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彼女だけが知っている

アイソロンの街では、ある名が静かに広まり始めていた——「灰の使徒」。 「キティについて語ったあの人……光とは、共に歩む力だと言った。」 「神職者ではないのに、神職者よりも信仰を理解している。」 「彼の言葉で、私は神に見捨てられていないと、もう一度信じられた。」


雪誠は街を歩きながら、それらの言葉を耳にした。 だが、彼は何も言わなかった。 ただ静かに歩き続ける——称賛を望まぬ灯火のように。


人々は彼の落ち着きを見た。 彼の優しさを見た。 神像の前で跪き、祈るその姿を見た。


そして彼らは言った—— 「揺るぎない信徒」 「キティの使徒」 「光の代弁者」


だが、それを本当に知っているのはリーヴだけだった。


彼が夜、胸の契約印を握りしめ、静かに息を吐く姿を。 誰もいない場所で跪き、「あとどれだけ歩けるだろう」と神に問いかける姿を。


その夜、彼は川辺に座っていた。 水面を見つめながら、世界全体が彼を邪魔することを恐れているかのような静けさだった。


リーヴは彼の隣に歩み寄り、何も言わずに座った。


「みんな、あなたは強いって言ってる。」 彼女は静かに言った。


雪誠は微笑んだが、その瞳は疲れていた。 「ただ……彼らを失望させたくないだけ。」


「でも、あなたは苦しんでもいい。」 彼女は彼を見つめた。 「あなたは神じゃない。人間なの。」


彼はうつむき、指先で胸の印をそっと撫でた。 「この印は力じゃない。代償だ。 使うたびに、自分の一部が削られていく気がする。」


リーヴは手を伸ばし、彼の手を握った。 「あなたは一人じゃない。」


彼は彼女を見つめ、瞳に微かな光が宿った。 それでも、言葉は出なかった。


彼女はその沈黙を受け止めながら、静かに語った。 「ねえ……泣くことは、弱さじゃない。」


「泣くたびに、あなたは強くなる。 それは、まだ耐えている証。 まだ歩いている証。 この世界に、あなたが残る価値があると信じている証。」


雪誠は息を呑んだ。 何かが胸を打ったようだった。


「ずっと耐えなくてもいい。 ずっと笑っていなくてもいい。 あなたは神じゃない。人間だ。 痛んでもいい。疲れてもいい。泣いてもいい。」


彼は目を閉じ、呼吸が荒くなり、膝を握る指が震えた。


「僕……泣いたことがない。」 彼は低く言った。 「先生に聖典を盗んだと言われたあの日から……僕はやってないのに、みんな彼を信じた。」


その声は震え、魂の奥底から絞り出されたようだった。


「神殿を追われ、異端と呼ばれた。 あの日、なぜって聞きたかった。 でも怖かった。 口を開いたら、泣いてしまいそうで……」


リーヴは何も言わず、ただ彼の手を握り続けた。


「今なら、泣いてもいい。」 彼女は言った。 「私がここにいるから。 もう一人で耐えなくていいから。」


雪誠はついに顔を伏せ、静かに涙を流した。 それは崩壊ではなく、解放だった。 弱さではなく、誠実さだった。


それは、冤罪の日以来、初めての涙だった。


激しく泣くことはなかった。 ただ静かに、静かに涙を流した。 「僕も、痛むんだ」と、ようやく自分に許すように。


リーヴは何も言わず、ただ彼のそばにいた。 その沈黙の中で、彼が何年も抱えてきた痛みを、泣き尽くすまで。


その夜、川のせせらぎと彼の涙は、 誰にも聞こえない祈りの歌となって、闇に溶けていった。

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