(2)
「痛むか?」
おばばはかがみこんで、小夜の足首を確認する。
「いや、もともと大した怪我じゃなかったからな。もう腫れもひいたし、大丈夫だ」
ふと、おばばの手が止まった。布の下に施された薬草に気づいたのだ。
「ほう、ビワだな」
「ん? そうなのか」
小夜は薬草のことに関してはあまり興味がない。おばばに言われれば採りには行く。だが、摘んできた薬草を用いて自ら薬を処方することなどまったくといっていいほどなかった。
知識がないわけではない。必要だからと教えこまれてはいる。
しかし、好き好んで毎日おばばのように部屋に閉じこもり、薬をこさえていることなどできはしないのだ。
内より外、それが小夜の性格であったから。
「ビワの葉はこうして湿布薬にもなると教えたであろう」
「ん?そうだったか?」
「まったくお主は教えた片っ端から抜けていくのだな」
おばばは呆れたように肩をすくめた。
「もうよい、さあ、早く村長のもとへ行くがええ。ずいぶんと心配しておったでな」
「ああ、そうだな――」
小夜はおばばに礼を言うと、一人、我が家へと向かった。途中、何人かの村人たちに出会い、心配かけた旨謝る。そのため村の門から我が家まではたいした距離でもないのに、小夜が父のもとにたどり着いたのは、おばばと別れてからずいぶんと時間が経過していた。
村長はすでに小夜が戻ったことを耳にしていたらしく、家の外で小夜を待っていた。
出会った頃は胡麻のように白と黒が交じり合った顎鬚を持っていた村長だったが、最近では雪のような真白な色へとなっていた。村長はその顎鬚をしごきながら、戸の前で行ったりきたりとそわそわしながら小夜の帰りを待っていた。
「父さま!」
笑顔いっぱいで歩み寄った小夜を迎えたのは、父の怒号であった。
「ばっかモノ!」
小夜と目があった瞬間、ふっと緩んだように見えた表情が一気に険しいものへと変わった。他の村人と比べれば、小柄なその身体のどこからあんな声が出るのであろう、と思ってしまうほど大きな声だった。普段は村の子どもたちにも人気のある好々爺なものだから、これには小夜も驚いた。未だかつてこのように怒鳴られたことがなかったからだ。
それと共に、己がしてしまったことの重大さを認識し、小夜はしゅんと頭を垂れた。
見れば、父の目の下にはうっすらとクマができている。心配で昨夜は眠れなかったのだろう。
二日も黙って村から出るとは何事かとその後、散々小夜は叱られた。あまりにも大きな声に、どうしたものかと様子を見に来たおばばが小夜の足の怪我のことを言ってくれなければ、さらに一昼夜ほど説教されていたかもしれない。
「何ゆえ足の怪我のことを言わなんだ?」
「私が父さまやみなに心配をかけたのは事実だからな」
小夜はおばばが出してくれた菓子をつまみながらそう答えた。
村長はおばばに言われるまで、小夜が怪我をし、動けなかったがために二日も帰ってこられなかったことなど知らなかった。
小夜は叱られるがままに、ただ黙って神妙な顔つきで、いつものように正座をしていたのである。
だからこそ、怪我のことを知ると、父は今度はそのことを大いに怒ったのである。くじいた足で正座をするなどもってのほか。痛みとてひどくなるであろうに、どうしてそれを早く言わないのだ、と。真っ白な長いひげをしごきながら、ぶつぶつと小夜に対する文句をつぶやいていた。
「あまりおてんばをやっておると、そのうち村から出ること、許されなくなるぞ」
「それは困ったな……」
「おや、また森になんぞ用かえ?」
鋭いおばばの質問に小夜はうっと言葉を詰まらせた。
「れ、礼が言いたいんだ。私を助けてくれた人に。ちゃんと礼も言わずに来てしまったから。そう、世話になった礼をしに行きたいんだ」
しどろもどろになりながら小夜は口からでまかせを言う。
「ほう、ではわしも共に行こうか。小夜が世話になったのじゃからな。この村の巫女として礼を言いに行くのが筋じゃの」
「い、いやっ……」
「なんぞ不都合でも?」
「そ、その人の庵は森の奥にあるからな。薬草を採りに行くのだって難儀しているおばばでは無理だ」
あたふたと、それでももっともらしい理由をこじつける。
おばばについて来られたらまずい。なんせ伊吹の家がある場所は神域なのだ。そんな場所に行ったと知れれば、それこそ小夜はもう二度と森に行かせてもらえなくなってしまうであろう。それどころか伊吹にもどんな迷惑がかかってしまうか知れたものではない。
おばばは一瞬の間を置くと、小さく息をつき、それまでの追及とは別の、わずかばかりの助言をくれた。
「足が治るまでは村から出るでないぞ。そうだな――収穫祭が終れば、足もよくなっておろうし、長の気も静まろうて」
「収穫祭……」
長いな、とぼやく。
収穫祭――年に一度、その年の稲の収穫が終る頃に行われる祭りだ。無事に作物が収穫できたことを神に祈る祭り。どこの村でも大抵行われているものである。
迷い人の村でも特に変わったことをするでもなく、巫女による舞いと、その年一番にとれた稲が神饌として神に奉納されていた。人々は神に感謝を示し、家々では普段作られることがないような、ちょっと豪華な料理が用意される。
収穫祭まであと一月半。おばばは、それまでおとなしくしていろと言うのである。足が完治したらすぐにでも伊吹のもとへもう一度行きたいと思っていた小夜にとって、一月以上も我慢しろというのは少しばかり酷だった。
だが、騒ぎを起こしたばかりとあっては、おばばの言葉に逆らうこともできない。また、父の目も未だに光っており、行き先をいちいち尋ねるものだから、そのくらいはおとなしくしていたほうが賢明であろうと諦めた。
「ん? どこへ行く?」
立ちあがった小夜をおばばが呼びとめた。
「おばばもいちいち聞くんだな……」
ぶすっとして小夜が答えた。
「それは仕方なかろう。お前は蝶のようにひらひらとすぐにどこぞへか行ってしまうからな」
「信用ないんだな」
「しかたあるまい」
「安心してくれ。祭りまではちゃんとおとなしくしている。村からは出ないから。これから行くのは唯乃のところだ。あそこで祭りに使う器の準備をするんだ」
ぶっきらぼうに答える小夜の子どもじみた様子にくつくつとおばばは笑った。
「またあとでおいで」
「そうしてまた私をからかうのか?」
「餅を用意しておいてやろう。栗の入った餅じゃぞ」
「――そうやって私を子ども扱いする」
ぷうと頬を膨らませるが、「また後で来る」と言葉を残して出ていく小夜を、おばばはやはりまだ子どもだと笑って見送ってくれた。