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挨拶しただけで「結婚の約束」をした覚えはないのですが。 ~予備校の同級生からの「善意の指導」が、どう見ても狂気だった件~  作者: 品川太朗


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第8話「親の決断」

警察には突き出さない。 その代わりに両親が用意した「処分」は、法的な罰よりも過酷で、逃げ場のないものでした。

「彼を、長野にある主人の実家へ送りました」


 アキは冷めた紅茶のカップを見つめたまま、静かに言った。


「山奥の農家です。コンビニまで車で三十分、最寄りの駅までは一時間かかります。もちろん、電波はほとんど入りません」


 彼女の説明は、まるで旅行のプランを読み上げるかのように滑らかだった。

 けれど、その内容は懲役刑よりも具体的で、生活感のある絶望に満ちていた。


「今朝、主人が車で連れて行きました。向こうの親戚には話を通してあります。リョウには明日から、レタスの収穫と出荷作業を手伝わせます。朝は四時起き、日没まで畑仕事。夜は泥のように眠るだけの生活です」


「それは……ご本人は納得されたんですか?」


 私が恐る恐る尋ねると、アキは初めて口元を少し歪めた。

 それは自嘲のようにも、憐れみのようにも見えた。


「納得なんて、するはずがありません。『僕は真白さんと結婚するんだ』『予備校に行かなきゃいけない』と暴れましたよ。……スマホを取り上げた時は、狂ったように叫んでいました」


 彼女はハンドバッグの金具を、親指で無意識に撫でていた。


「でも、あの子に選択権はありません。私たちも、もう限界なのです。これ以上、被害者を出すわけにはいかない。警察沙汰にして前科をつけるわけにもいかない。だとしたら、物理的に『できない環境』に閉じ込めるしかないでしょう?」


 彼女は私の方を向き、まっすぐな瞳で告げた。


「真白さんにお渡ししたその示談金。……これは、私たちが立て替えたものです」


「立て替えた?」


「ええ。リョウには、農家での労働対価として最低賃金分を計算し、そこからこのお金を毎月返済させます。彼が自分の身体を使って、貴女への償いを終えるまで、山から下りることは許しません」


 私は息を呑んだ。

 金額からして、一年や二年で返せる額ではない。


 十年、あるいはそれ以上。

 彼はあの独自の論理が通じない「土と自然」の中で、ただひたすらに労働マシーンとして生きることを義務付けられたのだ。


「彼にとって、スマホのない世界は地獄でしょうね。誰かを一方的に評価し、論理で追い詰めることができない世界ですから」


 アキの声は淡々としていた。

 そこには、息子を更生させたいという「希望」よりも、腐った果実を箱から取り除くような「処理」の響きが強かった。


 愛しているから厳しくするのではない。

 社会というシステムから弾き出された異物を、家族という最小単位の枠組みの中で、ひっそりと飼い殺す。

 それが、この両親の下した「決断」だった。


「……酷い親だと思われますか?」


 ふいに、彼女が尋ねてきた。


「い、いえ。そんなことは……」


「いいえ、酷い親ですよ。私たちは、息子を見捨てたのですから」


 彼女は立ち上がり、伝票を手に取った。

 その背中は小さく、しかし鋼のように強張っていた。


「もう二度と、リョウが貴女の視界に入ることはありません。……どうか、忘れてください。あの子のことも、私たちのことも」


 彼女は深く頭を下げると、一度も振り返ることなく去っていった。


 残されたのは、私と、分厚い封筒だけ。

 ラウンジの優雅なBGMが流れる中、私は、遠い山奥で泥にまみれ、スマホを探して泣き叫ぶ神谷リョウの姿を想像した。


 それは不思議と、同情よりも、「もう二度と交わることはない」という安堵を私にもたらした。

お読みいただきありがとうございます。


ネットと妄想に依存していたストーカーにとって、スマホのない山奥での重労働は、まさに地獄でしょう。 十年以上の労役。事実上の無期懲役です。


さて、怪物は隔離されました。 しかし、日常に戻った主人公には、少しだけ「しこり」が残ります。


次回、エピローグへと向かう第9話です。 何事もなかったかのように進む世界への違和感を描きます。

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