彼が帰ってきた
朝の光がカーテンの隙間から差し込み、木の床に斑の影を落としていた。 リーヴはゆっくりと目を開け、まだ完全に目覚めていないまま、無意識に隣へ手を伸ばした——
空っぽだった。 冷たいシーツ。体温も、気配も、残っていなかった。
彼女は勢いよく起き上がった。 銀灰色の髪が肩に落ち、琥珀色の瞳が大きく見開かれた。
「雪誠……?」
掠れた声で呼びかける。 返事はなかった。
彼女は裸足で床を踏み、扉の前へ。 扉を開ける——廊下には誰もいなかった。
部屋に戻り、目を走らせる。 雪誠のマントは消え、剣もない。 昨夜、机に置かれていた経典も、跡形もなく消えていた。
胸が締め付けられる。 何かが、鋭く心を掴んだ。
あの感覚——まただ。 置き去りにされた。 捨てられた。 見捨てられた。
彼女は唇を噛み、冷静になろうとする。 だが、指先は止まらず震えていた。
「まさか……行ってしまったの……?」
ベッドに戻り、膝を抱え、額を腕に埋める。 涙がぽたぽたと落ち、枕とシーツを濡らした。 どれほど泣いたか覚えていない。 ただ、心の中の声が繰り返していた。
「やっぱり……私は、残される価値なんてない。」
十分。 リーヴにとって、それは十年にも感じられた。
そして——扉が開いた。
「ただいま。」
雪誠の声が届いた。 少し息を切らし、朝霧の冷たさを纏っていた。
リーヴは顔を上げた。 雷に打たれたような衝撃が瞳に走る。
彼は扉の前に立っていた。 手には湯気の立つ麦粥の袋。 肩には布の包み。 顔には、申し訳なさそうな笑み。
「どこに……行ってたの……」 彼女の声は震え、涙は止まらなかった。
雪誠は粥を置き、彼女の元へ駆け寄った。
「朝食を買いに行ってたんだ……それと、少しだけ用事を。」
彼は布包みから一つの仮面を取り出した。 銀灰色の獣の輪郭。 リーヴが変身した姿に、驚くほど似ていた。 誇張された獣面でも、戯れの模倣でもない。 彼女の瞳の形、耳の角度、額の微かな紋まで——優しく、丁寧に刻まれていた。
「これ……」 彼女は低く尋ねた。
「君の姿だ。」 雪誠は言った。 「君の本当の姿は、記憶されるべきものだ。 僕の顔に、それを刻みたい。」
リーヴは言葉を失い、再び涙が溢れた。
「それを……つけるの?」
雪誠は頷いた。 その声は静かで、しかし揺るぎなかった。
「これをつけて旅を続ける。 この世界に、君の姿を慣れさせる。 これは魔の顔じゃない。 僕が選んだ顔だ。」
彼は懐から鍵を取り出し、彼女の手にそっと置いた。
「もう一つ。 アイソロンの南、川辺に小さな家を買った。 神殿にも市場にも近い。 窓は東向きで、朝には光が差し込む。」
リーヴはその鍵を握りしめた。 それは、今まで夢にも見なかった未来を握るようだった。
「本当に……行かないの?」
雪誠は静かに首を振った。
「僕は歩く。 でも、君から離れるためじゃない。 君に向かって歩く。 僕たちの道へ向かって。」
彼女は彼の胸に飛び込み、強く抱きしめた。 まるで、もう二度と消えないものを掴んだように。
その瞬間、朝の光が二人を包んだ。 神の選びも、種族の庇護も、栄光の冠もなかった。 ただ一人の契約者と、一人の魔族の少女が—— 互いを選び、互いに残った。




