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第3話 嬉し涙は終焉を告げ、悲し涙へと変貌する

「記憶が……ない?」


 俺はその場でぴたりと動きを止めた。今の茜の状態はよく言う記憶喪失という物なのだろう。

 それに、あの事故以前の記憶もないと言っていた。

 と言うことは、俺と過ごした日々を茜は覚えていないということなのだろう。

 もう一度、目から涙が溢れ始めた。先ほどのとは違う嬉しさ故の涙ではなく、悲しさと、悔しさの混ざった悲痛な叫びであった。

 

「小学生の頃……俺と遊んでたって記憶もないのか……?」


 衝撃で手の震えが止まらないが、俺は確認のためもう一度問いかける。

 すると、茜は静かにコクリと頷いた。


「雪見沢に昔住んでたって言うのも、苗字がもとは天道だったって言うのも今の里親から聞いた話なので……」


 茜が、申し訳なさそうに俺のことを上目遣いで見ながらそう言う。


「もし、私と昔会ってたのなら……その……すみません……」

「……謝らないでくれ……」


 か細く、小さな声で茜にそういった。

 謝られてしまうと、さらに心が抉られ、またもや泣きじゃくってしまうだろう。

 現に、今のでもかなりきている。


「じ、じゃあその。もう一度、仲良くなりましょう?」


 「もう一度」俺はその言葉を聞いてとうとう限界に達した。その言葉は、俺と茜が過ごしてきた小学校時代の思い出を、ゼロにして一からやり直すとも感じ取れる。

 

 そこからの俺の記憶は、もうほとんど残っていない。

 恐らく、俺がそのまま茜の目の前で子供のように泣きじゃくったのであろう。

 五年間、ずっと死んだと思い込んでいた初恋の子が生きていたのだ。そこは素直に嬉しかった。

 でも、茜はもう俺のことを一ミリも覚えていない。両親のことすらもだ。そんな状況で再会しても、余計に悲しくなっただけな気がした。

 

 俺は家に帰っても、魂が抜けたようにぼーっとしていた。

 数日後には高校の入学式があると言うのに、荷物の片付けもできていない。

 部屋には実家から送ってきた段ボールが積み重ねられていた。


 そのまま数時間、とうとう日を跨いでしまった。けれど、俺はいまだに新居から見える都会の街並みを、ただ無心に眺め続けていた。

 

 * * *


 あれから何時間経っただろうか、俺は気がついたら眠ってしまっていたらしい。

 目が覚めると外には朝日が昇っていた。俺の顔には涙の跡ができていた。

 とりあえず目を醒めさせるために顔を洗うことにした。

 そう思って立ち上がった時、俺のスマホからバイブ音が聞こえた。

 スマホを見ると、通知には間宮茜の名前があった。


「…………」


 俺は無言で通知の内容を見た。そこには、ついさっき送られてきたメールがあった。

 

『おはようございます。間宮です。雨宮さん、大丈夫でしょうか?』


 メールの文面にはそう記されてあった。

 昨日の状況がフラッシュバックし、もう一度涙が吹き返しそうになった。

 一つ確信できるのが、今流れ出ようとする涙は再会を喜ぶ嬉し涙ではなく、俺のことを茜が覚えていなかったことによる悲し涙であろう。

 それに……「雨宮さん」という苗字呼びなのがさらに心を抉る……


『あぁ、大丈夫だ』


 俺は茜にそうメッセージを送信した。

 本当は大丈夫ではない。ないけれど、大丈夫じゃないなんて言えるはずがない。

 

 とりあえず、気晴らしになるかはわからないが家の片付けをすることにした。


 山積みにされた段ボールのうちの一箱をとる。だが、持ち上がらない。

 いつもならこれくらいひょいと持ち上げられるはずだ。でも、力が入らない……

 

 諦めて壁を背もたれにしながら崩れるように地面に座り込んだ。

 記憶がない……好きだった子、仲良くしていた子が自分のことをすっかり忘れてしまっていたら……

 俺でなくとも大体の人は耐えられないだろう……

 

 ……待てよ……?記憶喪失ならば、もしかしたら思いださせることができるのではないだろうか。

 小説で読んだ、あくまでもフィクションの世界の話だが、もしかしたら思い出させることができるのかもしれない。


 冷静になって考えれば、無理な話に決まっている。でも、その時の俺はこれ以外に立ち直れる方法がなかった。

 地獄の中に落とされた一本の糸に、縋り付くしか、俺の平常心を保てる方法がなかったのだ。

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