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森人の詩  作者: すばる
第一章 出会い
2/49

(1) 

「しまったな……」

 森の中で木々の隙間から見える空を少女は仰いだ。

 すっと通った鼻筋、ふっくらとした桃色の頬、そしてきりりと引き締まった口元。額にかかる前髪。そこから見える瞳は髪に似た漆黒の色。ぱっちりとした双眸は、彼女の愛らしさを引き立たせる。

 彼女、名を小夜(さよ)という。

 山間にある小さな村に住んでいた。今年十五になったこの少女のことを、微笑むと爽やかな朝顔のようだと村人たちが囁いていることを、本人は知らない。

 背中にかかる見事な黒髪が秋風に揺れた。

 あたりはだいぶ暗くなってきていた。

 先ほどまでははっきりと見えていた足元も、今ではかろうじて見えるといった状態だ。秋の日は特に落ちるのが早い。このままでは日が落ちる前に村に帰りつくことはできないであろう。いや、そのまえに、自分は無事に村に帰りつくことができるだろうか。

 今朝、小夜は巫女であるおばばから頼まれて、薬草を採りに森の中へと足を踏み入れた。すでに齢六十を越えたおばばが森に薬草採りに行くのは少々難がある。ゆえに、たいていこうして小夜が代わりに森に入るのだ。それはいつものことで、別に変わったことでもなんでもない。

 目的の薬草に加えて、栗や椎の実、果ては貴重な松茸やらと森の恵みを手に入れて、すっかり上機嫌になっていた小夜は少し森の中を歩いてみようと思ったのだ。今日に限って。

 そのうち森の紅葉の美しさに惹かれて、少々森の奥まで来すぎてしまった。

(なぜ気付かなかったんだろう…)

 うかつにも己のいる場所がわからなくなってしまったのだ――つまり森の中で迷ったわけである。

(ここはどこだ……?)

 右を見ても左を見てもあるのは、美しく紅葉した木々だけ。さきほどまでは小夜の心に幸福な気持ちを与えていたものが、いまでは不安ばかりを増させる。

(とりあえず…こっちが西だよな……)

 まだ太陽が西の空を赤く染めているから、辛うじて東西南北だけははっきりとわかる。方向感覚だけは自信がある小夜であったから、こちらに進めばやがて村に出るはずという確信を持っていた。

 太陽の位置を確認しながら、小夜はずんずん森の中を進んだ。

 自分は村の南東から森に入った。ということは、北西に向かっていけばやがて森は抜けることができるはず。

 しかし、村があると思われるほうへ進めどもまったく森を抜けることができないのだ。おかしいと思いつつも、とにかく先に進むしかなく、小夜は歩きつづける。

 太陽はどんどん沈んでいく。それにしたがって、森の中も徐々に薄暗くなり始めた。

(まずい……。このままでは…)

 焦る気持ちだけが大きくなる。

 空ではカア、と烏がひと声啼いて飛び去っていった。その声が小夜の不安をさらに増大させた。

(だめだ……これでは……)

 ここまできて、小夜はようやく立ち止まった。迷った、と気付いてから実に半刻ほど経ったときのことだった。

 小夜は、自分が当初は東に向かっていたことに考えが及び、ひょっとしたら、森の神域に迷いこんでしまったのかもしれないと少々不安になった。おばばがいつも繰り返して言う言葉が頭の中を駆け抜ける。


――決して神域へ入ってはいかんぞ。入ってしまったら、神の怒りに触れて生きて帰ることはできなくなってしまうからの――


 ぶるりと身を震わせる。そんなの冗談じゃない。だいたいそんなに遠くまで来た覚えはないし、森の神域には近づかないよう日頃から注意している。今日に限って、まさかそんなことはあるまい――そう思いながらも、どこかで、もしかしたらという不安がもやもやと大きくなっていった。

 日が沈めば今のこの時期、だいぶ冷えることとなる。冬ではないので、まさか凍え死ぬことはないだろうが、それでも大風邪をひいてしまうことは避けられまい。

寝こめばおばばの苦い薬をいやというほど飲まされる。そんなことになる前に一刻も早く村へ帰らねば。

 何よりも、みなが心配する。もう大騒ぎしているかもしれない。森に入ってからもうずいぶんと時が経ってしまったのだから。小さな村のことだ。小夜が帰ってきていないことなど、あっという間に村中に知れ渡るだろう。こんなことならば、おばばに頼まれた薬草を見つけた段階でさっさと村に引き返せばよかった。

 次から次へと心に浮かぶのは反省の言葉ばかり。そして出るのはため息ばかり。

 腰の袋に入れてある薬草は、しんなりとすっかり元気を失ってしまっていた。せっかく見つけた薬草。これも無駄になってしまうかもしれないな、とまたため息をつく。

 そのときだった。

「誰だっ!」

 背後で鋭い声がした。はっとなって振り向く。

「!?」

 次の瞬間、足元がズルリと滑った。グラリと身体が傾く。見知らぬ少年が驚きのあまり目を大きく見開いて自分を見ているのを視界の端に映しながら、小夜はそのまま斜面を滑るように落ちていく。気づくと目の前に大木が迫っていた。

(ぶつかる!)

思わず目を閉じた小夜の意識は暗闇へと落ちていった。

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