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短編No.01-20

No.18 黒い服の女

作者: 藤夜 要

 彼女を初めて見たのは、田舎に住む爺さんの葬式の時だった。

 爺さんと言っても、小学校に入学する前までしか泊まりに来たことがないから、十六歳になった今では写真で見た顔を覚えている程度の希薄な存在でしかない、というのが正直なところ。

 親父の実家とも言い換えられる、爺さんの住んでいた家は、田舎の山奥にある一軒家で、死ぬまでそこを死守していたらしい。周りの人は、過疎化によって不便になったことに耐え兼ねて、街場へ移住したそうなんだが。

 親父は八人兄弟の真ん中で、親族が妙にうじゃうじゃいる。だから、彼女もてっきり従姉妹かはとこか、何かそんな関係だと思っていた。

 皆が通夜振る舞いとかいうので酔っ払って騒いでいた。死人なんかほっぽり出しで、公民館の二階で大人達が騒いでいる。退屈だし、そんな大人達に妙にむかついたこともあったので、僕は階下の爺さんが横たえられている祭壇に何となく足を向けた。

 参列者の来なくなった祭壇は薄暗く、最初は無人だと思っていた。夜目に慣れて来た目が不意に捉えたのは、昼間ちょろっと見かけた特徴のある少女だった。

 彼女は、昼間と同様、爺さんの骸の前に佇んで、独りで閉ざされた棺桶の小さな窓を見つめていた。

 ゴスロリを思わせる真っ黒な服で、ハイネックのカラーは真っ白で。髪は背中の真ん中辺りまでを覆い尽くすストレートで、そんな彼女の風貌が人形の様な生気のなさを感じさせていたから、妙に僕はくっきりと鮮明に覚えていたのだ。

 簡単に言えば、気持ち悪い。人間味を感じないオーラと、人形の様に透き通った真っ白な肌。その白と黒のコントラストが幽霊みたいで、その時は声を掛けられなかった。




「――という印象の筈なんだが。夜毎彼女が夢に出る。これは何、つまり僕は欲求不満とかいう奴なんですかね?」

 授業をふけて、幼馴染の親友に率直に打ち明ける。悪友は、真面目な僕にLARKを差し出し、如何にも可笑しいという顔で煙を僕の顔に向かって吐き出した。

「一見真面目な顔してさぁ、裏であくどいことなんかやってっから、夜な夜な夢に出るんじゃね? 会長サン」

 挑発する様な言葉を聞き流して――それがこいつの歪んだ親近感の表現だから、今更気になることはない――奴から一本拝借した。田舎にいる間中禁煙していた反動で、滅茶苦茶煙草が美味く感じる。

「あくどい、って言うほど酷いことはしてないじゃん。普通っすよ、フツー。食品コーナーだって、試食っつーもんがあるでしょうが」

「食い物と女を一緒くたにするなよ。あいつ、ガチで惚れ込んでたみたいで、父親の名前を親に言わないまんま、こっちで堕ろしてから転校してったらしいぜ?」

「ふーん。別に、頼んだ訳じゃないけどね。勝手に向こうから言い寄って来て、勝手にそういうことになっただけだろ? 別に僕の所為じゃない」

「黒いな、お前……」

 僕と親友は、夢の根拠について「怨恨か欲求不満か」という無意味な議論をその後も暫く戦わせていた。




 四十九日とかいう法事がほどなくしてあるらしく。大人の前ではお利口さんを演じる僕は、今回もまた爺さんの実家へ両親と共に参じていた。

 今回は、少し冷静みたいだ。周囲の異変に気づく余裕が僕にはあった。

 ――誰も、彼女には声を掛けないんだな。

 親さえも彼女に近づかないというのは何だろう。一瞬そうも思ったのだが、考えてみたら、家の親父と仲の悪い、長男坊である伯父の娘の可能性もある。兄弟の中で、最も嫌われていたらしい伯父だから、相続関係で問題が起きている今になって、彼は慌てて弟妹の機嫌を取り始めている。

 大人社会がこんなんだから、僕ら子供も荒むんだよ。なんてことを心の中で毒づきながら、今回は彼女に話し掛けてみた。彼女は今日も、爺さんの前で座り続けている。

「爺さん、可哀想だったね。死んだのを誰にも気づかれないまま、腐乱してたらしいじゃん。――ねえ、名前何だっけ? 親戚が多過ぎて覚えていられないよね。滅多に会わないし」

