイヤだ……

 ――もう大切なものを失うのはいやだ……。

 

 少年は目の前にはいない「誰か」に向かって訴えつづけていた。

 それは見ている小夜までが辛くなるような光景だった。

 今の小夜には多少なりとも目の前で泣いている少年の心が分かるような気がした。先ほどまで一人暗闇の中に迷いこみ、出口も分からずさまよっていた自分には。

 二度とこの空間から出ることもできないかもしれないと思ったときの小夜の感情。それに似た思いで伊吹は叫びつづけているのだから。

「一人はいや……寂しい……辛い……」

 小夜は繰り返す。

 この言葉は――今の自分の心。そうして、ひょっとしたら今まで一緒にいた伊吹の心なのかもしれない……。

 伊吹がいつもどこか寂しげな瞳をしていることを小夜は知っていた。伊吹の笑顔はどこか悲しく、心から笑っていないことも知っていた。

「お前は――辛いのか、伊吹……」

 小夜がそう呟いたときだった。今まで小夜の言葉にはまったく反応を示さなかった少年が顔を上げ、小夜を見つめた。その瞳には確かに小夜が映し出されていた。泣きはらした真っ赤な目を見張り、そうしてすがり寄ってきた。

「ねえ、ぼくの代りにここに残って……。君はこの空間に来られたんだ。だからぼくの代りにここに残ってよう」

「なっ……」

 思わず後ずさる。が、少年は掴んだ小夜の腕を放そうとはしなかった。細い腕のどこにこんな力があるのかと思ってしまうほど、強く小夜の腕を握った。

「ぼくはもうイヤなんだ。ここに一人でいるのはイヤなんだ……。ねえ、君はぼくの代わりにここに残ってくれる人なんでしょう? ねえ、ぼくの代りにここに残ってっ!」

「――伊吹……」

「ねえっ!」

「――は、放せっ」

 ブンと強く腕を払った。だが、伊吹は両手で小夜の腕にしがみつく。

「ぼくの代りにここに残ってようっ! 『もりと』なんていやだっ! そんなのぼくは何も知らないっ」

「い、ぶき……? う、うわっ」

 ズブズブと小夜の足元が、まるでぬかるみに捕らわれたかのように沈み始めた。あたりにあふれていた光の世界は、闇の世界へと一瞬にして変わっていった。

「やめろっ、伊吹っ!」

 叫んでも伊吹は放そうとはしない。

 イヤだ。私はいやだ。こんな暗闇の中に一人残されるなんて絶対いやだ。一人でいつまでもいるなんてっ。己の存在さえも不確かになっていってしまうような空間に閉じ込められるなんて――

「いやだっ、放せ、伊吹っ!」

 心の底から叫んだとき、再び青白い光が小夜を包みこんだ。



「小夜、小夜っ」

「――……」

「小夜っ」

 誰かに名を呼ばれている……。強く肩を揺さぶられて、小夜は徐々に意識を取り戻した。

「――いぶ……き……?」

「ああ、よかった……」

 ほうっと安堵の息をつく伊吹の姿が目の前にあった。伊吹の傍らでは叉羅沙も心配げに、ぐるぐると動きまわっている。

「本当によかった……」

「伊吹……」

 小夜はそこで自分が伊吹のもとを飛び出してきてしまったことを思い出した。

「おまえ……私を探しに……来てくれたのか?」

「当たり前だろ。小夜をほうっておけるわけなんてないじゃないかっ」

 少し怒ったように小夜を睨む伊吹。次の瞬間、小夜はぎゅっと伊吹に飛びついていた。

「――小夜……??」

「――……」

 伊吹はそうっと小夜の背中に手を伸ばすと、まるで子どもあやす母親のように、優しく背中をなでてくれた。

「怖かった……このまま、私はここから…帰ることができないかも……しれないって」

 しゃくりあげながら小夜は伊吹に訴える。

「伊吹が来てくれなかったら……どうしよう、って……」

「ごめん……遅くなって。怖い思いをさせたね」

 ううん、と小夜は頭を振った。

「いけないのは私だっ……勝手に伊吹のもとを飛び出した私が悪いんだ」

「小夜……」

「私が悪いのに……あんなにひどいことを伊吹に言ったのに!」

 それなのに、お前は私を探しに来てくれた……。私を闇から救うために来てくれた。

「来てくれなかったら……このまま…私はっ……」

「――もう大丈夫だから」

 ぎゅうっと伊吹は小夜を抱きしめてくれた。

「もう、大丈夫」

 耳元で何度も囁く。小夜の不安をすべて取り去ってくれるかのように。彼女が感じた恐怖をすべて包みこんでくれるかのように――。

 闇の中、たった一所光が集う場所で、少女に優しく微笑み続ける彼の心を、このときの小夜は知る由もなかった――。

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