序幕~必ず殺してくる男⑦~
「…………」
ゆっくりと瞼を開くと、見慣れた天蓋が目に入る。直感で、また死に戻ったことを悟った。
そのままゆっくりと瞼を閉じれば、浮かぶのは剣を持ったモートンの姿だ。
屋敷に不意に訪れた来客に、警戒心も無く出ていった自分が迂闊だった。その来客はこの世で会ってはならない存在であり、予想もしてなかったことに体は硬直した。
「ああ、やっと会えたね」
モートンの声はとてもうれしそうで、その表情も声色と同じ、本当に嬉しそうだった。まるで旧友と再会したかのような、そんな気安さだ。周囲から見れば、まさにそんな感じに見えただろう。
その手に抜身の剣を手にしていなければ。
どうしてここにいるのか。どうしてウルスラがここにいるのを知っているのか。これまで違い、ウルスラはモートンと出会っていない。そのはずなのに、彼はウルスラの姿を知り、追ってきた。それが怖くてたまらない。
モートンが剣を振りかぶる。その様子を、ウルスラはスローモーション撮影のように見ていた。その剣がウルスラの命を奪うものであることは、見たときに分かった。
逃げなくちゃダメ?
一体どこに?
どうやって?
――――どこにも逃げられない
そう理解したとき、ウルスラの意識は途切れた。
一切の躊躇いなく振り下ろされた剣は、ウルスラの左肩から右わき腹のラインを容赦なく切り裂く。剣はこの日のために丹念に研がれ、ウルスラの命を奪うことでその切れ味を披露した。
唯一救いなのは、あまりの剣の切れ味のよさと、モートンの純化した殺意がウルスラの急所を一切の抵抗なく切り裂いたこと。これまでで最も苦しみなく死ねたと言ってもいいだろう。
事実、ウルスラの記憶はモートンが剣を振りかぶった時点で途切れている。死ぬ過程の一切を味わうことなく死ねた。
だが、死に戻りをしてしまえば、その救いも簡単に消え去る。
今ウルスラは、文字通りどこに逃げてもモートンに殺されるという絶望を味わっていた。その絶望の深さは、もはやウルスラの心を闇に深く沈みこませ、二度と浮上することなどないほどに。
―――必ずモートンに殺されるのが、私の人生。
再び開かれたウルスラの瞳は、完全に光を失っていた。もはや感情の機微も無く、絶望に対する反応すらない。
「…………」
一切の思考すら動かず、ただ中空を見つめるだけ。夜明けの光で部屋の中が徐々に明るくなっても、ウルスラの体はピクリとも動かない。
目が乾き始め、生理現象で瞼が閉じる。そのうち、思考のないウルスラの意識は、闇に沈んでいった。
そのうち、眠ってしまったウルスラは夢を見た。そこには一人の女性の姿があり、それをウルスラはまるで演劇を見るかのような立ち位置で眺めている。
女性の名は「泉谷 香苗」。
彼女は地球の日本という国で生きていた。平凡な家庭で生まれた彼女は、近くの高校、大学を卒業したあと、商社に勤め始めた。
趣味は可愛いもの集め、休日はカフェ巡りと普通の娘だ。しいて言えば、目立つことを恐れ、引っ込み事案だったことくらい。でも、いつかは白馬の王子様が迎えに来てくれるかも…だなんて夢見ることくらいはある。
そんな香苗に転機が訪れる。25歳の時に同じ商社に勤めていた3つ年上の男性社員に告白され、付き合うことになったのだ。
彼は社内でも評判のイケメンで営業部の花形でもあり、そんな彼から告白されたことに香苗は浮かれていた。それまで恋人の一人もおらず、パッとしない平凡な人生だったが、ここにきてようやく花咲くときが来たと嬉しさはひとしお。
浮かれた香苗は彼のために何でもした。彼が疲れたと言えば温泉旅行をプレゼントし、お腹が空いたと言えば高級食材を買いあさって手料理を振る舞った。大人だから、夜の生活もある。彼が望めばどんなプレイにも応じた。
周囲の人間から貢ぎすぎだと窘められたこともある。でも香苗は止めなかった。彼のために何かをするとき香苗は最高に幸せで、彼の支えになれているという自負が香苗の喜びだ。
貯金は目減りしていたが、彼は営業部のエースで一杯稼いでいるはず。いつか結婚することを考えれば、このくらいの出費はどうってことない。
いつかは彼と結婚するのだ。そう思って、彼からのプロポーズを待った。すでに10年が過ぎていたのに気付いた時は、後の祭り。
35歳になり、焦り始めていた香苗はある日、彼に黙ってこっそり彼のマンションの部屋に入った。合鍵を使い、サプライズの料理で彼を驚かせようと思ったのだ。
だが部屋に踏み入った時、、彼が知らない女性と行為に及んでいる現場に遭遇してしまった。
香苗の視界は一瞬で真っ赤に染まった。怒り狂った香苗は、部屋にあるものすべてを彼と女に投げつけていく。ひどい裏切りに、心は怒りと悲しみで塗りつぶされていった。
