19 台風の傷跡
夜勤の勤務を終え、帰宅するため高松駅で列車を待っていると、1番ホームに列車が入ってきた。
見ると、運転席のフロントガラス、びっしりとガラスにひびが入っていた。
多分、線路沿いの木が、昨夜の台風で倒れかけていたのに、ぶつけたのだと思う。運転手は怖かったと思います。
昨夜の台風は、本当に有ったのだろうか。そう思うほどに、町は穏やかだ。この散歩道にも、何の変化もない。
「新谷さん、おはよう。昨日の台風、凄い雨で怖かったですね」
お喋りおばさんの登場です。
「おはよう。・・・そうね。怖かったね」
おばあちゃんは嘘をついている。昨夜は、泥縄の会議をした上、挙句の果ては、ぐっすりと寝ていたじゃないか。
挨拶をそこそこに、お喋りおばさんとは別れ、散歩を続けます。
前方から、また知った顔の女性が近づいてきます。
「新谷さん、おはようございます。昨日の台風は、風も強くて怖かったですね」
「おはようございます。・・・そうね、怖かったですね」
おばあちゃんは、また嘘をつきます。
台風が去った後、住人のみんなは、家にこもっていた気持ちを晴らすために、外へ出てきているようです。
口々に、昨日の台風の怖さを語ります。
そのたびにおばあちゃんは、相手に合わせた言葉を交わします。単なる挨拶なのだから、それを否定するような言葉は選べません。
でも、元々正直で真っ直ぐな性格のおばあちゃんは、自分の口から繰り返し出る嘘に、少しずつ心が削られていきます。
「はー、昨日の台風は、そんなに怖かった?」
おばあちゃんの口からひとり言が漏れます。
今回の台風は、過ぎ去った後からおばあちゃんに、ダメージを与えているようです。
おばあちゃんは、なんとなく気持ちが晴れないまま、散歩を終えて帰宅します。
「ただいま。お爺さん、昨日の台風は怖かった?」
「何だいきなり、特に怖い思いはしなかったぞ」
おばあちゃんは、おじいちゃんのその言葉に、元気を取り戻します。
「そうよね。たいした台風では無かったよね」
「いや、結構被害は出ていたようだ。朝のニュースを見て驚いた」
「そうなの」
おばあちゃんは、また元気をなくします。
「被害に遭った人たちは気の毒だが、おまえが、そんなに気を落とすとは珍しいな」
「・・・」
おばあちゃんは、自分が被害者に対して心を痛めていないことを知っています。自分の心がスッキリしない理由が解らないようです。
でも、次の瞬間。
「まっいっか」
おばあちゃんは、気持ちを切り替えたようです。これにより新谷家において、今回の台風被害は無くなりました。あっけないものです。
「キャンキャン」
流石です。おばあちゃん。
「おーい、マルちゃん。今度はおじいちゃんと散歩に行こう」
次はおじいちゃんとの散歩です。
「新谷さん。おはようございます。昨日の台風怖かったですね」
またお喋りおばさんに会いました。
「おはよう。わしは寝ていたので、何も怖くなかったよ。ハハハ」
「アハハ、実は私も早くから寝ていたので、何も知らないの」
「「アハハ!」」
新谷家だけではなく、ここの住人は、みんな呑気な人たちだった。
今回の台風、ここの住人たちに対しては、心に軽い傷さえ残すことはできなかった。
でも、自然災害に対する備えは必要です。私は新谷家のオブザーバーとして見守り続けます。
夜勤を終えて帰宅し、畑へ行くと、私のメロンの苗木が萎れていました。根元が折れています。享年2カ月でした。台風6号、私から大切なものを奪った者の名です。




