表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
過労死転生の悪役令嬢、学食で飯テロざまぁします  作者: 秋月 もみじ


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

4/10

第4話 まかないを一緒に、どうですか


「定時閉店。社畜亭の鉄則だ」


店内の灯りを一つ一つ消していく。この儀式は、前世でも同じだった。終業時間を過ぎたオフィスも、こんな風に暗くなっていく。ただし、あちらは誰かが酔っ払いながら残業していたが。


本当は、深夜勤務なんて、まともな会社ではあり得ない。だが、その『あり得ない』が、毎日になれば、やがて『当たり前』へと変わる。私が過労死するまで、それは『当たり前』だった。


「お客さん、申し訳ないのですが」


声をかけた相手は、相変わらず奥の席に座ったまま。銀灰色の髪が灯りに透ける。琥珀色の目が私を見つめている。


フェリクス殿下。


隣国アシェンバッハの第二王子は、毎日、営業時間が終わった後も席を離れない。最初は嫌がらせだと思っていた。だが、今は違う。彼は、意図的に残っているのだ。目的を持って。


「営業時間を終了させていただきます」


「そうか」


動かない。


「あ、いえ、本当に申し訳ないのですが——」


「分かっている。ただ、一つ提案がある」


この王子は、提案という名の命令が得意だ。私は前世で学んだ。経営者が「提案」と言うとき、拒否は困難である。社畜人生で身につけた、そういう見分け方がある。光を見るまでに二十年かかった。この世では、まだ十七歳だ。


「……何でしょう?」


フェリクス殿下は席を立つと、こちらへ歩いてきた。制服の詰襟を少し崩している。珍しい。いつもは完璧に着こなしているのに、今夜は違う。何か、緊張している。


「君が食べるためだけの料理を、見てみたい」


「お、食べるため?」


「そうだ。客ではなく。君が、君のために作るものが。いつも誰かのために作っているじゃないか。その顔で。その料理で」


それが「まかない」という言葉だと気づくまで、私は数秒要した。魂が理解する前に、身体が反応していた。心臓が加速する。呼吸が浅くなる。


「あ、ああ。分かりました」


「良い返事だ。では、今夜は特別営業としよう。学園長の許可など、取らずにな」


───


あれから一時間。


厨房は、香りで満ちていた。


フェリクス殿下が持ってきた食材は、見たことのないものばかりだ。深紅の干し椒子、金色に輝く塩漬けの柑橘、銀色に輝く希少な香草。これらは、ヴァイスベルク王国では手に入らないものばかりだ。完全に隣国産。完全に貴重品。


「これ、アシェンバッハの——」


「ああ。隣国でも手に入りにくい。最高級品だ。王妃でさえ、月に一度手に入れるのが精一杯」


「な、何でこんな……」


「君の料理に合うと思ってな。これまでの君の創作を見ていて、思ったんだ。君は、食材の声を聞いている。だから、高級な食材がなくても、平民の食事を貴族の料理に変える」


頭で考えるより先に、手が動く。


刻む。炒める。煮込む。


前世で、私は誰かの「美味しい」を作るために、この手を動かしていた。残業。徹夜。人間関係。全てが、『商品の完成』という目的地への階段だった。誰のための仕事か。自分のためではない。会社のため。顧客のため。社会のため。だが今は違う。この手は、自分の好奇心のために動いている。その違いは、見た目には小さいかもしれないが、内側から全てを変える。呼吸が違う。手の温かさが違う。食材への向き合い方が違う。


蒸気が上がる。香りが変わる。音が変わる。


盛り付ける。


シンプルな陶板に、あえてのせる。余白を残す。このフェリクス殿下という人物は、『完璧』を求めるタイプではなく、『本質』を求めるタイプだ。無駄を削ぎ落とした表現が好きなのだと、私は感じている。白いプレートに、色を二色だけ。緑と赤。それで十分。それで完全。


「出来ました」


フェリクス殿下は、ゆっくりと椀を両手で受け取った。貴族の嗜みなのか、それとも個人の癖なのか。鼻を近づける。目を閉じる。深呼吸。


一口。


その顔が、変わった。


いつもの無表情が、ゆっくりと——崩れる。眉が上がり、唇が少し開く。琥珀色の瞳に光が灯る。それは、学園の誰もが見たことのない顔だ。王妃や王族の前でも、こんな表情は見せない。アルヴィン殿下の前でも、こんなに顔を緩ませたことはない。これは、完全に無防備だ。子どものような顔。


「……この味は、覚えておきたい」


呟くような声。そして、その呟きの中に、何かが詰まっている。切実さ。願い。恐れ。全てが混在している。


私は、その言葉を、耳奥に仕舞い込んだ。データではなく、記憶として。感情として。一生忘れないように。


「あなたの舌は、食材の声が聞こえるんですね」


「食材の声?」


「ええ。私は、つい先ほど、この干し椒子の悲鳴が聞こえたんです。『俺たちを生かしてくれ、美しく使ってくれ』と。それであなたはこれを選んだ。つまり、あなたは食材の心を聞いているんです」


フェリクス殿下は、その言葉を理解するのに時間がかかったようだ。その後、ほんの少し、唇の端が上がった。笑い、だろうか。


「君は、いつも変な言葉を使う」


「申し訳ございません」


「謝るな。嫌いじゃない。むしろ……」


言葉が止まった。何かを考えている。何かを隠している。


「むしろ?」


「……気に入っている」


そう言って、彼は、また一口。その表情は、前のままだ。崩れたままだ。もう戻らないかのような表情。


───


帰り道。


学園の廊下を歩きながら、私は後ろから声をかけられた。


「リゼット」


ベルタ先生だ。50代の温かみのある顔が、しかし少し厳しく見えた。深夜の時間帯に、夜間の食材管理をしていたのだろう。


「先生。こんな時間に」


「夜間の食材管理でね。ところで、君——」


先生の視線が、私の身なりを確認する。着替えている。厨房作業着ではなく、制服だ。しかも、少し汗ばんでいる。そして、頬が赤い。


「閉店後に、学園長の許可も取らずに、誰かを厨房に入れていないかい?」


胸が、止まった。そうだ。営業許可は形骸化していると聞いたが、完全に無視しているわけではない。そのボーダーラインを、私は踏み越えてしまった。


「いえ、そんなことは——」


「ええ、分かってる。僕の目玉は飾りじゃないからね。だが規則のことは気をつけてね。特に、身分の高い相手ならば」


先生の言葉に、棘がある。心配の棘だ。保護の棘だ。そして、警告の棘だ。


「……了解です」


「そうかい。君は良い料理人になるだろう。でもね、料理人は孤立しちゃいけない。ここは学園だ。規則の枠の中で、どうやって輝くかが問題なんだよ。王子たちの愛玩具になるんじゃなくてね」


先生は微笑んだが、その目は笑っていなかった。その目には、体験が詰まっていた。人生経験が詰まっていた。


帰寮後、私は仰向けになって天井を見つめた。


規則。


また、その言葉か。


前世で私を殺したのは、規則という名の過労だった。今世では、私は規則から逃げるために、ここにいるはずなのに。


だというのに、フェリクス殿下との時間は、最高だった。


彼の手。彼の声。彼の無防備な顔。


そして、それが、最も危険なのかもしれない。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