(1)
出会ってからというものの、小夜は「神域」ということに少々抵抗を感じながらも懲りずに何度も伊吹のもとにやってきてくれた。
だが、この日、十数日ぶりにやってきた小夜の髪の毛を見て、伊吹の胸は大きく鳴った。
「小夜……?」
出会った頃は、みごとなつやを持つ美しかった黒髪が、まるで土の色のように茶を帯びた色へと変わっていたのだ。
「ああ……これか。妙だろう?」
当の本人の小夜はさほど気にしていないふうだった。
「気づいたらな、こんなふうになってしまったんだ。なんでだろうな?」
ドクン……
伊吹は身体の震えを抑えるように、右手を強く左手で抑えこんだ。
(まさ……か…)
否定したくとも、否定できない現実が、目の前に突然突きつけられる。
(こんなこと……)
知らず小夜の髪に手をやっていた。
通常では考えられないものだ。ここまで短期間のうちに髪の色が変わってしまうことは。何よりも、この現象――は…いつから…?
ココニ…来テカラダ……
この空間に来てからだったはずだ。
小夜は気づいていないけれど。
そして、小夜の髪の色は、やがて完全な土色へと変わっていくはずだ。ちょうど、いまの自分がかつてそうであったように…。
「伊吹? どうしたんだ?」
小夜が心配そうな顔が己をのぞきこんでいた。
はっと我に返った伊吹は、それまでの思考を中断させられた。
「なんでも…ないよ…」
「なんでもないって顔、してないぞ。何か悩み事でもあるのか? それとも具合が悪いのか?」
「小夜、なんでもない。大丈夫だよ」
「そう…なのか?」
うん、と頷き、「ありがとう」と礼を言う。笑みを顔に浮かべはしたが、どこかぎごちなくなってしまっているのが、伊吹自身にもわかっていた。
「――伊吹は、そうやっていつも他人を退けるんだな……。私は寂しい」
小さな声で小夜がつぶやいた。
たちまちのうちに、伊吹の笑顔が強張る。
小夜の言葉が深く心に突き刺さった。それとともに、自分のあいまいな態度が彼女のことをひどく傷つけてきたことをはじめて知った。
「――ご…めん……」
伊吹の謝罪の言葉は、さらに彼女の心を深く傷つけたことに、彼は気づかない。
小夜は悲しそうに笑うと、瞳を伏せた。
「――伊吹……おまえはどうしてここにいるんだ? どうして村に来ない。村に来れば、少なくともいまのお前の寂しい笑顔はなくなると思うんだけどな」
小夜にはきっと、伊吹がここに一人でいなくてはならない理由など、存在するようには思えなかったのだろう。好き好んでこのようなところにいる人間などいないだろうに、と。自分が小夜の立場だったら、同様のことを思うだろう。
「ぼくは――」
口をつぐもうとした彼の脳裏に、先ほどの小夜の言葉が蘇ってきた。
――伊吹は、そうやっていつも他人を退けるんだな……――
(退けているんじゃない……)
いや……やはり、退けているのだろうか。自分は。他者と関わりたいと心の中では強く思いながら、それをどこかで恐れているのかもしれない。他者と深くかかわればそれだけ後で自分が辛くなる。
なぜなら、ここは――閉ざされた空間なのだから……。
「小夜…ぼくは村に行くことは許されないんだ。生きることから逃げた人間だから…」
だから、きっと罰があたったんだよ、と消え入りそうな小さな声で答える。
「罰? 何が罰なんだ? 一人でいることが罰なのか?」
伊吹は自分が突拍子もないことを言っていることを自覚していた。しかし、伊吹は小夜の疑問には答えなかった。答えられるわけがないのだ。ただ悲しげに作り笑いを浮かべることしかできなかった。
「ぼくなんていなくたって、いたって同じなんだよ」
そうしてこぼした投げやりな言葉。彼女の耳に届くかと届かないかというほどの、小さな声だった。
「どうして――」
伊吹は顔をそむける。
「ぼくは自分のことが時々ものすごく嫌いになる――。この世から消してしまいほどに」