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過労死転生の悪役令嬢、学食で飯テロざまぁします  作者: 秋月 もみじ


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第2話 いらっしゃいませ、お一人様ですか?


 社畜亭、開店初日。客数、ゼロ。


 まあ、そうだろうなとは思っていた。前世だって新商品の初日売上がゼロの日くらいある。焦るな。プロモーション予算がない以上、口コミに頼るしかない。

 調理台の上に並べたのは、今朝市場で仕入れた野菜と、学園の裏庭に生えていた魔草の実。この世界の食材には微量の「魔素」が含まれていて、ほとんどの人はそれを気にも留めない。

 でも前世の私は食品化学を専門にしていた。成分の相互作用なら、目を閉じても設計できる。魔素だって、扱い方さえわかれば同じだ。


 深碧の根菜を薄く刻み、魔草の実を潰して種だけ取り出す。鍋に水を張り、弱火で煮込む。大事なのは温度管理。六十度を超えると魔素の構造が変わる。前世の低温調理の知識が、ここで生きる。


 食堂に湯気が立ちのぼった。

 碧がかった乳白色のポタージュ。魔力消耗を回復させる効能がある——はず。理論上は。まだ誰にも試してもらっていないけれど。


「……深碧のポタージュ、完成」


 自分用に一杯注いで、口をつけた。


 ——おいしい。


 根菜の甘みが舌に広がって、後味に魔草のほのかな苦味。鼻に抜ける香りが温かい。前世で何百回も試作した経験が、ちゃんとこの手に残っている。

 ただの自画自賛かもしれない。でもいい。今日は自分のための料理だ。美味しければそれで——


「この匂いは何だ」


 声がした。食堂の入口に立っていたのは、昨日の銀灰色の髪の人物だった。

 深い紺色の詰襟。琥珀色の目が、鍋のほうをまっすぐ見ている。鼻がわずかに動いた。匂いを追っている。


「いらっしゃいませ。お一人様ですか?」


 我ながら条件反射だった。前世のバイト先で叩き込まれた接客用語が、異世界でも健在。


「……一人だが。ここは、何を出す店なんだ」


「薬膳スープです。魔力回復に効く——と思われる食材を組み合わせた、スープ料理の専門店」


 彼は無言で席についた。断り方を知らないのか、それとも本当にスープに興味があるのか。表情が読めない。

 深碧のポタージュを一杯、器に注いで差し出した。湯気が銀灰色の前髪を揺らす。


 彼は匙を手に取り、一口。


 ——動きが止まった。


 匙を持ったまま、三秒ほど静止している。琥珀色の目が大きく開いた。

 それから、もう一口。今度はゆっくりと、舌の上で転がすように。


「……なんですか、この味は」


 声が低かった。さっきまでの無感情な声色と、明らかに違う。


「深碧のポタージュです。前世——もとい、独自の知識で、魔力回復に効く食材を組み合わせました。といっても、まだ検証中ですが」


「これは……根菜の糖化反応を利用しているのか。だが温度が低い。普通の煮込みではこの甘さは出ない」


 驚いた。一口で調理法を分析してきた。


「低温で煮込んでいます。高温だと壊れる成分があるので」


「魔草の実の種子核。あれは六十度を超えると魔素結合が切れる。——それを、知っているのか」


 今度は私が驚く番だった。魔素の変性温度を正確に知っている人間に、この学園で初めて会った。


「あなたは……」


「フェリクス・アシェンバッハ。隣国からの留学生だ」


 アシェンバッハ。隣国の王家の姓だ。


「食文化の調査でこの学園に来ている。——この料理は、僕の研究対象に極めて近い」


 フェリクス殿下——と呼ぶべきなのだろう、王族なのだから——は、静かに三口目を飲んだ。匙の動きが丁寧になっている。味わっている、というよりも読んでいる。一口ごとに何かを分析している舌の動き。


「このスープの魔素保有率と吸収効率を、共同で研究しないか」


 唐突だった。出会って五分で共同研究の提案。前世の学会でもここまで速い話は聞いたことがない。


「……お客様、まだお代もいただいていないんですが」


「いくらだ」


「食材費の実費で、銀貨二枚です」


 フェリクス殿下は迷いなく銀貨を置いた。それから、ぽつりと言った。


「……故郷の味がする」


 その言葉の意味を、私はまだ知らない。ただ、琥珀色の目がほんの少しだけ細くなったのが見えた。無表情だと思っていた顔に、初めて表情が浮かんだ瞬間だった。


「明日も来ていいか」


「営業時間内でしたら。放課後から日没までです。残業営業は——」


「しない?」


「しません。鉄則です」


 かすかに——本当にかすかに——口元が動いた。笑ったのかもしれない。


 閉店後、私はフェリクス殿下に食材の仕入れ先を案内しようとした。学園の裏手にある小さな市場で、魔草の実や深碧の根菜が手に入る。

 門を出て、私は迷いなく右に曲がった。


「……市場は左だが」


「え?」


「門を出て左に百歩。右は馬小屋だ」


 振り返ると、馬が柵越しにこちらを見ていた。馬の目が「こいつまた来たな」と語っている。そう、ここには前にも来たことがある。市場に行くつもりで。


「……すみません」


 フェリクス殿下は無言で左に歩き始めた。私がついていくと、正確に百歩で市場の入口に着いた。


「料理の才能と方向感覚は、別の能力なんだな」


 呟くように言って、殿下は市場の中へ入っていった。

 耳が熱い。恥ずかしい。三年通っても学園の周辺地理が頭に入らないのは前世からの持病だ。自分のレシピノートに書いた「東の市場」に、いまだに一人で辿り着けたことがない。


 市場の中で、フェリクス殿下は食材を一つ一つ手に取っては匂いを嗅いでいた。真剣な横顔。さっきの無表情とは違う、集中した目。

 この人は、食に対して本気だ。

 それだけは、わかった。


「明日——深碧のポタージュ以外も出せるか」


「メニューはまだ一品だけですけど、明日には琥珀のコンソメを試作する予定です」


「楽しみにしている」


 素っ気ない声。でも「楽しみ」という言葉を選ぶ人だとは思わなかった。


 帰り道は一人だった。フェリクス殿下は市場で別れた。「仕入れたい物がある」と言って、食材の並ぶ路地のほうへ消えていった。

 寮への道を歩きながら——もちろん一度だけ曲がる角を間違えたが——私は鍋を洗った時の自分の手を思い出していた。

 スープを作っている間、何も考えなかった。殿下の断罪も、ミランダ嬢の涙も、三年間の無給労働のことも。ただ鍋の中の温度と、食材の色の変化だけを見ていた。

 料理をしている時の私は、自由だ。

 前世でも、ここでも。それだけは変わらない。


 社畜亭、開店初日。客数、一名。売上、銀貨二枚。

 前世の新商品初日よりは、ずっといい滑り出しだ。明日はもう一品、増やそう。琥珀のコンソメ。魔鶏の骨と香草を使った澄んだスープ。あの人がまた「なんですか、この味は」と言ってくれるかもしれない。

 ——別に、期待しているわけじゃない。リピーターがつくのは、商売として正しいだけだ。

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