(3)
収穫祭。
祭りにふさわしく、その日は高く澄んだ秋空が広がった。心まですがすがしくなるような青空の下、収穫祭は村長による神への感謝の言葉と神饌の奉納で始まった。
続いて行なわれたのが毎年恒例になっている巫女の舞い。例年は巫女であるおばばが舞いを披露していた。もちろん、今年もおばばが奉納の舞いを奉じた。神々に今年の豊作を感謝し、来年の実りを祈るもの。それとともに、森から我ら人への言葉を聞くために捧げる舞い……。
舞い終えたおばばは息一つ切らすことなく、この日のために作られた祭壇前の舞台上から、村人たちに向かって静かに森の言葉を伝える。
歌うような朗々とした声が辺りに響き渡った。
日々の実りに感謝せよ
己の命が他のものたちの上に成り立つものであることを知れ
生きとし生きるものの命には上もなく下もない
今己が生きていることに感謝せよ
緑息吹く大地に
清き水をもたらす大地に
日々の糧を与える大地に
冬には厳しい寒さと共に
心にも雪が降り積もろう
そして春の訪れと共に旅立ちがやってくる
だが決して忘れてはならぬ
主たちの命は主だけのものではない
主が生きるために奪った命に感謝せよ
さすれば主たちの「明日」を約束しよう
秋には再び実りの季節が訪れる
我は森の言の葉を伝えし者――
おばばが言葉を告げ終えた後も辺りは静まり返り、物音一つしなかった。誰もがおばばの声に聞きほれていた。
森の声を伝えるときのおばばの声は、通常とはまるで異なっている。そのときのおばばの言葉には人を引きつける「何か」があるのだ。その「何か」は村人にはもちろんのこと、小夜にも分からない。
ただ、ずっと聞いていたい気分になるのだ。歌うような不思議な言葉を。耳にしているだけで心が温かく、そして懐かしさで満たされていく。そんな心地。
ドン――
ぼんやりしていた小夜の耳に合図の太鼓の音が飛びこんできた。はっと我に返る。
ドン――
二つ目の太鼓の音と共に小夜は壇上へと上っていった。ゆっくりとゆっくりと足音も立てずに。
シャラン……
三つ目の太鼓の音と同時に美しく澄んだ鈴の音があたりに響き渡った。
小夜は村特有の、舞いを奉じる時巫女が身につける装束をまとっていた。それは袴もすべてが純白な装束。小夜の黒々とした見事な髪を束ねる紐までが雪の色をしていた。両手にはこれまた白い紐に通した鈴をそれぞれつけ、首からは小夜がこの村に来る前からずっと見につけている美しい玉の飾りが下げられていた。
まるで雪の精霊が舞っているかのようであった。ふわりふわりと、身軽に舞台の端から端までを使って舞い踊る。
舞いが始まる前までは、全身緊張のあまりカチカチであったが、壇上に上がり、太鼓の音と共に舞い始めた途端、それらはどこかへと消え失せていた。今、小夜にあるのは真っ白な思い。淡雪のような純白な感覚。何も雑念はない。ただ舞いを舞うことで不思議な高揚感が満ち溢れていった。
小夜はもともと舞うことが嫌いではなかった。いや、逆に好きだった。ただし、舞いを見ることが、だったが。おばばが舞いを稽古しているのをいつも傍らでじっと見ているほどに。
ただ、いずれ自分が舞うことになろうとは露にも思っていなかったから、舞ったことは一度もなかった。だから、突然おばばに「今年はお前も舞うように」と言われたときは、即「無理だっ」と叫んでしまったほどだ。
巫女が行うはずの舞い。それを小夜にさせようということは、すなわち小夜に巫女になれ、と言っているのと同義だ。だからこそ、余計に小夜は強く拒絶の意を示した。
「私には無理だ」
「――巫女になるのはいやか?」
問われて小夜は口をつぐんだ。
幼い頃から、気付けばいつもおばばのそばにいた。それが小夜自身の意思だったのか、それとも村長やおばばの意図だったのかはわからない。だが、おばばのそばにいることで、小夜は多くのことをおばばから知らぬうちに学んでいた。そうして、成長するにつれて、村長やおばばが己に何を望んでいるのか、それとなく察するようになっていた。
――自分はいづれ、おばばの跡を継ぐことになるのだろう。
だから、小夜は一生懸命おばばから学べることは学ぼうとした。
薬草を扱うことは少々苦手だったけれど、それでも小夜はいつかくるその日のために、必死におばばから技術を、知識を吸収した。
けれど、「いつかくるその日」がこんなにも早く来るなどとはまったく考えもしなかった。
おばばはまだまだ健在だ。小夜がおばばに代わって巫女になるべき理由など、どこにも見出せはしない。
何よりも小夜にはまだ、巫女になる自信がなかった。
巫女としてはまだ知らぬことが多すぎる。
巫女になれば、その肩に大きなものがのしかかる。村人たちの「想い」が。それを背負うだけの力も、そして資格も自分には到底足りないように思えた。
「――私にはまだ…無理だ……」
巫女になるのが決していやなわけではない、と小さな声で小夜は答えた。
おばばはうなだれる小夜の頭をぽんぽんと二回優しく叩くと、小さく笑った。
「大丈夫。すべての舞いをお前に任せようなどとは思わんよ。森告げの舞いはわしがちゃんと行うゆえ」
ならば、と小夜は祭りで舞いを舞うことを承諾した。
舞いなど舞ったことはない、と初めは尻ごんでいた小夜だったが、長年おばばの舞いを身近で見ていたこと、そして何よりも小夜には天性の才能があったらしく、師匠であるおばばも驚くほど瞬く間に小夜は舞いを覚えてしまったのだ。そうして、舞うことが決定してからひと月も経たずして訪れた収穫祭の舞台で、村人たちが見入るほど完璧な舞いを見事してみせたのである。
誰もが、壇上の小夜から目が離せないでいた。まだ舞いは荒削りではあったけれど、若さがあふれていた。いずれ、彼女は素晴らしい舞い手になるだろう。その場にいるものは心の中でみなそう思った。
シャラン――
ぴたりと小夜の舞いが終ると同時に、鈴の音もやむ。
静寂――。
不思議なことに舞いを終えた小夜の息は、おばば同様まったく乱れてはいなかった。
そこへ響く巫女の声。
「来年からは、この若き巫女に祭りの舞いを任せたいと思う」
えっ、となって小夜はおばばを見やる。おばばは満足そうに一つ頷いた。
小夜にとっても村人にとっても、おばばの言葉は初耳だった。
村人たちは、いづれは小夜が巫女になるのだろうということはなんとなく思っていた。だが、それはまだまだ先のことだろうと、小夜自身と同じように考えていた。
だが、祭りの舞いを任せるということは、すなわち「森告げの巫女」を正式に小夜に譲ることを意味する。
(約束が違う!)