 僕の声に振り向いた彼女の瞳と初めて合ったその瞬間、僕のどこかに何かのフラグが立った。

「シュウちゃん……」

 漆黒の瞳が波打っている。悲しい色を湛えたまま。呼ばれた名前は、遥か遠い昔、呼ばれた覚えのある僕の呼び名。長期の休みの度に、此処に泊まりに来ていた。幼い頃は爺さんも僕のことを、確かそう呼んでいた。

「ごめん。何か、久し振り過ぎて忘れちゃった――名前」

 記憶力には自信がある方だったのに、今日の僕は無様だった。全然、彼女の名を思い出せない。

「アーニャ」

 いや、全然思い切り純日本人ですけど、と危うく突っ込みを入れそうになった。

「って、シュウちゃんは呼んでくれてた。唖耶って巧く発音出来なくて」

 そう言って、黒い少女は大きな黒い瞳から、その肌の様に透き通った雫を頬に一筋伝わらせた。

 全く覚えはないのだが、彼女が自分を覚えていてくれたのが妙に嬉しく感じられ、大人達の化かし合いという穢れた法事の場から、彼女をもっと自然の美しい場所へと解放してやりたい気になった。――いや、違う。僕自身が、この場からそういう綺麗な場所に行きたくなったんだ。アーニャの吸い込まれる様な瞳を直視してから。


 公民館の裏手にそびえる小さな山は、昔と全く変わりなく。僕は、おぼろげな記憶を頼りに、アーニャを連れて、秘密の場所へと向かって行った。途中、何度か制服を枝に引っ掛けてしまったが、それのお陰でアーニャのゴシックな衣装が破れることを回避出来た。ちょっとお姫様を守る騎士、みたいな気分で勝手に気分が高揚していた。

 鬱蒼とした雑木林を抜けると、眼下に広がるこの小さな町を見下ろせる広い場所がある。そこが、僕のお気に入りの場所だった。

「シュウちゃん……いなくなっちゃったの。大好きだったのに……。たった一人の、私を可愛がってくれた人だったのに……。誰も、悲しんでいないの……あんなにいい人だったのに……」

 四十九日が過ぎても、アーニャは爺さんの死から立ち直れずにいたみたいだ。皆が平服で来ている中、彼女だけ今日も喪に服す様に、真っ黒な衣装で着ているのがその証拠だ。僕は、少し嫉妬しているみたいだ。自分より爺さんに愛されていたらしいアーニャになのか、アーニャを泣かせるほど慕われている爺さんになのか、よく解らない。よく解らないまま――気づいたら、アーニャの唇を塞いでいた。

 見た目より、年上なのか。応え方が妙に艶かしくて、何故か不意に、あのしょぼくれた爺さんとアーニャの卑猥な映像が脳裏に浮かんで気持ち悪くなった。




「親戚なんだろ? いろんな意味で、ヤバくね? それ」

 夏休みも半ばに入ってだれ切った頃、親友にそう言われ、アーニャが親戚かも知れないことを思い出した。

「ヤバイって、何が?」

 本当は、聞かなくても親友の言いたいことは解っていた。

「お前、結構ガチなんじゃねーの? 面倒臭いぜ、それって何かと」

「美味しそう、とは思うけどさ。別にガチでっていう訳ないじゃん。家の親を見てみろよ。腫れた惚れたで修羅場ってさ。大の大人がアホかって感じじゃん。ああいう惨めな思いは、したくないね」

 愛だの恋だの、馬鹿馬鹿しい。本能的な欲望に理屈を捏ね回してるだけじゃないか。去年のあれはちょっと失敗したけど、まあ受験から解放されてテンションあがっちゃったからだし、もうそんなヘマはしないしさ。

「お前……限りなく黒いよ、人間が」

「誉め言葉にしか聞こえないな」

 そう言って笑う僕を見て、親友は溜息をついていた。




 初盆、という奴らしい。これが過ぎると、後は来年の春までアーニャに逢えない。そう考える度に胸がちくりとするのは、きっとまだ「試食」をしていない所為だと思うんだ。


 標高の高さは関係あるのだろうか。陽射しが、僕の住む都会に比べて痛い。熱い、というよりも刺す様な痛みを感じる。そんな真夏の太陽も、アーニャを汗でべたつかせることはかなわなかった。ぬける様な白い肌を焦がすことが出来なかった。春先の黒い女は、身体を纏う黒を半分にしていて、対照的な白が僕を欲望でどす黒く覆っていった。

