第7話「三度目」
謝罪ではなく、事務処理。 母親の口から語られるのは、あまりにも冷徹な事実でした。
駅前の喧騒から少し離れた、ホテルのラウンジにある喫茶室。
案内された席に座ると、神谷アキは慣れた手つきで紅茶を注文した。私は喉が渇いていたはずなのに、何も飲む気になれず、ただ目の前のグラスの水を凝視していた。
「単刀直入に申し上げます」
店員が去ると、彼女は切り出した。
背筋を伸ばし、両手を膝の上で重ねている。その姿はあまりにも落ち着いていて、これから息子のストーカー行為について話す母親とは到底思えなかった。
「息子……リョウが貴女に行っていた行為については、全て把握しております。LINEの履歴、貴女に対する執着、そして今日、貴女の服装を指定したことも」
「……そうですか」
「不快な思いをさせて申し訳ありません。ですが、ご安心ください。リョウは今日付で予備校を退学させました。今後、彼が貴女の前に現れることはありません」
退学。
あまりに早い決断だった。
私が安堵するよりも先に、彼女は鞄から一枚の封筒を取り出し、テーブルの上に滑らせた。
「こちらは精神的な苦痛に対する慰謝料、および口外禁止に対する手当です。中身をご確認ください」
「え……?」
「受け取ってください。これが一番、円滑に終わる方法ですので」
彼女の口調には、迷いも躊躇いもない。
まるでスーパーでレジを通すような、極めて日常的な動作。
その違和感に、私は思わず尋ねていた。
「あの、慣れて……いらっしゃるんですか?」
「……」
「こんな風に、お金で解決することに」
彼女の手が、一瞬だけ止まった。
初めて、その能面のような顔に人間らしい感情――諦めのような、疲労のような影が差した。
彼女は紅茶を一口すすり、静かに告げた。
「三度目、なのです」
「え?」
「貴女で、三度目です」
彼女は淡々と、過去の事例を列挙し始めた。
一度目は、大学一年の時。同じサークルの女子学生に対して。
二度目は、その後にアルバイトを始めた先の同僚に対して。
「お一人目は、リョウからの連絡に追い詰められ、適応障害と診断されました。大学を中退し、今は実家で療養されています。お二人目は、恐怖から引越しを余儀なくされ、職場も辞められました」
「……っ」
「どちらも、示談という形で解決しました。今回と同じように、十分な金額をお渡しして、警察には届けずに処理しました。リョウの将来に傷をつけるわけにはいきませんので」
背筋が凍った。
彼女は今、人の人生が壊れた話を、壊れた電化製品を買い替えたかのような口調で話している。
リョウの将来。
そのために、二人の女性の生活が犠牲になった。
「リョウは、悪気があってやっているわけではないのです。ただ、思い込みが激しく、一度『自分のもの』だと認識すると、相手との境界線が分からなくなる。……病気だとも思いましたが、どの医者に見せても明確な診断名はつきませんでした。ただの『性格の偏り』だと」
彼女はふぅ、と小さく息を吐いた。
「真白さん。貴女は運が良かった」
「運が……?」
「今回は、リョウが『管理』を始めた段階で、私たちが気づくことができた。私のカードを使って婦人服を買おうとしていたので、すぐにピンときたのです。……もし発見が遅れていれば、貴女も前の二人と同じように、精神を病むまで追い詰められていたかもしれません」
テーブルの上の封筒が、急に重苦しい鉛の塊のように見えた。
私が今、こうして正気を保っていられるのは、私が強かったからでも、賢く対処したからでもない。
ただ単に、親が介入するタイミングが早かっただけ。
それだけの違いだったのだ。
「……わかりました」
私は震える手で封筒を引き寄せた。
中に入っている現金の重みは、私が危うく失いかけた「平穏な日常」の代金だった。
「リョウさんは、どうなるんですか?」
「それは、私たちが責任を持って管理します。……もう二度と、社会にご迷惑はおかけしません」
アキの目は、遠くを見ていた。
それは息子を守る母親の目というより、凶暴な猛獣を檻に入れる飼育員の目だった。
お読みいただきありがとうございます。
自分の実力がどうこうではなく、ただ単に「親が気づくのが早かったから助かっただけ」。 その事実が、主人公を震え上がらせます。
「もう二度とご迷惑はおかけしません」 母親がそう断言できる理由とは。
次回、彼が送られた場所と、その末路が語られます。 ある意味で、法的な罰よりも重い「隔離」です。