涙と鼻水と、口角から噴き出した泡、そして鬼のような形相のままの息を荒げた香苗。すべては破壊しつくした部屋の惨状を見ても、彼女の気持ちは収まらなかった。
もう、どうにでもなればいい。
勢いのまま彼の部屋を飛び出し、マンションから道路に出たところで、まばゆい光が彼女を包み込む。
それが車のライトだと気付いた時には、香苗は既に轢かれた後。
薄れていく意識の中、香苗は思った。
(あのクズに、もっと仕返ししたかった)
そこでウルスラは目を覚ました。部屋はとうに明るく、カーテンも開けられていた。
首を動かすと、ちょうどこちらを見た侍女とばっちり目が合う。侍女は大きく目を見開き、信じられないものをみるかのようだった。すぐさまドアへと向かうと、彼女は廊下で屋敷中に響き渡るような大声を上げた。
「お嬢様が!目を覚ましましたーーー!!!」
そこからは一気に大騒ぎ。両親に執事長と医者が部屋になだれ込み、ウルスラへの診察が始まった。
なんとウルスラは3日も眠りっぱなしだったという。
どんなに呼びかけても穏やかに眠り続けたまま。医者が診察してもどこにも異常が見当たらず、打つ手なし。仕方なく、起きるのを待つだけだったという。
診察や心配した両親の喜ぶ声を聞きながら、ウルスラは見ていた夢のことを考えていた。
(あれは…きっと、私の前世なんだわ)
そうすんなりと受け入れられた。
考え事をしていたウルスラの様子に、寝起きでまだ頭がはっきりしないのだろうと、ウルスラを休ませるためにみんな部屋を出ていく。
誰もいなくなった部屋で、ゆっくりとベッドから這い出たウルスラは、少しおぼつかない足取りで机に向かった。
日記帳を取り出し、確かに3日前の日付で止まっていることを確認。日記帳を閉じ、カーテンが開けられた窓へと向かった。
まぶしいほどに光が注ぎ込んでくる。その光を存分に浴びながら、ウルスラの頭の中はこれまでにないほどに澄み渡っていた。今の彼女にモートンへの恐怖は無く、絶望だって微塵もない。
「ふふ、ふふふ……」
思わず笑いが口から漏れる。
ああ…どうしてこんなに簡単なことに気付かなかったのだろうと、ウルスラは過去の自分を嗤った。
モートンに怯え、逃げるか従うかの選択肢しかなかった自分が情けなくてしょうがない。
ウルスラは両親に溺愛されて育った。だがそれは不幸にも、一切の敵意にさらされずに生きてきてしまったことを意味する。
ゆえに、彼女には『やり返す』という概念が存在しなかった。常に受け身でしかなく、どんなにモートンに理不尽な目に遭わされようと、受け入れるしかなかった。
だが、それはもう過去の話。
今のウルスラは、「泉谷 香苗」の記憶を取り戻した。それは彼女の中に「泉谷 香苗」の価値観が戻ってきたということ。
それが意味するところの答えを、ぽつりとつぶやく。
「目には目を、歯に歯を……なら、殺しには殺しを、お返ししなくちゃね」
そうつぶやいた彼女の顔は、とてもではないが9歳のものとは思えなかった。もし今のウルスラの顔を見た者がいれば、それを最適な一言でまとめるならこう表現するだろう。「悪魔の微笑み」と。
異様なまでにつり上がった口角。三日月のごとく細められた目。
殺された自分は、なんて愚かで馬鹿だったんだろう。こんな簡単なことにも思い至らないのだ、殺されたってしょうがないとしか思えない。
だからといって、散々殺してきたモートンを許すつもりもない。許すなどありえない。絶対のその報いを受けさせなければ、ウルスラの気が収まらないのだ。
5度にわたって死の絶望に突き落とされた彼女の抱える闇は、死を経験したことのない生者に到底想像できるものではない。その絶望の一切が、今のウルスラの中でモートンへの復讐心を燃え滾らせる燃料となる。
「ふふ…うふふ………モートン様、待っていてくださいね。今度は、私があなたの全てを奪って差し上げますわ」
彼女の宣言は、モートンへの復讐だ。
ウルスラの全てを奪ったモートンの全てを奪いつくし、その上で殺す。モートンだけではなく、彼に関わり、協力した者も容赦しない。
ウルスラは引き出しからペンと一枚の便箋、封筒を取り出した。
ペンにインクをしみ込ませ、便箋に走らせる。書き終えた便箋を丁寧に畳むと、封筒に入れた。
今度は鍵を取り出し、鍵付きの引き出しを開ける。そこに先ほどの封筒を仕舞い、鍵を掛けた。
手紙に書かれたのはウルスラの宣言だ。必ずやり遂げるという誓いが込められた手紙を、いつか相手の棺に納めることを楽しみにして。
誰にも見せることのない手紙には、ただ1行だけが綴られている。
『拝啓 旦那様 殺し返すのでお覚悟を』