 相変わらず、アーニャに関心を寄せる大人たちはいない。むしろ、亡き爺さんよりも盆踊り大会が気になる様で、殆どの大人達が小さな町の唯一ある公園へ、間が持てないくらいなら、と踊りに出かけて行った。薄情なもので、初盆には家族総出で来る孫子はいなく、僕がついて来ることに親父が意外な顔をしたくらいだ。親父も実妹と遺産について画策すべく、踊りにかこつけ叔母と出かけて行った。


 今、この家には、アーニャと僕の二人きり。後は爺さんの遺影のみ。いつもの様に、彼女はその前でじっと爺さんの遺影を見詰めている。今回は、公民館じゃなく爺さんの家だから、凛と姿勢を正して正座をしている。彼女の後ろに座り込み、僕はアーニャの髪からポニーテールにしているゴムを解いた。彼女が驚いた様に振り向いた時、彼女の長くて艶やかな黒髪が、僕の鼻先を掠めていった。そそる様な、むせ返る匂い。何処かで嗅いだ覚えのある少しだけ生臭い匂い。

「シュウちゃん……?」

 彼女は、何故か笑った。大粒の涙を零しながら、微笑んだ。

「やっと思い出してくれたのね。その為に、私があるのに――」

 よく、解らなかった。アーニャの言っている意味も、彼女から僕に施した行為も、何度も名を呼ぶその呼び名も、僕を呼んでいる様で違う誰かを呼んでいる様な、何処か掛け違えている様な感覚の根拠も。ただ幾度となく呼ぶ彼女の声を聞く度に、「試食」では済まない気分を味わっていた。欲していたのが、彼女の身体だけではなくて、僕の名を呼びながら、僕ではない誰かを見ている彼女の「心」の方を、身体以上に欲していた。

 最後に言った、彼女の言葉。記憶力には自信があるんだ。間違いなく、そう言った。

「またね、って言ってくれたから、私ずっと待っていたの。シュウちゃんの部屋の片隅で、ずっと、ずっと待ってたの――やっと、イけるね。一緒にイこう――」




「あらら、恋煩いですか。愁斗クンともあろうお人が」

 休み明け早々の復習テストで、僕は遂に首位の座を追われてしまった。女子にも変態扱いされて、女日照りからかれこれ二週間。最低最悪のこの状況を、親友は鼻で笑ってそう言った。


 あの日、盆踊りから帰った大人達が爺さんの家で見た光景。

 ゴスロリの衣装をまとったダッチな人形を抱いて、全裸で眠り呆けていた僕の情けない姿とすごい異臭。

 僕は親父に殴り起こされ、死ぬほど顔を殴られた。半ボケだった婆さんが、

「愁一郎さん、まだこんなもの持ってただかいね、汚らしい」

 と、ダッチなアーニャを怒りもあらわに殴りつけた。

 シュウちゃんとは、僕のことではなくて、爺さんのことだったみたいだ。そして僕が初めてまともに恋した相手は、爺さんの性欲処理の道具だった。

 家に帰って親父はお袋と大喧嘩。その声は夏の網戸越しの夜空に轟いて、近所の人達の耳に響き渡っていたらしい。


「天罰、天罰。女を道具扱いするからだっつーの」

 親友は、僕よりよほど悪人に見える面をしている癖に、僕より真っ当なことを言ってまた笑った。かなりむかつくし恥ずかしいけれど。こんな醜態を露呈させた僕の傍らに未だいるこいつは、やっぱり僕よりよほど清い心を持っていると思う。

「しっかし、不思議だよな~。お前って現実主義だし、そんなオカルトな妄想見るタイプじゃないのにな」

 親友は、他人事だと思って能天気にそんなことを言っている。

「……もうその話はしてくれるな。女はもう懲り懲りだ」


 それから皆がこの情けない噂に飽きた頃、僕が親友とガチでデキてるんじゃないか、というゲイ疑惑が持ち上がった。当面汚名は返上出来そうにない。何処かで黒服の女がくすりと笑った気がした。

 ――どちくしょうめ……。


 それでも僕は、未だ彼女を忘れられないでいる。艶やかな漆黒の髪と、すべらかな白い肌と、甘く囁く「シュウちゃん」という声を、いつまでも忘れられないでいる――。

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